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山田玲司のヤングサンデー 第106号 2016/10/17

「君の名は。」が好きな人はバカなのか問題2

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地球の皆様おはようございます。いきなりの「秋本番」ですね。

なんだかついこの間まで蒸し暑くてクーラー付けてたりしてた気がするのに、この肌寒さ。急激な冬の到来!

ああ、地球。
毎日(環境破壊したことを)謝ってるんだけど、もう許してくれない。地球。
地球の話をすると「意識高い系w」と言われる空気。そんな2016年の地球。

地球の最強の国をやってるアメリカの大統領選は「女なんか誰でもやれる」みたいなことを言ったとか、言ってないとかが争点とかの地球。チェケ。

あきれてた所に巨大ハリケーンが到来。阿蘇山大噴火。原発稼働中。ヘイ、Yo!

そんな地球で、先週は話題の「君の名は。」の解説&勝手な分析をしまして、おかげさまで大好評でしてほっとしてます。

とはいえ、どうしてもまだ違和感が残ってるんだよね。

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番組は公式放送で、この映画に大感激した人達も沢山観ていたので、あまり野暮なことは言いたくなかったんだけど、どうしても気になる問題。
それは・・・
「信じて待っているだけ」という生き方なんだよね。

それはね、たしかに主人公は「失われた彼女」を探しに遠い山まで旅をするんだけどね。
でもそれまでは「なんとなく何かを待っているだけ」なのがどうしても乗れない。

建築家になりたいにしろ、運命の女に会いたいにしろ、「待つ」以外にやれることはいくらでもあるはずだからね。

そもそも数十年に1度「誰かに起こるかもしれない奇跡」なんていうものを「ただ待つだけ」ってのは逆に疲れる気がする。

確かに「今は待とう」っていう時期はある。下手に動かない方がいい状況であせって動いても良いことはないからだ。

セナが言っていた「待つ&見ている」が大切、っていうのは、それまでに限界までやれることをやった前提の話だし、「人事をつくして天命を待つ」ってのは日本人の生き方の基本だったはず。

じゃあ何で今「努力」をしないで「ただ待つだけ」の空気になっているんだろう?

理由は色々あるだろうけど、とにかく今の時代「努力なんて報われない」と思わされる事が多すぎるんだと思う。

先週起こった様な「トップの大学」を出て「トップクラスの企業」に入っても全然幸せじゃなくて、それどころか辛すぎて自分で自分を殺してしまうなんて悲劇が普通に起こる。

確かに多くの事が「それまでの努力」では報われなくなってる。

でも、それって「今までとは違う努力」をしたら大きく報われる可能性がある時代ってことでもあるんだよね。
まあいつもの「イノベーションをしよう」みたいな話だけど、そんな大げさな話じゃなくて「なんとなくやっているいつもの事を少し変えてみる」みたいなところから始めれば誰でもできる事だと思う。

僕の友人の中で「報われない努力」をしている人は、共通して「いつもの店」に行って「いつもの話」をしている。カラオケでは「いつもの曲」を歌って、学生時代の「あの時は笑ったよな」話をいつまでもしている。
それはそれでいいんだけど、「そればっかり」だと未来は膠着するばかりだ。

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「君の名は。」で感動する人がバカか?という問題に関して言えば「バカVS賢い」の構図ではなくて「待っている人VSあがいている人」の構図で見るべきなんだと思う。