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度を超えた成り上がり 中田英寿

2014/05/24 22:50 投稿

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度を超えた成り上がり 中田英寿 

 

 

「僕はカズのようにはなりたくありません。僕はスターになりたいんです!」これは、1996年アトランタオリンピックから帰ったばかりのベルマーレ平塚に所属していた中田英寿の言葉だ。アジアサッカー連盟の機関誌の編集長などを歴任したマイケル・チャーチが通訳を介したインタビューの途中で「三浦和良のようにヨーロッパでプレーしてみたいか」尋ねた際の返答である。

 

この19歳の頃から、高い目標を持ち、物おじしない中田英寿のスタイルを貫き通している。そして、言葉通り、W杯3度出場、イタリアセリエA、イギリスプレミアリーグと海外移籍を成功させ、成田コレクションと呼ばれる様にファッションアイコンとなり、若者が憧れる正真正銘のスターに登りつめた。

 

以下の様にサッカー関係者からの評価も高かった。

 

デル・ピエーロ (ユヴェントス、イタリア代表などで活躍)

 

「中田は欠点の少ない選手だと思います。テクニックがあるし、プレーのタイミングを理解する感覚もあるし。フィジカル的にも強い。これがヨーロッパ・サッカーで成功できた大きな秘密でしょう」

 

ルイジ・ディ・ビアージョ (インテル、イタリア代表などで活躍)

 

「中田は欠点の少ない選手だと思います。テクニック、マラソンランナーのような持久力、そして戦術眼を兼ね備えている。ピッチの上でぶつかり合ってみると、彼のフィジカルの強さがわかります。90分間ずっと、後を追い続けなければならなくなるから」

 

ファビオ・カンナバーロ (ユヴェントス、イタリア代表などで活躍)

 

「テクニック、フィジカルの強さ、精神力。中田は大選手になる資質を持っています。対戦相手として最も印象的だったのは、フィジカルの強さでした。当たりで中田を押しのけるのは難しい。2002年の成功を目指す日本サッカーにとって最高のシンボルだと思います」

 

マッシモ・ネーリ(ローマ、ぺルジャー元フィジカルコーチ)

 

「中田はサッカー選手になるために生まれてきた男です。重心の低さが、非常に高い静的、動的バランス感覚をもたらしており、下半身の筋力が非常に強く、それが瞬発力の高さにもつながっています。プロとしても態度は完全無欠といっていい。ストレッチングの重要性を理解し、日本的な几帳面さでこなしています」

 

ディノ・ゾフ(ラツィオ、イタリア代表監督などを歴任)

 

「中田は、日本のサッカー界が初めて生みだした、真の一流選手だと思います。私に言わせれば欠点の少ないミッドフィルダーであり、チームリーダーになれるだけの器です」

 

この様に、イタリアでも評価は高かった。評価の内容には共通点がある。「欠点が少ない」「テクニックがある」「フィジカルが強い」「持久力がある」などだ。

 

センスや瞬間的な身体能力が高い天才型ではなく、自身の短所を筋トレや反復練習などの並々ならない日々の努力で埋めていく努力型であることがわかるだろう。世間では、若くして海外で成功した孤高の天才のイメージがあるかも知れないが、実際は自分に足りない能力を把握し、結果をだすために鍛錬を惜しまない努力の人なのである。

 

その証拠に10代では才能が抜きんでていた訳ではないと関係者は証言している。

小学生の頃に中田英寿が所属していた北新サッカースポーツ少年団と対戦した相手チームの監督はこういっている。

 

「はっきりと言えるのはボール・コントロールも、ドリブルも、ずば抜けて上手な選手というわけじゃなかったですよ。しかし、体力と気迫、それと勝負根性というんですか、とにかくボールにからみ、どこまでも追いかけていく選手だったですね」

 

国見高校のサッカー部を率い、当時U―17日本代表監督をつとめた小嶺忠敏氏はこう語っている。

 

「抜群の才能の持ち主というわけではなかったんだ。あの頃は、財前宣之がいてね、あれの方が技術的には圧倒的に上手かった。もちろん、U―16に選んだから上の方にいる選手ではあったけれども、上手いとか、才能がある、とか、足がものすごく速いというわけでもなかった。

 

もちろん、将来、日本のエースになる素材とか、正直なところ、ずば抜けたものは何も持っとらんかったね。あの頃は今と違って、いい選手を選抜、というよりも、沢山呼んで、力が足りない生徒たちを、消去法で落としていくというやり方で見ていたんだね。だから、トップの選手として代表に呼んだというのではなく、ほかの子供たちと同じに、まずは呼んでみるか、そういうことだったね」

 

中田英寿と同学年で年代別の代表で共に活躍した故・松田直樹氏(横浜マリノス、日本代表などで活躍)も最初の出会いを「U―15代表のころですよね」と聞かれこう答えている。

 

「いや、そのころは財前のほうがインパクトありすぎで、中田の存在を意識するようになったのはもう少しあとですね」

 

この様に、最初から抜きんでた存在ではなかったのだ。本人も作家、村上龍氏の対談でこう語っている。

 

「ユースに入ったときも、やはり一歳前の年代で入っているから、チームの中ではいちばん年下で、入ったころなどは年上でもっとうまい選手もいたし、試合にも全然出なかった。それは、オリンピックのときもそうでした。毎回最初は補欠から始まって最終的にはレギュラーで試合に出ているという状態なんです。自分でもすごく不思議なんですけれども

(中略)

要するにいつもレギュラーで、トップでやってきたわけではないんです。重要な大会があったりしたときに、最終的にはレギュラーとして出ているからそういうイメージがあるかもしれませんが、実際は補欠から始まって、徐々に徐々に試合に出始めて、最後にレギュラーをとっているという状態なんです。それはやはり負けず嫌いであるということと、あとは自分で言うのも何なのですが、やはりそれだけいろいろ見て考えていた。言われたことをやるのではなくて、自分で考えて、たとえばうまい選手がいたら、あそこは自分よりうまいなと、そういうふうに少しずつ自分で吸収していって、たぶんそれで試合に出られるようになっていくんだと思います(中略)何よりも大事なのは、何が必要かを自分で考えることだと思います」

 

この様に中田英寿は、最初から抜きんでた才能を持ちレギュラーで大会に出ていた訳ではなく、何が足りないかを自分自身で考え、足りない部分を埋める努力をしてきたのだ。欠点のない選手というイタリアでの評価はまさに、中田英寿自身がゼロから築き上げた努力の結晶と言える。

 

中学時代にはサッカー仲間を驚かせたエピソードがある。

 

「1回、学校のグラウンドで、中田がひとりで何回も、同じような強さでボールを蹴っていたんで、何の練習をしてるんだって聞いたら、中田が妙なことを言いはじめたんだよ。

サッカーのボールって、足の5本の指で同時に蹴るように思うけど、絶対に違うんだよな。蹴る指によってボールの速さや回転の方向が違うんだ。

 

だから、足の親指から、人差し指、中指、薬指、小指まで、5本の指で、それぞれ蹴ってみようと思ってるんだよ。不思議なもんで、5本の指のそれぞれで蹴ると速さや角度が変わるから、そういうのを覚えておかないと、これからサッカーをやっていくのに、正確なパスが思ったところに蹴れないからって。こんなことを言われたときには、オレもサッカーをやってたけど、そこまで考えたことないからただただ驚いちゃったけどね」

 

高校時代には既に監督と対等にやりとりする程、練習方法も自分なりに考え、確立していた。以下、高校時代のチームメイトの話だ。

 

「一度、試合の終わった翌日の練習で、ウエイトトレーニングを重視する練習をはじめると、ヒデが今日、ウエイトしても体によくないですよ。もっとリズミカルに体調を整える練習をしたほうがいいと思うんですって、監督さんに正面からはっきりこう進言したんです。

それで、ヒデは、その理由をいろいろと説明したんですが、監督さんもわかった。じゃそうしようかって、メニューを変更したんです。もうそのとき監督さんとやり合っているヒデは、選手というよりは、監督と対等に話しているサッカー人っていう感じでしたね」

 

サッカー部の新藤コーチを「高校生ながら、ここまで考えていたのか」と驚かせたのが、入団チーム選びについてだ。

 

中田は当時のJリーグ12チームのうち、ヴェルディ川崎を除くすべての球団から勧誘があった。プロの球団に入るのだから、就職活動として9日間の休みを欲しいと願い出た。入団希望チームをアントラーズ、フリューゲルス、ベルマーレ、マリノスに絞り、アントラーズは既に見学しているため、残りの3チームを1チームあたり3日間費やして見てみたいと言うのだ。その時のことを新藤コーチはこう振り返る。

 

「就職活動といわれても、ぼくの判断だけで、許可はできない。しかも1チーム3日という理由がわからないのでは、上にも相談できない。それで、なんで1チームに3日なんだと聞いたんです。すると中田はこう説明したという。

 

1チームの練習を1日ぐらい見たって、実際に首脳陣がどういう考えを持っているか、またそのチームが、どういったチーム構成になっているかということもわからないでしょ。サッカーの練習は、プロの場合3日間でワンクールと聞いています。Jリーグの場合は、土曜日とか日曜日に試合がありますから、月曜日は上がり(休日)。すると、練習は火、水、木です。だから1週間に3日ずつ、3週間休ませてほしいんです」

 

高校生でここまで自分の進路に対して冷静に分析、情報収集し教師に要望を伝えることができる生徒はほとんどいないだろう。常に自分で考え、主張し、行動する中田の特徴が現れている。

 

その他、海外移籍を見据えた練習後の筋肉トレーニング、コーチに全然入らないと怒られながらも頑なにゴールポスト20センチ以内を狙い続けたシュート練習、長短おりまぜた走力トレーニングなど、中田はプロチーム入団後も自分で考えたとレーニンングを行ってきた。

 

中田英寿は現役時代、サッカーの試合をほとんど見ないと言っていたが、実際は上手くなるため、試合に勝つために研究している。ドイツ・レバークーゼンに1984年に入団、サンフレッチェ広島でキャプテンを務めるなど活躍した風間八宏氏が中田英寿に対してこれ以上うまくならないと思ったことがあるという。

 

「(中田が)玄人受けしていたこの頃から、その後アトランタオリンピックに出て全国的な注目を浴びる時期も、僕はまだまだ荒削りだと思っていましたが。

 

ひとつは、ボールを置く場所を持っていなかった。置く場所というのは、キックに最適なボールのポジションで、ジダンも持っている、ベッカムもある、みんな体に染み付くように正確に持っているんだけど、これがなかった。

(中略)

それを改善すれば、まだまだ伸びると思って見ていた。フランスW杯の時、彼が練習で長距離シュートを繰り返し練習していて、何を勘違いしているんだろう、これじゃあ、もう上手くならないな、って思って見ていたんです。ボールを置く場所も見つからないのに、遠くから打ってもフォームは乱れる、近いところからまずは正確に打つべきだろうってね」

 

ところがそれから3カ月も経たずにセリエAでデビューすると、中田英寿はボールの置き場を完全にものにし、素晴らしく強いキックをしていた。

 

風間氏は何故、蹴られるようになったんだろうかと、質問したという。

 

「中田は、98年のW杯でバルボ(アベル・バルボ=アルゼンチン代表のエースストライカーで98年W杯日本戦にも出場。ウディネーゼ、ローマ、パルマなどでプレーした)の位置を見ていたんだと説明してくれて、前過ぎてもダメ、後ろでもダメ、足を振り抜ける位置やポイントは体格によって違うんですが、それを参考にしたんですって言うんですね。バルボと全く同じでは地球を蹴っちゃうから少し前になったようだけど、それができたら、ボールが浮かなくなり、正確に当たるようになったと。あの長距離シュートの理由を初めて知って、何て頭のいいヤツなんだって。自分で答えを見つける、これは一流選手の証ですが、簡単そうで案外誰もできない。それをちゃんと見つけていたことには驚かされましたね。

ボールを扱う器用さ以上に、頭を使う器用さというのを強く感じた選手でもあった。プロは周囲からアドバイスなんてもらうものじゃないし、自分の目で教材を見つける。その教材を解いてくれるのはクラブのコーチではなく、自分の頭の中にいるコーチということになる。1を聞いて3も5も知る、それができる選手だったんでしょうね。サッカーはコーチが教えるんじゃなくて、環境が教えてくれるもの。彼は目にするもの全ての環境をコーチに変えて、あそこまで昇っていったフットボーラーだと思う。彼には、感性という才能が一番大きな武器だったと僕は見ています」

 

試合に勝つために、相手チームの戦略、選手の研究も抜かりなく行っていたのも以下のエピソードから窺い知れる。 

 

中田がペルージャ在籍時代に2-1でパルマに勝利している。その翌日に、敗れたパルマのイタリア代表カンナバーロが報道陣から「ナカタの出来は期待通りのものではなかったのではないか」という質問を受け、こう答えている。

 

「いや、違う。我々のミスを除けば、ベーロンからのパスがほとんど通らなかったのも、攻撃の形が中途半端だったのも、ナカタのポジショニングが非常に的確だったからにほかならない」

 

中田は試合前に、狙うべきポイントが「ベーロンのサイドチェンジ」にあることを指摘していた。試合では、ベーロンから出されるパスを何本も遮断し、後半、ついにベーロンは交代することになったのだ。

 

この様に、サッカーが上手くなるため、チームが勝つために抜かりなくサッカーを研究し自分なりの答えを出し、成果をあげているのだ。

 

また、中田の偉業を支えてきた要素の一つに挙げられるのが「常に全力」であることだ。

ローマ移籍後に中田英寿の専属トレーナーを務めた山本孝浩はこう語る。

 

「僕が心技体という日本の言葉の意味を改めて噛み締めたのは、向こうでヒデと仕事をしたからでした。股関節の柔軟性と、三半規管が特別に優れている長所は備えていましたが、それ以上にメンタルの強さでフィジカルをさらに強靭にしていきましたね。どうしてあの怪我で、あの痛みで、走れるのだと思うことがよくありました。ヨーロッパであれだけ多くの選手を見ましたが、彼以上に自分を追い込み、トレーニングする選手はいませんでした。彼は、完璧という域に近づこうとしていたかもしれません」

 

Jリーグ初代チェアマンを務め、日本サッカーの発展に多大な貢献を果たした川淵三郎氏は、中田のことを最初はたいした選手にならないと予想していた。しかし、あることがきっかけで敬意を抱き、確固たる評価になったという。

 

「カザフスタンではロスタイムに1―1に追いつかれて、代表は緊急事態に陥ることになった。加茂監督をその晩解任し、残りの試合を岡田監督に託し、残る可能性に賭けようというときです。

翌日、岡田監督の最初の練習で、ヒデはそれまでずっとレギュラーで出ていたにもかかわらず、控え組に落とされた。取れないのは走ってないからだ、なんてスルーパスを出すヒデ、お菓子を食べてるヒデをイメージしていたから、こんなとき、きっと適当にふて腐れて練習するんだろうな、と、スタンドから見ていました。やがて、僕は自分の愚かさに気が付くことになる。

彼は、そんなプレーをしたら相手が怪我するんじゃないか、危ないと思うほど、全身全霊を込めたフルパワーでの練習を始めた。落とされても、控えに回されても、あの子はこんなにサッカーを頑張る選手だったのか、と本当に衝撃を受けてしまってね。1週間、控えで練習を行ったが、一瞬たりとも手を抜くことがなかったのです。僕は自分の考え方を変え、あの練習以降、中田に敬意を抱いていた。

その敬意は、もちろん引退まで変わることはなかった。あの一週間の衝撃は、忘れることができないし、ヒデというサッカー選手の原点だったんじゃないか、と思っています。

 

―姿勢でしょうか

 

あの練習で見た姿は、引退まで全く変わることがなかったと断言できる。一日の練習、1回の練習、そこに持ってる力の全てをかけていく姿勢は、プロとして生きた10年間、貫き通したのだと思います。ジーコ監督とドイツで話した時、彼がまさにこのことについて、僕にふっと漏らしました。ヒデのレベルで毎日の練習をやると、ほかの選手が潰れちゃうんだ、と。

ジーコは苦笑したけれども、それは、あのくらいの気構えとフルパワーでのプレーを、ほかの日本選手全員がやれなくては世界と厳しい戦いなどできないのだ、と言下に示したのだと、僕は解釈しています」

 

個人トレーニング、チーム練習はもちろんのこと、試合でも常に全力で勝利に貢献してきた。以下、Number424号(1997年8月14日号)の記事を抜粋。

 

それは、日本サッカーを救ったともいえるクリアだった。96年3月24日、アトランタ五輪最終予選の準決勝での出来事である。2点のリードを奪った日本ではあったが、試合の流れは一方的なサウジアラビアのペースに傾きつつあった。そして後半27分、O・ドサリのヘディング・シュートが鋭く日本のゴールを襲った。

その瞬間、ポジションをややニア寄りにとっていたGK川口能活は完全にあきらめたという。しかし、一直線にファーポストへと向かった弾道は、ゴールラインを割るギリギリのことろで力強くはね返される。常日頃から「守備は嫌いだ」と公言し、「サッカーだってそんなに好きじゃない」と口にしていた中田英寿のクリアだった。

 

川口が懐かしそうに振り返る。

 

「嬉しかったなんてもんじゃないし、あれで、ヒデって男がちょっとわかった気はしましたね。ホントに守備が嫌いで、サッカーは好きじゃない男だったら、あのクリアはできないでしょ」

 

この様に、個人トレーニング、チーム練習、試合においても何が必要かを考え、怪我につながるかも知れない程の激しさ、まさに全身全霊をかけて挑む姿勢が中田英寿の偉業を支えたのだ。スマートな印象から「孤高の天才」という言葉を浮かべてしまうが、決して、最初から才能に恵まれた天才ではない。自分で考え、分析し、何事にも一切手を抜かずに全力で取り組む努力の人なのだ。

 

その全力でものごとにあたる成果は、サッカー界を飛び越えて日本のビジネスシーンにも多大な影響をもたらした。

 

中田英寿の商業的価値を最大限に活用し、今までのスポーツビジネスを変革したのだ。選手の商業的価値を活かしたビジネスとしては、ファンクラブの運営、グッズの販売、本人参加のイベントなどが定番であった。

 

中田英寿は公式のファンクラブはつくらずに、公式サイト「nakata.net」を展開した。中田の考えが、既存メディアではなく、中田個人のWEBサイトメディアとして直接ファンに届くのだ。その集客力は個人サイトとしては、常識を超えるものである。2000年1月にASローマに移籍した際には、1日で270万PVを記録した。2005年8月、ボルトン移籍時は1日で1400万PV、2006年7月の引退発表時は6時間で1100万PV。ここまでの影響力を持った個人メディアは当然、今までになく、おそらくこれからも出てくる可能性は低いだろう。

 

この圧倒的な集客力を元に、有料会員制サイト、モバイルサイト、書籍、写真集、CD、DVDなど多大な利益を生むビジネスモデルを構築した。

 

それだけでなく、CSのテレビ番組もスタートさせた。CSのテレビ番組に加え、地上波の番組でも、主要な企画はテレビ番組側ではなく共同企画とした。nakata.net TVのクルーが入り撮影を行い、その映像を番組で使用し、中田英寿の所属事務所であるサニーサイドアップが権利を保有した。地上波番組に映像を提供する権利ビジネスとしても利益を獲得することが可能になったのだ。

 

また、企業広告に関しても、ただテレビCMに登場するだけではない。中田は日本コカ・コーラと、ドイツW杯に向けたプロジェクトを企画した。全国から選抜した中学生をドイツW杯に親善大使として派遣し、子供たちの視野を広げるサポートを行った。

 

この試みは、テレビで56番組、新聞で205紙、雑誌で25誌、5億円以上の広告換算総額になったという。その他、中田所属事務所であるサニーサイドアップでは、ペルージャ、ASローマなどのグッズの販売権を扱い、収益につなげた。中田自身もキャラメルコーンなどでおなじみの菓子メーカー、東ハトの執行役員になるなど、スポーツ選手の枠組みに捉われない取り組みを行っている。

 

この様に中田英寿は、ファンへの情報発信、既存メディアとの協業、企業広告の在り方、権利ビジネスにおいて、革新的な発想で驚くべき成果を獲得してきたのだ。日本サッカー、そしてメディアの在り方を中田は根底から覆した。

 

卓越した才能に恵まれた訳ではないサッカー少年が自分の頭で考え抜き、全力でひたむきに努力を重ねることで、世間の常識を破ってきたのだ。日本サッカー界だけでなく、新しいスポーツビジネスの在り方で日本国民を巻き込み、成功を成し遂げた稀代の努力の人、度を超えた成りあがり、それが中田英寿だ。



 






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著者プロフィール
1976年神戸市生まれ 明治大学農学部卒業後、2009年にチャンスメディア株式会社設立。
代表取締役社長に就任。

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光田耕造

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