はじめから よむ (第1回へ)

 死んだ魚のような目をして遠くを見つめながら「はははははは」と小声で笑う僕をまったく気にせず、ヨコリンはアドバイスを始めた。

「説得の基本は、呪文だぜ!」

 呪文。あれか。火が出たり、風を起こしたり、凍らせたりできる不思議な力のことか。

「もっとも、ここで言う呪文っていうのは、火や風や氷の呪文のことじゃないぜ!」

 違うのか。確かに仲間を勧誘するのに火とか氷を出してたら大惨事になる。

「『いただきます』『さようなら』なんていう基本的なあいさつ、これが呪文だぜ」

 え?

「『いいてんきだね』『ごはんおごるよ』なんて日常会話、これも呪文だぜ」

 ん?

「『おれがまもってやる』『キミをだきしめたいよ』なんて殺し文句も、立派な呪文だぜ!」

 えええ?

「もう、わかっただろ? 相手に向かって発するコトバ、そのすべてが呪文なんだぜ!」

 なんだその理屈。またそんな理屈を。あああ、ちくしょう頭痛い。

 言葉すべてが呪文。そんなの考えたこともなかった。

 しかし、よくよく考えてみれば、こいつが言う事がまるっきり的外れとも思えない。

 聞いたことがある。言葉には神秘的な力が宿るという。

 よい言葉はよいものを招き、悪い言葉は悪いものを招く。言霊、というやつだ。

 言葉には力がある。それは間違いないと思う。

「コトバで言わないと気持ちは通じないからな!」

 たしかに。その通りだ。

 僕が他人とのコミュニケーションを苦手としている一番の理由も、言葉をうまく使うことができないからだ。ことばで言っていないから、僕の気持ちは伝わらない。至極わかりやすい理屈だ。呪文を使いこなすこと、それこそが仲間を勧誘するための第一歩らしい。

 相変わらず僕は無言のままだったが、次第にヨコリンのアドバイスを真剣に聞き始めていた。

話を熱心に聞いている事がヨコリンにも伝わったのだろう。ヨコリンはさらに語調を強めた。

「相手が欲しいと思っている呪文を、的確に判断して唱えるんだ!」

「そうすると相手もうれしいからな!」

「相手が喜ぶことを言う、これぞ勧誘の極意だぜ!」

 たしかに僕も、さっきドレアさんから「仲間をお探しなのね?」と的確に言い当てられた時、えもいわれぬ興奮を味わった。あれか。今思えばあれも呪文だったのだ。

 あれと同じことを今度は僕がやればいいのか。でも相手がどんな言葉を欲しているのかなんて、どうやったらわかるのか? ヨコリン! 教えてくれヨコリン!

「そんな血走った目で見るなよ。オマエ、誤解されやすいタイプだな!」

 そうかもしれない。

「相手の欲しがる呪文を見抜く方法を知りたいんだろ? オレサマにはわかってるぜ!」

 わかってるのか。すごい。どうやらヨコリンも、なかなかの呪文の使い手らしい。

 いや。違うか。

 ヨコリンがすごいんじゃない。きっと今の僕が、破滅的にダメなだけなのだ。

 そこらにいる人もたぶん無意識に、相手の欲しがる言葉を察して、呪文を唱えてる。

 おとなも、こどもも、誰でもみんなそうなのだ。人付き合いってそういうものだ。

 僕にはその人付き合いの能力が、圧倒的に欠けている。

 だからこそ今、人間ですらない緑色の怪物に、人付き合いとはなんたるかというレクチャーを受けているのだ。これほど屈辱的なことはないだろう。だってコイツ人じゃないんだもの。ごぶりんだもの。みつを。みつを関係ない。みつをはゴブリンじゃない。ちくしょう!

 僕はまたも自分の情けなさに落胆し、自分の恥に潰されぬよう、必死で唇を噛み締めた。

「オレサマはオマエの師匠だからな! なんでもお見通しだぜ!」

 僕はいつのまにかゴブリンの弟子にされていた。屈辱が二乗で襲ってきた。

 僕がもしガチムチのマッチョだったら、お前なんか万力使ったみたいに潰してやるのに!

 ガチムチのマッチョになりたいと願ったのは生まれて初めてだった。

 偉そうにふんぞり返りながら、ヨコリンが話を続ける。

「説得のコツは相手の好みを知ることだ」

「見た目や立ち振る舞いにも、手がかりが大量に隠されてるぜ」

「相手が言う第一声を聞き逃すなよ。それは重要なヒントだぜ!」

 相手の見た目や第一声から好きなものを推測する。今の僕には難問だが、今までどうすればいいのか皆目見当もつかなかった仲間の勧誘へのとっかかりができた。これは人類にとっては小さな一歩だが、僕にとっては大きな一歩だ。なんてちっぽけなんだろう、僕。

「見たところ、オマエはひとつも呪文を使えないらしいな」

「たとえ相手の好みがわかったとしても、肝心の呪文が使えないんじゃダメだぜ」

「オレサマがオマエに、いくつか呪文を教えてやる! 感謝するんだな! ゲヘヘヘヘ!」

 うわあ。こいつゲヘヘヘヘって笑うのか。なんて小物っぽいんだ。

 ゲヘヘヘヘと笑う時、ヨコリンは目も口も大きくつり上げ、本当に楽しそうにする。

 悪魔を思わせる笑顔だ。

 こんな僕に親切にアドバイスをくれるヨコリンだが、僕にとって悪魔となるのか。

 それとも天使となるのか。どっちなんだろう。

 見た目だけでいえば確実に天使ではない。こんな緑色の気色悪い天使がいるか。

 肌が緑色で、血が紫色で、触角も生えてる神様がいるが、それはまた別の話だ。

 今の僕にとってコイツはまだ、身の丈一メートルほどの怪物にしか見えない。

「じゃあ、これからオマエに呪文を教えるぜ!」

「『すきだ』は、好意をストレートに伝える呪文だ。オレサマも言われてみたいぜ」

「仲間が欲しいなら『いっしょにきてくれ』だな。これは便利だぜ」

「腹が立つ奴には『おまえなんかキライだ』だ。だが普通はこんなにハッキリ言わないぜ」

「面白い男はモテるぜ。『ふとんがふっとんだ』はどうだ? ハイレベルなギャグだぜ」

「以上、四つだぜ!」

 以上? それだけ? それだけなのか! 

 よりによって、なんて汎用性のない、使いづらいものを教えてくれたのだろう。

 すきだ。いっしょにきてくれ。おまえなんかキライだ。ふとんがふっとんだ。

 この四つの呪文で、僕の今後の運命が左右される。

 溺れる者は藁をも掴む、という言葉があるが、僕が掴んだものは確実に藁以下だった。

「これで説得もバッチリだぜ!」

 バッチリなわけないだろ! またもゲヘゲヘ笑うヨコリンを尻目に、僕は頭を抱えた。

 こんな形ではあるが、ヨコリンは僕に、仲間を勧誘するとっかかりをくれた。

 しかし、とっかかりができたというだけで、人と話す恐怖が消えたわけではない。

 今だって、会話の相手はゴブリンだというのに僕は一言もしゃべれないでいた。

 これからは本番だ。どうしたって何かを話す必要がある。

 しかし僕が使える呪文は、今ヨコリンが教えてくれた四つだけだ。

 すきだ。いっしょにきてくれ。おまえなんかキライだ。ふとんがふっとんだ。

 ボキャブラリー皆無の自分を呪った。

 すきだ。いっしょにきてくれ。おまえなんかキライだ。ふとんがふっとんだ。

 何かに取り憑かれたかのように、何度も何度も口に出して反芻した。やるしかない。

 この四つの呪文に、僕のすべてを賭け、たくない!

 賭けたくないけど、ちくしょう賭けるよ! だって賭けるしかないんだもの!


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