先日、「大井昌和のコミックガタリ―」に入会した者です。物語三部作がメールに届いたので拝読させていただきました。 私はアニメーションの監督、演出の仕事を志しています。自己表現をしたいからです。とはいっても大童先生の『映像研には手を出すな』の浅草みどりのように面白い設定を表現したいとかではなく、もっと思想とかイデオロギーなどの本質的なことです。しかし、いざ表現したく作品を作ってみようとするも表現したいことが実力不足でできず、日々失敗と挫折を味わっています。作品を作らないと人に評価され、認知すらされないので焦っています。私はこの現状をどうにかしようとなぜ自分は他人と比べて作品が作れないのか、失敗してしまうのかを日々模索しています。 そんな中「大井昌和のコミックガタリ―」を見つけ入会をしました。大井先生が『物語のディスクール』に「分かってんじゃん」と言ったように、私も大井先生の考えを受けて、「大井先生分かってんじゃん」と思いました(すみません)。私も大井先生と似た考えに模索の結果行きついたのですが、市販の脚本のハウツー本は表面的なストーリーのことばかりで、私の持った考えはおかしなことなのだろうかと不安でいっぱいでした。だから、大井先生の物語論に出会って共感出来て安心しました。大げさなだと思われますが、救っていただいたのが本心です。 現在私は自身の中で問題に直面しています。物語は物を語るので、「ある物」を語るためには、あらかじめ「ある物」は存在していなければ成立しないと思います。この世の中も存在している原因が不明であるにも関わらず、いつの間にか、必然的に存在しています。しかし、紙は真っ白で「無」なので、語るための物をあらかじめ存在させる事は不可能です。見えないものは沈黙するしかできません。だから、作者は第一に語り、そして語るための物を創造するしかありません。現象として矛盾しているようなことを作家は強いられるのです。私は自身が「作家」になることが難しく、いろいろと考えを拗らせています。迷える子羊です。これからも大井先生の放送を通して様々なことを学んでいきたいと思います。応援しています。
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流浪のマンガ家 大井昌和のコミックガタリー
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先日、「大井昌和のコミックガタリ―」に入会した者です。物語三部作がメールに届いたので拝読させていただきました。
私はアニメーションの監督、演出の仕事を志しています。自己表現をしたいからです。とはいっても大童先生の『映像研には手を出すな』の浅草みどりのように面白い設定を表現したいとかではなく、もっと思想とかイデオロギーなどの本質的なことです。しかし、いざ表現したく作品を作ってみようとするも表現したいことが実力不足でできず、日々失敗と挫折を味わっています。作品を作らないと人に評価され、認知すらされないので焦っています。私はこの現状をどうにかしようとなぜ自分は他人と比べて作品が作れないのか、失敗してしまうのかを日々模索しています。
そんな中「大井昌和のコミックガタリ―」を見つけ入会をしました。大井先生が『物語のディスクール』に「分かってんじゃん」と言ったように、私も大井先生の考えを受けて、「大井先生分かってんじゃん」と思いました(すみません)。私も大井先生と似た考えに模索の結果行きついたのですが、市販の脚本のハウツー本は表面的なストーリーのことばかりで、私の持った考えはおかしなことなのだろうかと不安でいっぱいでした。だから、大井先生の物語論に出会って共感出来て安心しました。大げさなだと思われますが、救っていただいたのが本心です。
現在私は自身の中で問題に直面しています。物語は物を語るので、「ある物」を語るためには、あらかじめ「ある物」は存在していなければ成立しないと思います。この世の中も存在している原因が不明であるにも関わらず、いつの間にか、必然的に存在しています。しかし、紙は真っ白で「無」なので、語るための物をあらかじめ存在させる事は不可能です。見えないものは沈黙するしかできません。だから、作者は第一に語り、そして語るための物を創造するしかありません。現象として矛盾しているようなことを作家は強いられるのです。私は自身が「作家」になることが難しく、いろいろと考えを拗らせています。迷える子羊です。これからも大井先生の放送を通して様々なことを学んでいきたいと思います。応援しています。