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コメント
確かに自分が無知なことにおそろしく鈍感な人が多いと感じます。
特に社会的なステータスの高い人ほどエフィカシーが高い人が多いでしょう。新たなゴールがなくなると高いエフィカシーだけが残る。それで自分の知識不足がスコトーマとなって見えなくなるんでしょうね。
つまり、先生のおっしゃるようにやはりゴールのない事が問題ということになりますね。ゴールがないと自分の無力感を感じることは少ないですし、ある種の幸せとも思いますけど、それは会社とかの自分以外のゴールに巻き込まれた奴隷の人生か、もしくは動物的欲求に翻弄される人生でしかないと思います。
私はなんとしても社会のカラクリを追求していこうと思います。まだその段階です。自分の無知に嫌気がさしますけど、気づいてしまった以上、やるしかありません。
自分の欠点を一番厳しい角度から見ても全然余裕で改善出来るようなのを、本当の『エフィカシー』ってしよう。
確信とかとも繋がるね
多くの人は、自分が不幸だとさえ気づかないまま仕事をし、生活しているのです。自分がどれだけ社会的に問題があることをやっているかわからないまま生きていくのに比べたら、自分の現状に不幸を感じられるほうがはるかにマシです。
そんなわけないと思う。どうしようもなく、つらい思いしてると思う。
(ID:35801599)
観測者は誰ですか?問題。
そもそもどのように(前提)の設定の時点で、恣意的になることは避けられない。
そこに自覚がないと、セルフイメージに沿った解釈しかあり得ない。
見えない。
なぜ私達の世界には言葉が溢れているのか。
この事は私達の存在に、そのまま関わってくる。