ファン意識というものを、僕自身はどれだけきちんと理解しているのだろうか。

 そもそも僕は誰かのファンなのだろうか。
 
 僕にとってファンというのは、やはりXのファンが基本になる。

 日頃Xファンと接することの多い僕は、そのファン魂のようなものを目の当たりにして、いつもその深い愛と強いエネルギーに感心している。

 それに比べてしまうと、例えば僕はスティービー・ワンダーのファンだったはずなのだけれど、ファンとは言い切れない気がしてくる。大変ライトな感じがしてしまうのだ。

 Xファンがファンの手本だとしたら、決してスティービー・ワンダーのファンとは言えないな・・・と思ってしまう。

 だいたい、音楽の分野だと、自身が音楽家である僕は、誰のファンにもなれないのかも知れない。



 
 メンバーと同じように、僕はXのファンが好きだし、その存在をとても嬉しく思っている。

 それはやはり、誤解と偏見と闘っていた頃のXにとって、深く理解してくれたファンの存在がとても貴重で大切だったことが大きいだろう。

 Xというバンドは他のメジャーな日本人のアーティストと比べると、コア性が極めて高く、バンドがちゃんと日本一の座を獲得し、時の首相がファンだと公言しても、Xファンは何となく公に自分がファンだと言いづらい、という不思議なメンタリティがある。

 日本一どころか、復活後ワールドツアーを成功させ、マディソン・スクエア・ガーデン公演やウェンブリー・アリーナ公演を成功させた、もはや世界的なアーティストである今となってもなお、その気配は消えていない。

 そこはむしろ凄いことだと言わざるを得ない。

 なぜならファンが「薄くない」ということを意味しているからだ。

 日本では稀有な、世界的な存在となりつつあるバンドのファンが、日頃まるで隠密の者であるかのように、気配を隠している・・・。

 凄いことではないか。



 さて、そんなXファンは、日頃気配を隠しているが故に、ひとたびファン同士が集い、お互い安心して会話できる状態になると、凄まじく「濃い」空気に一転する。