山下祐介氏:被災者を置き去りにした「復興災害」を繰り返さないために
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マル激!メールマガジン 2024年3月13日号
(発行者:ビデオニュース・ドットコム https://www.videonews.com/ )
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マル激トーク・オン・ディマンド (第1196回)
被災者を置き去りにした「復興災害」を繰り返さないために
ゲスト:山下祐介氏(東京都立大学人文社会学部教授)
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東日本大震災からこの3月で13年が経つが、被災地では今、「復興災害」とも呼ぶべき課題が表面化している。
確かに、高台移転した土地が整備されたり、津波から町を護るための防潮堤が作られるなど、一見復興は順調に進んでいるかのように見える。また、復興の過程で生活を再建できた人たちも多くいる。しかし、巨額の予算をかけて高台に造られた住宅地にはいまだ空き地が広がり、海を見ることができない巨大な防潮堤は人々から震災前の暮らしを奪っている。
何より問題なのは、復興計画に被災当事者の思いが込められていないことだ。復興計画の基本方針の中には必ずといっていいほど「被災者の声を聞く」という文言が含まれているが、実際それは形だけで自分たちの意見に耳を傾けてもらえていないと感じる被災者は多い。結果的に、復興計画は失敗だったと語る被災者もいる。
他の公共事業と同様に、大規模な復興計画は一度動き出したら止めることができない。目の前で進む大規模事業を目の当たりにして、自分たちが復興の過程から排除されたと感じる被災者も多い。
災害大国の日本では、これからも大規模な災害が続くことが避けられない。当事者を排除しない復興の在り方はどうあるべきかを今、考えておかないと、能登半島地震の復興でも、またその後の災害復興でも、同じ過ちを繰り返すことになりかねない。
宮城県石巻市雄勝町では、震災前に約4,000人いた住民が1,000人しか戻ってきていない。市の雄勝支所が主導し県が協力に推し進めた高台移転と巨大防潮堤建設という復興の方針に賛同できない住民は、早々に町外に移転せざるを得なかった。津波で18時間漂流した経験を持つ、雄勝町出身の阿部晃成氏は、「震災後に雄勝を離れた人は雄勝町民と見なされなくなり、復興の当事者ではないとされた」と語る。
巨大防潮堤は国を挙げての復興政策だった。2011年4月に発足した復興構想会議では、逃げる防災・減災という考え方が原則とされたが、同時期に始まった内閣府の中央防災会議での議論は、同じ被害を二度と起こさないためにハード面をどう整備するかが議題となった。安心・安全をどう実現するかが議論の中心となり、ひとびとの暮らしや生業といった話は置き去りになった。
東京都立大学教授の山下祐介氏は、国策としての巨大防潮堤や高台移転にNOを突きつけることは、津波で甚大な被害を受けた多くの市町村にはとてもできないことだったと言う。そして、それに納得できない被災者がひとたび地域を離れれば、その被災者は復興の当事者と見なされなくなってしまったのだ。
一方、同じ宮城県でも雄勝町とは異なる経緯を辿った地域もある。気仙沼市本吉町大谷地区も当初は町のシンボルでもあった砂浜を全て埋める巨大防潮堤の計画を示された。津波で多くの犠牲者を出したこの町でも被災者の意見は分かれた。しかし住民たちは、防潮堤に対する賛否をいったん横に置き、まずは住民の意見の尊重と計画の一時停止を求める署名を行った。その後、何度も繰り返し話し合いを続けた末に、最終的には計画変更が実現した。砂浜は守られ、国道をかさ上げして防潮堤を兼ねることで陸側のどこからでも海が見える形となった。
大谷里海づくり検討委員会の事務局長として当時、住民や行政との調整を中心になって進めた三浦友幸氏は、「行政の当初の計画に対して住民が具体的な対案を出すまでにはかなり時間がかかった」と、行政が提示した復興案に歯向かうことがどれほど大変だったかを語る。
一口に被災者といっても意見は多様だ。東日本大震災の被災当事者たちは、復興のためにそれぞれにまちづくりの会を作り、議論を重ね、声をあげていた。被災地に入った多くの専門家たちもそれを支援したはずだった。それでも巨額な予算と安全な国土を望む声と復興を急かす世論などに押され、一度動き出した計画は個別の被災者の思いなど受け入れる余地もないまま進んでいった。
能登半島地震から2カ月が経ち、いまだ1万7,000戸で断水が続く中、一刻も早いインフラ復旧が最優先であることは言うまでもない。しかし、避難が長期化し、住民が物理的にばらばらにならざるを得ない中で、山下氏はこのままでは再び被災者が望む形の復興につながらないことを危惧する。
さらに山下氏は石川県の復興対策本部が示した「創造的復興」という言葉にも疑問を呈す。復興の過程でこれまであった課題解決も図ろうとするこの考え方の背景には、過疎地は問題だらけなので切り捨てた方が良いといった発想が見て取れると山下氏は指摘する。被災地の人口減少や高齢化と、復興は本来は直接関係ないはずだ。
東日本大震災の被災当事者のインタビューも含め、能登半島地震の復興では同じことを繰り返さないためには何が必要なのかについて、『限界集落の真実』の著者でもあり過疎地の問題に詳しい東京都立大学教授の山下祐介氏と、ジャーナリストの迫田朋子、社会学者の宮台真司が議論した。
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今週の論点
・東日本大震災からの復興はなぜ失敗だったのか
・巨大防潮堤と高台移転をめぐる意見の対立-石巻市雄勝町
・巨大防潮堤計画を変更し砂浜を守った事例-気仙沼市の大谷海岸
・被災当事者の思いを吸い上げた復興を実現するために
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■ 東日本大震災からの復興はなぜ失敗だったのか
迫田: 今日は2023年3月8日、あと3日で東日本大震災から13年になり、高台移転や防潮堤の完成など、復興と呼ばれるものは一応終了したと言われています。しかしこれが本当に被災者が望んだ復興だったのかどうかということは、大いに検証が必要だと思います。元日に起きた能登半島地震の復興を考えていかなくてはならないタイミングで今日は、東日本大震災の教訓をどういうふうに次に繋げていかなければならないのかということを話していきます。
今日のゲストは東京都立大学人文社会学部教授の山下祐介さんです。山下さんは東日本大震災の後にマル激に出ていただいたことがあり、国主導の復興に疑問を投げかけていました。山下さんの新著『被災者発の復興論』では東日本大震災の復興がどうだったのかということが書かれていて、被災当事者の方も共同執筆されています。能登半島地震ではその教訓を伝えていかなければならないということで、お越しいただきました。
東日本大震災の時に色々な疑問を投げかけていた立場から、能登半島地震が起きた時のことについてはどのように見ていますか。
山下: 地震が発生した直後から、全員は救えないという話が出てきましたよね。ずっと災害を見てきた者からすればとんでもないステージに入ってきていて、そんなことをしていたら防災対策、災害対策、復興対策もできないような考え方です。それをしっかり検証しなければなりません。東日本大震災から13年経ち、被災者の方からも復興対策の問題について言葉が発せられるようになりました。もっとはやく言っていたら変わっていたかもしれませんが、13年という重みの中でようやく出てきた言葉がちゃんと伝わるのかどうかが非常に大事だと思います。
迫田: 被災当事者からしても、災害の全体像が見えるまでには13年の長さがかかったということでしょうか。
山下: 東日本大震災の復興政策が失敗であるということを、震災から3~4年目の頃に発信したのですが、その時は被災地から、よく言ったという声が寄せられました。しかしそれでも復興は失敗だという声が大きくなる方向にはいきませんでした。10年も経つと復興は失敗だと言っても良いという感じになりましたが、それだけ時間が経つと取り返しがつかないんです。政策は間違えないようにするということが基本だと思うのですが、それがリスクをとっても良いんだという賭けのようなものに転換しているのではないかということを考えていきたいと思います。
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