音楽プロデューサー 津田直士の 「人生は映画 主人公はあなた」

【夢と夕陽】27. 『X JAPANの今』から『X JAPANとYOSHIKIの輝く未来』が はっきり見える理由 ③

2014/11/18 05:00 投稿

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 3. 名曲の不思議な力


 今から25年前の1989年。
 
 名曲、つまり「生きている曲」がきちんと刻み込まれたアルバム「BLUE BLOOD」がリリースされ、その「BLUE BLOOD」を引っさげたライブツアーとプロモーションツアーが全国で展開されるうちに、Xというバンドの存在は、どんどん日本中に知られていくようになった。

 派手なルックスや激しいライブパフォーマンス、そのエネルギーに惹かれていくファンの熱、さらにはメディアで徐々に明らかになっていく、ピュアで魅力あるメンバーの人間性などが、バンドの認知を広げていった。

 『何か凄いバンド、いるらしいよ』『型破りでスケールがデカくて、熱狂的なファンが急増しているみたい』『ライブ観たけど、凄かった。激しくてギリギリで、熱い!』

 おそらく、そんな会話が至るところで繰り広げられていたことだろう。

 そういったセンセーショナルなイメージの一方で、ファンだけが気づいていた、ある事実があった。

 それは、『見た目は凄く派手だけど、実は何より曲が素晴らしい』『曲をたまたま耳にした瞬間、心をつかまれて、一瞬にしてファンになった』『聴けば聴くほど好きになっていく』

 といった、作品に対する深く熱い反応と評価だ。

 名曲だけが持つ、不思議な力だった。

 ちょうど1年前の春に僕が切望していたのは、まさにこのような結果だった。

 願っていた通りの形で、Xの作品がファンに正しく伝わっていく様子が、僕には本当に嬉しかった。

 何より、そんな結果になることを信じて、何度もくじけそうになりながらも初志貫徹した「BLUE BLOOD」レコーディング中の苦労が、ちゃんと報われ始めたことが幸せだった。 

 

 このブロマガの【25周年記念特別コラム】「Album「BLUE BLOOD」の真実と・・・」(4月21日配信)に書いてある通り、Xというバンドにとって、作品が名曲である、という音楽的な強みが最重要ポイントであることを確信していた僕は、アルバム「BLUE BLOOD」の制作責任者として、大きな賭けをした。

 1988年、Xはまだメジャーデビュー前、社内的には新人ディレクターが新人バンドのデビューアルバムを制作する、という状況だったけれど、僕は誰にも相談せずに、とんでもない制作方針を「BLUE BLOOD」のレコーディングについて決めたのだ。

 それは、たとえどんなに予算オーバーをしても、『メンバーのこだわりを全て実現する』という常識はずれの方針だった。
 

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