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山田玲司のヤングサンデー 第115号 2016/12/19

「たいくつ」と「それどころじゃない」の間に

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この間、岡田斗司夫さんに「島田紳助がDVDで言っていたことがすごい」って話を聞きまして。

その話の内容については詳しくは書けないけど、簡単に言うと「自分が得意なこと」とか「世間のニーズの変化」なんかを分析することで、その人がどうすれば利益を上げられるか?みたいな話でね。

まあ才能論の1つだと思うんだけど、これが中々面白くて、最近何かと島田紳助の事を考えてまして。
(敬称略なのはあまりに遠い存在だからです)

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「そういえば昔、島田紳助と松本人志が2人でやってたトーク番組があったよなあ」なんて思い出してYou Tubeで探してみたら、ありますね「松本紳助」って番組の過去映像が。

当時まだ30代の松本人志と、40代の島田紳助のトークは、今見てもすごいレベルの話芸だ。
紳助が投げまくる完成度の高い「おもしろエピソード」や「哲学」なんかを、松本人志は基本的に聞き手に回りつつ、最終的には持ち前の「独創的な感性」でオチをつけるパターンが多い。

この番組は2000年から2006年までやっていた番組で、その時期ってのもまた興味深い。
「大きな災害がまた来る気がして怖いねん」とか「引退したいねん」とか、その後の出来事を知って観ていると予言めいた話も多い。

2000年からの数年は、バブル崩壊の90年代の大混乱と「ハルマゲドン」「2000年問題」なんかの「やばいよ人類」みたいなのが峠を超えて、なんだか気が抜けたような時代だった。

本来はこの時期に解決しなくてはいけない問題が山ほどあったのに、人々は見事に「問題を直視」なんかしないで、「ワールドカップ」だの「モー娘。」だの「オレンジレンジ」だのやりつつ、「小泉構造改革」だの「ホリエモン」なんかに期待していたりしながら、何となく「このまま世界は続くんだろうな」みたいな空気が支配的だった。

「終わらないパーティー」を続けながら、どこかで「こんな日々はいつまでも続くわけがない」という不安を抱えていた時期でもあった。

こお番組では「そんな倦怠と不安」が入り混じっていて、そこも興味深い。

島田紳助はひたすら「次の遊び(おもろいこと)」を探し続けている。
沖縄の離島に通いつめ「こんな美味いマンゴーがあんねんで!」とか「イカ釣りに行こうや」とか、常に新しい提案を松本にぶつけつつ、「あんとき、めっちゃおもろかったな」と、高校時代の武勇伝を何度も語っている。

おそらく彼の最大の敵は「退屈」なのだろう。
戦国時代に生まれれば良かったタイプにも見える。
芸能界での安定した日々は「退屈な殿様」みたいな気分だったのかもしれない。
とはいえ、油断をしてたら自分の時代は誰かに取って代わられる不安もある。

ところが、そんな不安定な時期の後、島田紳助という芸人は「ヘキサゴン」なんかのヒット企画で「無敵の黄金時代」を迎えていましたよね。

その後2011年に引退する事になった前後の話は知りません。

引退の頃の話より僕が興味深く思うのは、この「松本紳助」をやっていた2000年代前期の彼の行動です。

世間に満ちていた「偽りの平穏」と戦うために彼が選んだのは「自分と同じ種類の天才(松本人志)と組む」という選択だったということです。

有名な話ですけど、島田紳助が漫才を引退したのは、松本人志の「ダウンタウン」の漫才を見たからです。
「これは勝てない。自分の時代は終わった」と思って漫才を止めたわけです。
そんな「自分を負かした後輩」に話を聞くんです。毎週です。なかなか出来る事だとは思えません。

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「漠然とした平穏な日々」は、いつか終わりの時を向かえるのです。