こさいたろうの子育て日記 「ピカピカの一年生(1)」
※今回は、映像はありません
ゴールデンウィークも終わり、梅雨入りまではしばらく過ごしやすい季節を迎えますが、皆様いかがお過ごしでしょうか。平素、お世話になりっぱなしにもかかわらず、すっかりご無沙汰しておりますこと、お許し下さい。
さて、我が家の一人息子・悠も、この4月からとうとう小学生になりました。7年前、誕生の時の感動は、今も色褪せることなく脳裏に焼き付いておりますが、年月の経つのはあっという間、まさに、光陰矢の如し、です。誕生の際には、みなさまから心温まる祝福を受け、その後も皆様に見守られ、励まされ、支えられ、成長させて頂けることに、心より感謝しております。
http://bit.ly/10kwtyJ (こさいたろう父親になる!2006/06/28)
その上で遅ればせながら、皆様にご報告させて頂きます。
実は、息子はこの4月から、山梨県南アルプス市にある「南アルプス子どもの村小学校」という学校に、元気に通っております。
http://bit.ly/18PmeXb (南アルプス子どもの村小学校・公式サイト)
もちろん東京から通えず、子どもの成長の様子から学校併設の寮生活も尚早と判断し、学校の近くにアパートを借りて、そこから通っています。私は東京、妻子は山梨、の生活を選択しました。
地域の方々に支えられ、育てられ、港区議を13年、港区で政治活動を始めて19年、青山・赤坂地域に住まいして30年のこさいたろうの息子がなぜ、家族が離れて大丈夫なの、とのお声が聞こえそうでありますので、この場をお借りして、私たち家族の決断の背景やら、思いやらを、数回に分けましてお伝えしたいと思います。
こさいたろう(小斉太郎)
こさいたろうの子育て日記 「ピカピカの一年生(2)」 僕ら(こさい夫婦)が行ってみたい学校だった(チャイムなし・テストなし・通知表なし… 子どもが楽しいと思うことが出来る自由な学校)
創設者で、今も理事長であり校長の堀真一郎さんはもともと大阪市立大学の教授だったのですが、イギリスのニールという人がつくった「子どもを学校に合わすのではなく、学校を子どもに合わせる」「世界で一番自由な学校」に共感し、大学教授を辞めて、日本にそういう学校をつくりました。初めにできたのは和歌山県で、1992年にさかのぼりますが、その後、全国4カ所に同じような学校を開くことになり、今に至っています。一番新しい学校が、息子の通う「南アルプス子どもの村小学校」です。
で、どんな学校かという事なんですが、なるべく簡潔にお伝えすると…。
国語も算数も理科も社会も、先生が黒板を使って教える授業はありません。1年1組みたいな教室もありません。「プロジェクト」という学年縦割りのグループがいくつかあり、それぞれのテーマに応じて子どもたちが手掛けることを話し合って決め、その目標を達成させるために、自ら調べ、みんなで相談して進めていく中で、いろいろなことを覚えていく、というスタイルです。「大人が教え込む」というのではなく、「子どもが自ら学ぶ」そして「大人はそれをサポートする」という感じです。だから、先生の授業をおとなしく聞くという時間は少なく、ほとんどが、子どもがワイワイやりながら、やりたいことを追及していくという一日を過ごします。
例えば、「クラフトセンター」というプロジェクトがあるのですが、「こんな遊び道具あるといいよね」てな感じで、いろいろ調べる。図面や完成予想図を作る。材料を調達して、みんなで力を合わせて作る。わからない言葉があれば調べる(国語ですね)し、図面を作るには算数も必要になる。材料を加工するのは図工という事になるでしょうか。自分たちの楽しい遊び道具を何としても完成させたいので、自ら進んで学ぶんですね。僕らは、こういう学校に惹かれました。そして、息子は「劇団みなみ座」っていうプロジェクトを選んだそうです。学校の春まつりでは、早くも「影絵」を上演しました。妻の話によると帰宅後、一言のセリフを覚えるだけなのに、頭で覚えた台本を全て文字に起こしていたそうです。面白いです。
ちなみに、そんなふうで中高生になって学力は大丈夫なの?とよく聞かれるそうなんですが、一般の高校に進んだ卒業生の成績は総じて高いそうです。まあ、うちの子は「私」の子なので、その点を考慮して選んだわけではありませんし、ほとんど期待はしておりません(笑)
こさいたろう(小斉太郎)
こさいたろうの子育て日記 「ピカピカの一年生(3)」 子ども自身が「南アルプスに行きたい!」とはっきり意思表示した
息子は、生まれてから一度たりとも、親から離れて夜眠り、朝起きたことがありませんでした。あんなに大好きなじいちゃんやばあちゃんのうちにも、一人で泊まりに行くことは拒んでいました。
でも、この学校を2月に見学し、もしも入学するには2泊3日の宿泊体験が必要と分かりました。学校では、「子どもが行きたいと思うか」どうかが最も重要だという事で、学力試験も親の面接もありませんが、この「体験」を考査の機会としているわけです。息子は、少し悩んでいましたが、「行く!」と申し出ました(後でわかったのですが、悩みのもとは「おねしょ」でした(笑))。覚えたての文字で「南アルプスに行きたい」と、その理由を記した手紙も書きました。
体験までの間、不安はあったようですし、2泊目の夜はホームシックで泣いていたそうですが、体験後も思いは変わらず、迎えに行くや否や「この学校に行く」としっかり申しておりました。
「こんな学校に行かせたいな~」という親の気持ちを無意識に斟酌しているような感じもして、少しだけ複雑な思いもよぎりましたが、ともあれ、息子本人の意思・決断は、僕たち夫婦の背中を大きく押しました。楽しく学校に通う息子の様子を見て、よかったな、と思うとともに、正直ホッとしています。
こさいたろう(小斉太郎)
こさいたろうの子育て日記 「ピカピカの一年生(4)」 こさいたろうの選挙と、落選と…
息子は、私が港区長選挙に落選・浪人中、港区議会に再挑戦の前年に生まれました。妻が派遣の仕事を続けられなくなり、牛乳配達をしていたのも今ではいい思い出です。
http://bit.ly/YqVt9W(こさい太郎の素浪人生活 その5)
そして、生後10か月にして「選挙事務所デビュー」。父親の演説を耳にしていました。少し大きくなると、スーパーへの買い物に街宣車で行くこともありました。その後、5歳の時には原発都民投票条例・直接請求の運動ではビラ配りも覚え(選挙運動ではない)、先の衆院選では街宣車の至近に陣取り「父ちゃんの言う事があってる」と、たぶんほとんど理解できない演説を一人最後まで聞き、拍手までしてくれる、一番の支持者でもありました。本当に励まされ、勇気づけられたことは確かです。ただ…
子どもがのびのびと育つという意味では、こういう環境でいいのか、という思いというか悩みも心の片隅にありました。そして、落選…
もしも当選していれば、国会までは最寄りの乃木坂から地下鉄・千代田線で二駅。おそらく、子どもがもう少し大きくなるまでは、40平米のマンションにそのまま住んで、近くの小学校に通う事になっていたのだと思います。しかし…
落選し、子どもの将来について改めて考えることとなりました。いわゆる財産という意味で、何も残してやれない僕たち両親がしてやれることは、自らの足で立ち、自らの足で進んでいける、そういうふうな大人になるために必要な環境を与えてやることだけではないかと、強く思うようになりました。そして、僕たちの思いに近い学校が、山梨の南アルプスというところに見つかりました。
こさいたろう(小斉太郎)
こさいたろうの子育て日記 「ピカピカの一年生(5)」 悩んだこと(家族が離れること・地域に育ててもらうという事…)
ただ、大いに悩み、迷いました。
まず、家族が離れて暮らすこと。堀校長からも「あまりお勧めはしない」と言われていました。家族三人が補完しながら生きてきたこれまで、特に子供に夫婦(母父)が補ってもらうこと大なる中、バランスが崩れてしまう、何より子どもにとって家族がそろって暮らすことが最も重要ではないかと、悩みました。しかし、結論としてはご報告の通り。子どもの成長過程や親子の関係を僕たちなりに振り返り、「これまで支え合ってきた家族だから多少離れても大丈夫」と判断しました。さらに、参院選に挑むにあたり、東京で一緒に暮らしても朝晩会う機会は極端に減ることが想定されましたし、背水の陣で全力投球するには、子どもとの時間は犠牲にせざるを得ないとも考えました。
次に、子どもの「育ち」の環境。
まずは、子どもの体が大きくなり続ける中、今でも家が狭すぎる。かといって、都心・港区で住まいを移る経済的環境にもない。これ、実は大きかったです。もう少しでも広い場所で育てたかったのです。
それと、これは誤解を恐れずに言います。中学受験を考えなくていい環境で育てたかったという事。僕たち夫婦は二人とも受験で私立中学校に通っていましたが、自分たちと比べてのびのび自由に育ってほしいというのが二人の共通の思いでした。正直、受験させ、通わせる経済力に不安があることも一因です。港区では半数以上の子どもが中学受験をするといわれており、僕たちの思いとは環境が異なります。言うまでもなく、それぞれの選択があり、僕は自由な選択を尊重致します。どっちが良くてどっちが悪い、などという考えは毛頭ありませんが、これが僕たちの決断でした。
さらには、なるべく自然に近い、空の見える、土のにおいのするところで育ってほしかった、という事もあります。これも、都心で育った僕たち夫婦の共通する希望で、生きる力の若干不足すると自認する二人にとって、子どもにとって必要な環境と考えました。これも、そうでないから悪いなどという事は決してありませんが、僕たちは選択しました。
地域に子どもを育ててもらうという事。これも考えさせられました。消防団の仲間、町会・商店会やお祭りの皆さん、同じマンションのおばさんやおじさん、近所のお店の人たちやミッドタウンのお姉さんなど、多くのおとなの方と関わり、見守られ、我が家の息子は育てて頂きました。本当に感謝しています。このまま、温かい皆さんに囲まれて大きくなっていくことにも大きな幸せがあるものと確信します。でも、そのことを含め考えて出した結論が、「南アルプス子どもの村小学校」への進学です。どうかご理解賜りたく思います。そして、僕ら親子にとっての心のふるさとは青山であり、赤坂であることに変わりはありません。どうか引き続いてご厚情賜れば幸いです。
お金のことも考え、悩みました。書くかどうか迷いましたが、隠しているようで嫌なので、書きます。小さなアパートを借り、学費もあるので、それなりにお金がかかります。僕は、参院選にかけますが、万万が一落選した場合は、マンションを処分してそれを今後数年の学費に充てることにしています(ローンを差し引いてその位は残るはずなので)。生活については、夫婦でゼロから、政治家であったことを忘れ、汗水たらして働く仕事に厭わず就こうと決めています。ただ、これは、万万が一の話しであり、国政を担う決意に一転の揺らぎもない、という事は、特にお伝え申し上げます。
こさいたろう(小斉太郎)
こさいたろうの子育て日記 「ピカピカの一年生(6)」 政治家として(教育や保育の環境を自由に選べるという事)
僕は政治家として、「選べる教育」「選べる保育」を常に提唱してきました。
憲法・教育基本法・学校教育法・児童福祉法など、今の教育や保育の環境を規定する様々な法令があり、もちろん一朝一夕に実現させることは出来ませんが、人々が「行かせたい」と思う学校や幼稚園・保育園を選べる社会に、ひいては、人々が「作りたい」と思う学校などを自由に作り提供できる社会に変えていきたいと思っています。学校などを「作る自由」と「選ぶ自由」が必要だと思っています。
今の公立学校中心の制度のまま(役所が箸の上げ下げまで指示する制度のまま)では、多様な教育は生まれず、多様な人材は育ちません。国が決めた教育方針に問題点があれば、すべてにその影響が及んでしまいます。「一斉・画一」と言われる日本教育の弊害です。多様な教育スタイルがあれば、その中で多くの方が普遍的価値を認める教育内容は、自然と広く採用されていくはずです。もはや、役所に任せるべきものではないと思います。
地域の特性に応じて教育が行われる学校があってもいいし、ある理念に従って教育が行われる学校があってもいい、と思うのです。選ぶのは親であり、子どもであるべきです。今のところ大きな課題として取り上げられませんが、僕は、取り除かれるべき社会的規制と思っています。各家庭の経済環境で選択が出来なくなることは避けねばなりませんから、僕は、具体的政策として「バウチャー制度」が望ましいと考えています。税金の使い道を、教育を受ける主体者に委ねるという事です。選んだ学校などに、お金の代わりにバウチャーを渡すという制度です。このことによって、学校などは選ばれることになります。どんなことがあっても存続するという事にはなりません。選ばれる教育をする必要に迫られるわけです。
成熟した日本社会の中で、お上(おかみ)から与えられた教育内容で、均質な成人を育てることはすでに妥当性を失っています。多様な教育で、多様な能力を有した人材が、それぞれ連携して社会の発展を目指すことこそ、これからの日本社会に求められているものと確信します。おそらく、多くの方がそれに気づいているからこそ、比較的経済的に余裕のある都市部で、私立中学校に進学させるご家庭が増えているのではないでしょうか。
長くなるので、改めて、この問題については論じたいと思います。とにもかくにも、今回、僕自身が子どもの教育を「選ぶ」ことと致しました。理事長・校長の堀さんが仰るように、「子どもの村小学校」は「変わった学校」です。でも、僕は「一斉・画一」教育に収まらない学校と捉えています。「いろんな学校」があっていいと思うんです。一つの価値観で人々を、特に子どもを覆ってしまう事は決して豊かな社会を創り出さないし、はみ出たものを排除する暗い社会に繋がってしまうと思います。何より、その価値観に万が一誤りがあった時、全く修正が効かない社会になってしまうと思うのです。みんなが「選べる」社会をつくるためにも、今回の決断を活かしたいと、政治家・こさいたろう(小斉太郎)として密かに決意しているところです。
さまざまなご感想、受け止め方があると存じますが、是非とも僕たち家族の決断をご理解頂ければと念願しています。「変わった学校」については、今後も折を見てお伝えしたいと思っています。「変わっている」ことが「まずいこと」か、皆さんとともに考えていければと思っています。
また、こさいの拙い文章を補足するものとして、作家の高橋源一郎さんの取材記事があります。併せてお読み頂ければ、かなりイメージをつかんでいただけるものと思います。
http://bit.ly/Yr5Pqu(高橋源一郎の「南アルプス子どもの村小学校」訪問記:GQ JAPAN 2013/04号)
何卒今後ともよろしくお願い致します。
最後までお読み下さり、誠にありがとうございました。
ご意見やご感想もお気軽にお寄せ下さい。
こさいたろう(小斉太郎)
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