2. 名曲の真理


 『X JAPANとYOSHIKIの輝く未来』が今、僕にはっきり見える理由のひとつは、前回から書き始めた、作品の力だ。
 
 つまり名曲である、ということだ。
 
 ところで、名曲とは一体何だろうか。
 
 僕はこの連載や「すべての始まり」で「100年残る音楽」や「名曲」という表現を多用している。
 
 あくまでこれらは僕の主観によるものだけれど、だからといって全く根拠のない、自分勝手な価値観だけで書いているわけではない。
 
 40年近く名曲を探し続けている僕が、心から実感している名曲の真理というのは、こうだ。
  
 『名曲は生きている』


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 確か小学2年生の頃だったと思う。

 僕は「バラが咲いた」を聴くたびに、何ともいえない気分になった。メロディーに心が強く惹かれていたのだ。不思議な感覚だった。
 
 その感覚が決定的になったのが、小学4年生、音楽の授業で聴いたバッハの小フーガト短調。
 
 切ないメロディーに耳を傾けているうちに、何ともいえない「あの気分」が極度に強くなり、心を鷲掴みにされたような衝撃が僕を襲った。
 
 その結果、泣きたいような気持ちが体中を支配して、僕は机に突っ伏してしまった。
 
 憶えているのは、その時の感覚が『心が涙を流しているような感じ』だったことだ。
 
 そして、あの「バラが咲いた」や「白いブランコ」、そしてベートーヴェンの交響曲第5番「運命」第二楽章や、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番といった、僕の大好きな曲を聴いた時の不思議な感覚が、全てこの感覚と同じだったことに思い当たった。
 
 その衝撃的な感覚との出会いによって、僕は音楽の神秘に目覚めた。
 
 会ったことのない人が生んだメロディーと、それを包むサウンド。
 
 それが時空を超えて、まだ小学生の僕の心を震わせ、揺さぶる。
 
 そして僕の心は涙を流す。
 
 何て不思議なことだろう。
 
 何て素敵なことだろう。
  
 それから僕は、家にあったクラシックのアルバムを全部聴いてみた。
 
 心が泣くような瞬間を求めて。
 
 どの曲のどの部分が僕の心を震わせるのか、おぼろげながら分かると、他にそういった曲がないか、探すようになっていった。
 
 僕の名曲探しの旅が始まったのだ。
 
 テレビでよく聴いた「学生街の喫茶店」、ドラマの主題歌で馴染んでいた「さよならをするために」 、オーディオ売り場でたまたま流れていた「Let It Be」・・・

 少し離れたスピーカーから流れる音が、自分の心を支配していくその不思議な感覚のとりこになった僕は、むさぼるように新たな名曲との出会いを求めた。