マル激!メールマガジン 2019年1月16日号
(発行者:ビデオニュース・ドットコム http://www.videonews.com/ )
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マル激トーク・オン・ディマンド 第927回(2019年1月12日)
医療基本法から始まる修復的正義のすすめ
ゲスト:鈴木利廣氏(弁護士)
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1999年は一連の「ガイドライン法制」が成立した年として、後の日本の政治や社会の針路に大きな影響を与えた年だった。
実は医療の世界でも、歴史的に大きな意味を持つ年だと考えられている。その年は、横浜市立大患者取り違え事件、都立広尾病院消毒薬誤注射事件と、高度な医療を行っていると思われた病院で起きたケアレスミスによる深刻な医療事故が相次いで起き、大きな社会問題となった。その後、安全な医療を提供する体制作りや患者の権利などが確立されていく、医療においても一つの大きな分水嶺となった年で、医療安全元年とも呼ばれる。
その医療安全元年からこの1月でちょうど20年が経つ。その間、より安全な医療が提供される体制の整備が進み、少しずつではあるが患者の権利が尊重されるようになってきた。
過去40年あまり多くの医療訴訟に患者側弁護士として関わってきた鈴木利廣弁護士は、20年前の2つの医療事故以降、世界的な流れから少し遅れながら、患者が安全な医療を受ける権利や自己決定権、学習権といった基本的な患者の権利が認識されるところまで辿り着いたと、感慨深げに語る。そして今、安全な医療と患者の権利を確立する上で重要な到達点となると鈴木氏が位置づけるのが、医療基本法だ。今年2月には超党派の議連が発足することになっており、早ければ年内の制定が期待されている。
医療基本法は日本国憲法が保障する基本的人権としての患者の権利の確立と、あらゆるステークホルダーの責任と権限を明示するもの。具体的には憲法の理念に沿って、その行政分野の政策理念と基本方針を示すと同時に、その方針に沿った措置を講じることを求める。基本法は医療過誤事件や薬害事件が発生するたびに制定され強化されてきた医療関連の個別法の親法に位置づけられるため、個別法に基本法と矛盾する点があれば、国会にはそれを是正する義務が生じる。
医療事故や薬害の被害者の弁護人として長年、医師や医療機関を相手どり訴訟を起こしてきた鈴木氏は、医療基本法の制定によって、患者と医師が対立する立場からそれぞれが正義を主張する「正義の取り合い」の関係から、両者が互いに信頼し協力しながらより安全な医療を実現していく修復的正義の実現へと移行していくことに期待を寄せる。
被害者と医師の対立を前提とせず、コミュニティーを巻き込んだ対話の中から被害者には補償と癒やしを、医師側には責任と贖罪意識を促し、社会復帰をサポートすることを目指す修復的正義の追求は、医師と患者とコミュニティーの三者が一体となって、より効果的に医療の安全を促進できる可能性がある。
また、医療分野で修復的正義が実現すれば、他の司法分野にもその効果が波及することが期待できる。もともと修復的正義の考え方が司法制度の中に組み込まれ実践されているニュージーランドやカナダは、先住民と後から入植してきた白人の間の和解に修復的司法が大きな役割を果たした。現在では多くの犯罪で、被害者と加害者、そしてコミュニティーの和解や癒やしに、修復的司法が貢献しているという。
不幸な医療事故を受けて始まった、国をあげての医療安全確立への取り組みから20年目を迎える平成最後の年に、鈴木氏と医療安全の現状と修復的正義の可能性などを、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。
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今週の論点
・患者の権利獲得の道のり
・日本の医療問題は、なぜ「応報的正義」に終止していたのか
・提出間近と目される「医療基本法」とは
・修復的正義を実現するために
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■患者の権利獲得の道のり
神保: 今回は大きなテーマとして、医療問題を通じて見る「修復的正義」というものを掲げました。漠たる正義の話ではなく、医療問題を通じて、正義がいかにあるべきか、ということを実際にずっと問うてこられた、世界の第一人者に、スタジオにおいでいただいています。弁護士で現在は明治大学の学長特任補佐、一昨年まで先生は明治大学の法科大学院でも教鞭をとられていた、鈴木利廣さんです。
さて宮台さん、僕らは1999年をさまざまな意味で日本にとって分水嶺となった年だと議論してきました。
宮台: 145回通常国会で、国旗国歌法、周辺事態法、憲法審査会設置法など、いろいろとできました。
神保: 先週の平成論でも話しましたが、そこからいろんなことが始まり、昭和から平成に体制変換をすることができず、社会も政治も経済も、見方によっては転げ落ちるように一つの道に進んでしまいました。その99年が、実は医療でも非常に重要な年だったということです。
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