二・二六事件後、政治に対する軍部の圧力が高まったことは202回でお話ししました。事件後に成立した広田弘毅内閣が現役武官制を復活させたことで、軍部大臣は現役の大将、中将に限定されることになります。これで内閣人事に軍部が意見できるようになったのです。
一九三六年八月、首相、陸相、海相、外相、蔵相による五相会議を開き、対ソ連より南方に注力するという「国策の基準」を決めました。これは中国のうしろにいるアメリカ、連合王国(イギリス〔大英帝国は一九三一年十二月制定のウエストミンスター憲章により「連合王国」となりました。〕)を仮想敵国とすることも意味しました。
十一月にはドイツと日独防共協定を結びソ連への備えとしました。
馬場鍈一(えいいち)蔵相は歳出の四六・四パーセントを軍事費が占める大拡大予算を組みました。「準戦時体制」として、高橋是清蔵相時代の軍事費抑制から大転換を図ったのです。
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