ロンドンオリンピックの放映が日本でも始まった。オリンピックが、アマチュアの祭典で、参加することに意義がある、などといっていた牧歌的な時代は遠くに過ぎ去ったようだ。

1980年、第7代IOC会長としてサマランチ会長が就任すると、彼はオリンピックの商業化に大きく舵を切った。

プロの参加を認め、スポンサーシップを導入することで、IOCの財政状況が安定する一方で、オリンピックはスポーツの祭典というよりもスポーツの見本市と化し、商業路線をひた走ることになったのだ。

その結果、サマランチの商業化路線はオリンピックの競技自体にも大きな影響を与え、競技の性質を変えることになる。

参加することに意義があるのではなく、選手たちは半ばショールームの商品と化し、そこで誕生した数々のスター選手たちは将来を約束されるものの、苛烈なビジネスの世界に巻き込まれることにもなった。

だが、もっとも変化をもたらしたのはそうしたスター選手や彼らを狙うスポンサーではない。オリンピック競技の運営時間すら左右するようになったメディア、とりわけテレビ局の存在とその影響だ。