「名言」「座右の銘」は恥ずかしい?
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こんにちは。
いやいや、先週の「けものフレンズ」での馬鹿騒ぎは「すごーーく楽しーーーーーい!」だったんだけどね。何しろ疲れが溜まってます。山田玲司です。
ここ1番勝負の時を迎えたCICADA単行本発売があったので、ジタバタしてたのもあるんだけど、とにかくその1つでやっていた「希望のライムキャンペーン」が、思っていた以上に大変でね。あはは。
今回CICADAの単行本を買ってくれた人に、僕から1人1人に「希望のライム」を送るっていうやつだったんですが、何しろこれは僕と読者さんとの「1対1」のやりとりです。
僕が何か「元気になる言葉」を送って、その人を「応援する」ってことです。
しかも、そのやり取りはツイッター上で公開されているので、誰にでも同じことを言っていると、誠意の無さが伝わってしまうのです。完全に人としての「何か」を試される企画なわけね。これ。
よーし・・こうなったら、なるべく相手のことを想像して、自分の言葉で返していこう!
なんて思ってやってたんだけど、いやいや、これがホントに難しい。
おまけにこの国には「名言とか語る人って自己啓発系みたいでかっこ悪い」みたいな人も多い。
確かに僕も、自分は人に「大丈夫さ、日はまた昇る」みたいな事を語って偉そうにしていいほどの人間か?なんて思ったりもするわけです。
まあそれも、他人からすればいつもの「自意識過剰病」なんですけどね。
~「語る」って恥ずかしいの?~
実は絶望に効くクスリでインタビューの最後に「何か座右の銘みたいなものを書いていただけませんか?」なんてお願いすると「それはちょっと」と言って断る人もいました。
その人の性格が意地悪だったから、というわけではなくて「そういう事をするのは恥ずかしい」と思っている人がいるわけです。
確かに「座右の銘」とかを色紙に書いたりするのは、何だか「偉い人になったみたい」だし、
「自分はそんなことを語るレベルにはないですから」みたいな感覚もわかる。
政治家の人なんかは、そういう事にすっかり慣れていて、抵抗なく書いてくれるけど、白浜の海女さんは最後まで「私なんか」と言って書いてくれなかった。
ブルーハーツのヒロトさんは、絶望に効くクスリのオファーに「人生を語ったりすんのは好きじゃないんだけど、ロックの話とかならしたいね」なんて言ってくれたらしい。
我らが志磨遼平も絶望に効くクスリの最後に座右の銘を書いて、と頼んだ時、どこかの「名言」じゃなくて、その時の自分の気持ちを正直に書いてくれた。
こういう人達の「名言を語るのはまだいいよ」という感覚はすごくわかる。
~それでも言葉には力がある~
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