「破門状」「絶縁状」のいま
法の外側に生きるヤクザたちは、独自の掟を持っている。その掟を破った場合、課せられる制裁もまた独自である。そのなかで最も重いのが、ヤクザの根幹である親分子分の疑似血縁関係を解消する“破門”や“絶縁”処分だ。これはいわば業界からの追放で、驚嘆にいえば、ヤクザとしての死を意味すると言っていい。
破門は一時的、絶縁は永久的な追放処分だが、破門状は通常、すべてが黒い文字で印刷されているか、一部、朱肉で書かれているかによって、黒字破門と赤字破門の二種類に分類される。赤字の破門は絶縁と同じく、ヤクザへの復帰は不可能だと解釈される。本来、破門に赤字も黒字もなかったのだが、時代とともに破門や絶縁の理由が多様化していった。そのため処分の程度を細分化する必要が生まれ、破門と絶縁の中間的な処分が考え出されたのではないか。
【簡略化される処分】
こうしたヤクザ社会からの追放処分は、それを内外に広く公表する必要から、他団体にむけ、郵送やファックスでその内容が通達される。いわば事務的な連絡事項だが、かつてこうした破門・絶縁状は、ユニークな文面の宝庫だった。
文面の主題は「処分となった人間が、今後一切組織と無関係」であり、という通知に加え、要約すると以下のような記述が加えられることが多い。
「客分はもちろん、縁組み、商談、交遊などこの人間と一切の付き合いをしないように」
処分者が他団体に移籍するのを防ぎ、業界かが完全に追放する。もちろん、建前上は「お願い」だが、この願いはヤクザらしい暴力によって裏打ちされる。要するに、「処分になった人間を組員として拾うべからず。もしそんなことをすれば、我々に対する敵対行為とみなす」というわけだ。
また、それぞれの組織がそれぞれの立場で処分者を非難し、「犬畜生にも劣る悪逆非道の数々」「任侠道の風上にも置けぬ振る舞い」など、こみ上げる怒りをストレートにぶつける様子は、暴力社会らしい特殊な言い回しやセンテンスに満ちており、背景を想像するだけで興味がそそられた。
「何度も許してやったのにまた裏切ったとか、ヤクザとしてどうしても許容できないことをしでかしたとか、そうはっきり書いてはいなくても、なんとなく処分になった理由が想像できるものが多かったね。いったい誰が考えたのか、檄文のような熱い調子のものも少なくなかったよ。ヤクザらしい言い回しも多くて、一般人には理解不能な時もあったけど、俺たちにはその怒りがひしひしと伝わってきた。処分する人間も辛いんだろうな、と同情してしまうときもあったわな」(関東広域組織古参幹部)
当時は十通の破門・絶縁状があれば、十パターンの文面があったという。
考えてみればヤクザ組織はそれぞれが独立国家であり、シノギも境遇も十人十色だから、処分の理由を一口に説明するのは不可能で、オリジナリティあふれる破門・絶縁状が数多く生まれたのも、ごく当然の結果だったのだろう
だが、ここ数年、そうした回状の文面は、全国的に定型化され、同じような言い回しが使われるようになっている。以前のようなオリジナリティあふれる文面はほとんどなく、どれも非常にシンプルだ。内容はどれも似たり寄ったりで、感情は押さえられ、処分の理由や背景も明示されない。おそらく、九割以上がこうした回状ではないか。
言葉を押さえた分だけ、深い事情が察せられることもある。
「最近じゃいちいち処分の理由を書くことはなくなったね。処分になった事実を知らせるだけで、その他のことは一切書かれていないようだ」(同)
その代表例は、平成九年九月に出された一枚――山口組中野太郎若頭補佐(当時)の絶縁状だろう。
「絶縁状――謹啓、時下御尊家御一統様には益々御清祥の段大慶至極に存じ上げます。
元当組若頭補佐 中野会々長 中野太郎60才(神戸在住)右の者、平成九年九月三日付を以て「絶縁」致しました。右、念のためご通知申し上げます。敬具」(句読点編集部)
この絶縁状は、山口組宅見勝若頭暗殺事件に中野会の関与していたことが明らかになって出されたもので、当初、中野会長への処分はあくまで破門だった。後日、絶縁に切り替えられたのは、内外に中野太郎若頭補座の復帰の可能性が皆無であるということを宣言する意図が込められていた。
【本来の意義を無くしはじめる】
破門や絶縁も、もともとは血縁制度における関係断絶の手段である。素行が悪く、迷惑ばかりかける息子や親類を絶縁するといったことは、家族制度が重んじられた封建時代には、よくある話で、盃を媒介としながら、擬似的に血縁制度を真似たヤクザ社会は、そのため、絆を断絶する方法も、血縁制度のそれを模倣しているわけだ。
しかし、ヤクザ組織が肥大化すると、それはいつしか政治的な道具へと変化した。
「ヤクザを殺すに刃物はいらぬ。紙(破門・絶縁状)ひとつで充分だ。破門状や絶縁状がでれば一貫の終わり。力があるからといって、自分勝手なことばかりやっていれば、どんなしっぺ返しが来るか分かったもんじゃない。組織っていうものは実態がないだけに、本当に怖い」(自身、複数回の破門経験を持つ、在京の広域組織三次団体組長)
たとえば破門も絶縁も、本来は縁のある親分にしかそれを行う権利はないのに、今は執行部の名前で絶縁状が配布されたりする。これは内部の権力闘争の道具として使われる。この中野会中野太郎会長の絶縁状にも、親分だった山口組五代目渡辺芳則組長の名前はなかった。破門・絶縁が、その意義を無視して一人歩きを始めたわけで、そのため、適応の実際も、ひどく曖昧なものとなっているわけだ。
「明確な理由もなく、厄介者を放逐するような処分が増えると、処分の詳しい内容を明らかにすることができなくなったんじゃないか」(広域組織幹部)
処分する側に大義がなくなってきたため、破門・絶縁状がシンプルになった。だとすればこうした傾向はヤクザにとっても、あまり好ましくないのだろう。
ただ、文面以外の部分では、かなりの自由度となっており、一枚の破門状に、二十人以上の名前が列記されたり、破門状と絶縁状が一緒の印刷になっているケースもある。
「最近では処分になる人間が多いから、いちいちオリジナルの文章なんて考えていられないし、また、一人ひとりに破門・絶縁状を作っていたら、どうしても処理が煩雑になってしまう。中には一気に四十人の処分を一通で済ましたものもあった」
合理精神とはいえ、ずらりと名前の並んだ破門状はかなり異様な印象をうける。
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