こんにちは、大井昌和です!

最近、毎日ネーム描きながら、合間にペン入れするという生活です。
これなら初めから週刊の作家で良かったのではないか?といういらぬ疑問がわいてきますが、月刊作家スタートと言うのをなんとか人生の伏線にすべく、人生設計中です。

そんなさなか、4月からの連載準備をしておりますが、これもまたネーム原作であります。
企画やネームには自信があるものの、その内容に見合う絵を描くには今の連載状況だと無理だと判断したため、担当さんに話したところ、ネーム原作でもいいとおっしゃってくださったうえ、素晴らしい絵描きさんをつけていただいたのでやる気満々です!

いま現在6話目までネームを描いているのですが、ここで絵描きさんが苦労をしておるのが目に見えてわかるのです。そこでなぜ苦労をするのか、というのを今度の打ち合わせの前に文章化して、自分の頭を整理しておこうと思い、今回の語りになります。
マンガ読みが良く言うことの一つに、イラストレーターさんがマンガを描くときに色々難が出る、というのがあります。
なぜマンガ家よりも絵がうまいイラストレーターが、マンガになるとダメになるのか?
回答の一つに、一こま一こまイラストに仕上げてしまう、というのがありますが、これはいったいどういうことなのか?それはマンガのコマの中の絵は、一こまの中だけで見るものではなく、2ページ見開きの中の構図の中でどういう役割を持つか、という視点が抜けるからです。
つまり、コマと言うのがひとつの画面だと言う勘違いにあるということです。
このコマと言うのが、絵描きには邪魔のようで、なんとかコマの形に絵画性を持たせようとしたりするのも見たりしますが、根本的にコマの概念が理解されていないということです。
極端に言ってしまえば、マンガと言うのは
「コマで作られる絵画」です。