7月17日、横浜アリーナ最終日に招かれ、貴重なライブを観ることができた。
用意されたボックス席は、上手側の上の方に位置しているため、右斜めにステージが見える。
この位置のおかげで、今回のライブの奇跡がすべて、メンバーとファンがひとつになって起こしたものであることを、僕は深く確信できた。
何より、音楽家である僕が驚いたのは、ファンの歌声の素晴らしさだった。
力強く美しいその歌声は、オーディエンスのものではなかった。
本来、ステージで披露されるレベルのものだった。
僕が観たのが最終日だったから、その声にも磨きがかかったとは予想できるけれど、少なくともこの日に観たような観客のパフォーマンスを、僕は見たことがない。
おそらく通常ではあり得ないことだろう。
その美しく力強さに満ちた、ずば抜けたレベルの歌声を生み出したのは、首の手術をしたYOSHIKIに対する、ファンの想いに他ならない。
5月、手術をしたYOSHIKIが2ヶ月後に迫った公演について、延期か決行かの判断を下すまでの期間、YOSHIKIの身体を心配して延期を望むファンの声を、僕は無数に見た。
長い間メンバーが躍動する姿を観る機会がなかった記憶を持つファンにとって、身体に万が一のことが起きるくらいなら、何ヶ月でも何年でも待つ方がずっと良い、という気持の表れなのだろう。
そんな中、身体の負担を最小限に抑え、クリエイティビティの力で約束通り7月、ファンに夢を見せることのできる方法として、ドラムスを一切使わない、アコースティックスタイルのライブという選択をしたYOSHIKIに、ファンはそれぞれの想いを胸に、ライブ会場へ向かったことだろう。
そして始まったライブは、通常のX JAPANのライブと違って、ドラムスの存在が導き出す爆音は、一切なかった。
メンバー全員とストリングスセクションの生み出す音は、ひたすら美しく、愛に満ちていた。
だからファンは気づいたのだろう。
自分たちの想いを歌にしてメンバーに届けることで、共に美しい音楽を奏でることができることを。
僕がその美しい歌声を最初に耳にしたのは、KISS THE SKY が始まって少したった時だった。
その美しさは、まるで一つの映画を観ているようだった。
右斜めからステージの音が響く中、左から前方を中心に、ステージを囲む全ての空間に、無数のファンの『想い』がこもった美しい歌声が響いた。
その美しさは、メンバーと運命共同体を包む愛そのものを表していた。
小さな頃、庭にある大きな石を好奇心で動かすと、そこにはそれまで気づかなかった、色々な生きものがいた。
ちょうどあれと似ている、と僕は思った。
X JAPANのライブでありながら、YOSHIKIのドラムスがない。
そのことから、通常のライブで鳴り響くドラムスの存在の大きさに、僕は改めて気づいた。
YOSHIKI以外のメンバーも、きっとそこに気づいていたから、入念なリハーサルを望んだのだろう。
その結果、メンバーとストリングスセクションが織りなす演奏は、いつにも増して素晴らしいものになった。
YOSHIKIも同じだっただろう。
ピアノ演奏と全体のアレンジ、そして6公演の内容について、ドラムスがないというマイナスを感じさせることなく、ファンをきちんと喜ばせたい、感動させたい、という気持が伝わってくる、特別なものだった。
YOSHIKIのピアノとストリングスが、見事なまでに一体化した演奏を聞かせてくれたことに、僕は感動した。
それにしても、今回の演奏で一番驚いたのは、TOSHIのボーカルだった。
僕はウェンブリー・アリーナ公演で、TOSHIの歌がかつてない高みに達していることを感じたのだが、今回のTOSHIは、その歌の素晴らしさに、もっと別の凄さが加わっていることを感じた。
それは『心』または『精神』が生み出す凄さだった。
歌はテクニックではなく『心』だ、とよく言われるが、まさに今回TOSHIが見てくれた凄さは、そういった、TOSHIの心の内面が生み出すエネルギーによるものだと僕は思った。
これは、同じ「歌」という意味で、先ほど書いた「ファンの歌声」の話とも重なる。
ファンの歌声が素晴らしかったのも、ファンの『想い』が生み出したものだから、まさに歌はテクニックではないのだ。
TOSHIの場合は、ファンと同じように、YOSHIKIや自分自身を含むバンドそのものへの想いもあっただろうが、加えてやはり、『WE ARE X』で明らかになった、TOSHIがYOSHIKIとの会話をきっかけにX JAPANへ復帰したことへの深い想いがあったのだろう。
自ら選んだバンドとの決別、そしてHIDEとの別離、再結成、TAIJIの死・・・
それらを乗り越えた後、TOSHIが感じている、今のX JAPANと世界中のファンという特別な時間から生まれてくる気持を、TOSHIはすべて歌にしているのだろう。
それはちょうど、2014年の秋に、僕が『YOSHIKI自身がXになった』感じたことと、とても似ている。
きっと、僕達にはわからないところで、TOSHIは精神的に何か、新しいところに達したのだろう。
17日の夜、僕が目にしたものは、見事に溶け合ってひとつになった、X JAPANというバンドとファンのあまりに美しい姿と時間だった。
その奇跡を、特別な想いで受けとめていたのは、メンバーやファン、そしてスタッフと、自分を取り巻くあらゆる人の愛に包まれていたYOSHIKIだ。
もうここ何年も、その幸せを痛いほど感じ、その幸せに応えるためにも、そして今は心の中にいるHIDEとTAIJIの悲願を共に叶えるためにも、どんな苦しみにも痛みにも耐えて、自分との闘いを続けるYOSHIKIは、この6公演で改めて、その奇跡のような幸せを目の当たりにした。
YOSHIKIはそのことへの感謝と前進して行く自らの決意と気概を、今の自分にでき得る限りの力を尽くし、ステージで表現した。
それは、決して人に甘えないYOSHIKIらしい姿だった。
そう、自分の限界ぎりぎりまでを自分と闘い抜くことで愛を表す、YOSHIKIらしいやり方だった。
そんなYOSHIKIだからこそ、痛みを堪えてファンに向かってお辞儀をして、ステージの最後に叫んだ『愛してるぜ』という言葉は、今までのYOSHIKIには決してあり得なかった、本当に今回のステージならではの、特別なものだった。
もはや、YOSHIKIは自分のすべてをメンバーとファンに見せることで、自分が受け取っている愛への答えとしたのだろう。
そして、そこまでの姿を見せた背景には、また新たなYOSHIKIの決意を、僕は感じ取ったのだ。
ファンに向かって叫んでいた、決して諦めない、負けない、という姿勢のもと、どこか「死」へ向かう精神性が基本にあった過去とは違い、生きて、生きて、生き抜いて、悲願を達成させる、という強い決意を、僕は感じ取ったのだ。
今回僕は、終演後、YOSHIKIに会うことを決めていた。
会ってYOSHIKIに伝えたいことがあったからだ。
僕ができることを、きちんとやることを、YOSHIKIに理解し、喜んでもらおうと思ったのだ。
幸い、短いけれどその会話は思った通りに実現できた。
ただ、僕は今回のライブを観たことで、そしていま書いてきたような内容を感じ取ったことで、僕はYOSHIKIに伝えるメッセージを更にひとつ加えることにした。
そのメッセージは、もしかすると僕が今伝える意味があるのかどうかわからないくらい、当たり前過ぎるメッセージだった。
けれど、この2年間で、僕にはちゃんと僕なりの役割がある、と気づいたから、そのメッセージを僕は心を込めてYOSHIKIに伝えた。
僕は、今回の6公演が無事成功に終わり、見事に奇跡が起きたことへ、心からおめでとう、とYOSHIKIに伝えた後で口にした。
『よっちゃん、今夜ステージで起きた奇跡は、X JAPANにしか起きない、特別なものだと僕も思う。よっちゃんがそのことを本当に貴重に感じて、深く感謝しているのは、観ていてすごく伝わった。メンバーもファンも、素晴らしかったよね・・・。でもね、その全ての奇跡はね、みんな、よっちゃんの生み出す音楽から始まっている。もしもX JAPANにしか起こせない奇跡があるとしたら、それはみんな、音楽の力だと、僕は思う。だからよっちゃん、安心して、自信を持っていてね。これからも身体に気をつけて、よっちゃんにしか生むことができない素晴らしい作品を大切に形にしていってね』
2017年7月17日。
僕は、自分が30年変わらない旅を続けていることに気づいた。
それは夢のように幸せな旅だ。
この僕の旅の向こうには、いつも大切なものが光り輝いて待っている。
それは、YOSHIKIの、X JAPANというバンドの、そして運命共同体の
『光輝く未来』なんだ。
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