ライターの碇本学さんが、あだち充を通じて戦後日本の〈成熟〉の問題を掘り下げる連載「ユートピアの終焉――あだち充と戦後日本の青春」。第9回では、『ナイン』の内容について論じます。久々の少年誌への復帰で肩に力が入ったせいか、劇画時代の作風が抜けきらなかった第一話。しかしそこには、あだちが長年向き合ってきた「父なる存在」としての劇画への、あるメッセージが込められていました。
「ほんとうのデビュー作」とあだち充自身がインタビューで語る漫画『ナイン』は、彼にとっても原作付きではない初のオリジナル連載作品となった。本来ならば一話だけの読み切りで終わるはずが、運命のいたずらかのように二回目の予告が雑誌に載ることとなった。
あだち充は第一話では肩に力を入れすぎていたことと、原作付きの劇画を描いているようなやり方になってしまったことを反省し、おまけの第二話は「やりたいようにやろう」と決意した。あだちは少女コミックで描いていたネームの作り方で第二話を描きあげた。その第二話は掲載された号の読者アンケートでいきなり一位になる。そのまま月一回の連載が開始され、デビューしてからずっとヒット作に恵まれなかった男は、この作品でブレイクしていく。
『ナイン』という漫画は、その後のあだち充作品の土台(ベース)となった作品としても読むことができる。今回は『ナイン』という、あだち充にとって初のオリジナル長編連載作品における、キャラクターや展開などを取り上げていく。
「処女作には、その作家のすべてが出揃っている」などと言われることがある。皆さんも一度は聞いたことがあるだろう。実際、創作者の多くにそれは当てはまると私個人も感じる。ひとりの創作者が作り続けるテーマは、処女作や世に出た時の作品にすでに宿っている。そして、そのテーマを様々な角度から見つめて、削り出し、解釈しながら作り続けていくのが創作という行為ではないだろうか。
創作における進化とは螺旋階段を上っていくようなものであり、ひとつのテーマや関心のあるできごとが地の奥から宇宙の先へとまっすぐと伸びている。その周りにある螺旋階段をぐるぐると回りながら上へ上へと向かう。
ひとりの創作者が作る、向かい合うテーマは限られている。だからこそ、多くの創作者が必要になる。同じようなテーマでも個人ごとに向かうべき場所は違っていて、ある潮流が起きるときには同時多発的に複数で現れてくることもある。しかし、その先は本来それぞれ違うものであるはずだ。
表現の自由や創作における多様性を担保するためには、多くの創作者が個々の向かい合うテーマに向き合うことで、自分だけではなく他者やライバルを鼓舞しながら、自分の階段を上り続けるしかないのではないだろうか。
「劇画」という象徴的な父の呪縛
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