>>また語ってしまいそうですが(笑)、個人的にはテイスティングする理由は双方に新しい発見があったり、感覚を確認しあうためだと思っています。
そもそも言葉というのが感覚を記憶とすりあわせた時の「区分」に過ぎないとすれば、ウイスキーの場合自分はどういう区分をしたかを言葉にすればいいわけですが、鼻をつまめば味がしないように、香りと味を区分することなく、まずは色イメージ、質感、状態を意識して感覚を区分していくことかなと考えます。
ウイスキーに表現した実物が入っているわけがなく「代名詞化」に過ぎないわけですから、そこに伝わりやすいかそうでないかはあるにしても、正しいも間違いもあるわけがありません。あくまで冒頭の理由のためそうするに過ぎません。
黄色い、甘い、酸味もある、固い→「酸味と甘味のあるリンゴ」など。私の場合は単語オンリーは正確に伝わらないと思うので、単語に質感と状態をできるだけプラスするようにしています。そのほうがウイスキーから得たよりリアルな感覚を表現できるように思うからです。
もっとガチで考える場合、近年の認知言語学は参考にはなりますが、数学集合とリンクしてきてリアルとのすり合わせがイメージしにくいので、知覚や認識論でいうと「分解→本質取り出し」までがフッサールやメルロ=ポンティなどの現象学、「本質→再構築→新価値」でジャック・デリダの本はとても参考になりました。 特にこの本は素晴らしいです。まあそこまでするかという話ですけどねw 楽しめそうならオススメです。
http://goo.gl/2EjKTy
知覚の哲学: ラジオ講演1948年 (ちくま学芸文庫)
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