真面目な方はぜひご注意の上、ご覧下さい。)
実は僕、今までずっと、少しふざけて生きて参りました。
人生を死ぬ程真剣に考えて生き方の方針が決まったら
日々はある程度ふざけて生きる
という感じなんです。
・自由なものの見方をする
・肩の力を抜き、余裕を持つ
・楽しく捉え、面白がる
・新しい自分と出会う
といったことが含まれています。
普通なら真剣になりがちなところでこそ、最も威力を発揮する
のでした。
そろそろここを避けては通れないなぁ、と思い、今回ご紹介することを決意した
次第です。
では、これから僕の経験と、お勧めしたいふざけ方などを取り混ぜてご紹介して
いきたいと思います。
います。
をザワザワさせ始めました。
『 こうしたい、こうなりたい、っていうのが大事なんだ。』
いました。
遊んだり、お歌を歌ったり、みたいな事なんて、どうでもいいや〜、と思ったんですね。
自分にとって大事なことは、自分のために自分で選んで生きていこう、と思うように
なってしまったわけです。
気合いを入れていました。
早く答えを記入し終われば、テスト用紙を裏返して、好きな絵が書けるからです。
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コメント
『ふざける』には色んな要素がふくまれているのですね。
幼少期に、
『 ああ。きっと行きたい、と思ったら、本当はどこへでも行っていいんだ…。』
『 こうしたい、こうなりたい、っていうのが大事なんだ。』
といった大切な事に気付かれたということも、
世界史を勉強なさる時も、ご自身で今の状態を分析し、既存のやり方ではなく、自分のやり方で向き合い、好きになることで趣味となって、突破されたことも、
初めて人と会う時は、『心の中がふざけた状態』で、
『その人を観察しながら、その人のいろんなところを楽しみ』ながら、
『その人の魅力や長所を瞬時に見抜』いていらっしゃるということも、
共通点は、『ふざける』。
そこには、"物事を柔軟に捉える事"ができる感性と、
『自分』と『自分以外の全て』に完全に分けた上で、
"『自分』にとって大切な事を"見定めて、歩んで来られたお姿があること、
そしてさらに、何事も、"物事の本質を的確に"捉え、
時には『自分』『自分以外のすべて』と、
時には『クリアしたい問題』と、
時には『他人(ここでは、初めて合う人)』と、
向き合ってらっしゃるお姿があるのだ!ということが、伝わってきました。
ここからは、私の勝手な想像ですが、
もしかしたら、それらに向かう時の、
心は『フラットより少しだけ幸せな状態』だったのでは? それが、『ふざける』とも、実はちょっとつながっているのでは?と、想像を膨らませながら、読ませていただきました。
勝手に想像を膨らませ過ぎですね(笑)
すみません。
でも、『ふざける』事は、とても大切な鍵となるように思いました。
続きを楽しみにお待ちしております☆
(著者)
>>1
おお、素晴らしいコメント、ありがとうございます。
ちゃんと届いているなぁ・・・、と嬉しくなりました。
ブロマガを書く励みになります。
今後もコメント、大歓迎ですので、ぜひお気軽に投稿下さい!
(著者)
>>2
あははは、参りました。
その通りかも知れません。
確かに、ふざける、というニュアンスには幸せな要素が含まれていますよね、それは間違いないです。
深く、そしてしっかりと文章の意味を汲み取って読んで下さっているRuiki Kiraさんならではのコメント、
さすがです、そしてとても嬉しいです。
これからもよろしく!!
(ID:21859409)
津田さんの「ふざける」第二弾があるとは…www
今回も楽しく拝読させていただきました。ふざける、というのは、肩の力を抜いて…などの最初に挙げられているような意味合いなのですね。気合い入れてナンボ!という信念では?!と思っていたので、成る程合点がいきました。
そういった考え、物の見方、発想が可能で、自分に「こう思えばいいんだよ!」とコントロールの出来る津田さんだからこそ、(幼稚園児にして悟りをww)、常識に囚われない、そしてあの前例の無いバンドをプロデュースできたのだと、改めて感じました。
私も特に受験生の頃、自分を鼓舞する為に、手帳に偉人や哲学者の言葉を書き連ねたりしていたのを思い出しました。
その多くは程なくして、全てがYoshikiさんの言葉に塗り替えられるのですが…。理想、憧れの生き方をしてる人の言葉、キーワードです。「やってやれないことはない、やらずにできるわけがない」に始まり…というわけです。
あ!あと、自分が英語を習い始めた時に思ってた事。10才で英語教室に行ったのですが、スタートが遅いと言われました。でも、その時思ったんです。英語圏の子供達が日本人の私達より全員優れているわけではないだろうし、現に私達は日本語をこんなにペラペラに話せている。雪国の子供が物心つく頃にはスキーが上手い様に。車の運転然り、特別に優れた才能ではなく、これは慣れだ!だから英語で生活しているかの様に環境を置き換えれば不可能では無いはずだ、と。
そう思って根性で?しかも教材が他の学科と違いラジカセ使用でもOK、テキストも簡単なものから始められるので、中学でも得意科目になり、おかげで高校も英語だけで入れた様な結果になりました。
まだまだこのブロマガのテーマについて、津田さんに書きたいことも沢山あるのですが…なかなか文章にまとまらずにいます。。
また来週も楽しみにしていますね!