名曲「Endless Rain」が生まれた意義はとても大きいものでした。

 怒濤のライブが始まり全国各地で生のXを目の当たりにする人達にも、炸裂する激しさ
に満ちたライブパフォーマンスと共に、YOSHIKIがピアノを演奏する「Endless Rain」
が、Xの豊かな音楽性を伝えましたし、さらにセカンドシングルカットとしてCDがリリ
ースされると、「Endless Rain」は色々なメディアを通して、ライブはもちろん、Xの
存在すら知らない人達にも曲の美しさが伝わり始め、これがきっかけでXを好きになって
いく人達も増えていきました。

 また「Endless Rain」の誕生で「YOSHIKIが名曲を生む」ということも、ごく自然な
ことになっていきました。
 そして、もう名曲創りの源となる刺激、つまり名曲を生むための栄養のようなものを、
僕が提案したり、それを共有したりする必要はなくなりました。
 
 1990年夏。YOSHIKIと僕はパリにいました。
 「Endless Rain」を含む1st メジャーリリースアルバム「BLUE BLOOD」が大きな
セールスをあげ、その成果をもとにYOSHIKIの希望する作曲合宿を、パリで行ったのです。
 
 YOSHIKIはグランドピアノを備えたアパルトメントを借り、
 僕はそこから少し離れた、ホテルに滞在。
 カルチェラタンに近い静かな街は芸術の香りがしていました。

  一瞬の気の弛みも許されない激動の毎日が続いていた日本を離れ、忙しかった日々
にはままならなかった作曲に、YOSHIKIが思う存分集中するためのパリ合宿です。