10月31日、渋井哲也の「てっちゃんネル」および、ブロマガ「生きづらさオンライン」の開設記念として、10年来の付き合いである、ニコ生ナックルズ久田将義さんと「ニコ生ナックルズの久田さんが遊びに来てくれて、今後のブロマガを考える」という生放送をしました。会員になってくれることを目的にしたのですが、宣伝が行き届きませんでした。しかし、会話ははずんだと思います。ユーザーの皆様ともコメント欄などで交流ができたかと思います。

 2時間を過ぎたあたりから、元「噂の真相」編集部で、現在フリーライターの神林広恵さんも遊びに来てくださいました。

 当日は4400人ほどのユーザーがアクセスしてくれました。途中、回線の調子が悪く、止まってしまった場面もありましたが、訪問、ありがとうございます。これを書いている11月3日午前0時現在で約5400人の視聴者数となり、タイムシフトでも1000以上が視聴してくれたことになります。今後もとよろしくお願いします。

 ここでは、最初の26分あたりまで起こしを公開したいと思います。




渋井哲也(S):みなさんこんばんは。フリーライターの渋井哲也です。ユーザー生放送をしていると、よく「竹山、切れろ」と言われたりするんです。今日は、ブロマガ開設記念で、久田さんに来ていただました。ニコ生ナックルズでは有名です。今日は、新宿歌舞伎町のバーはなでトークをしたいと思います。

久田将義(H):こんばんは。なんで着ている服がボーダーか?というと、プレゼントです。フランス人からの。囚人服みたい?友達です。熟女じゃないです。

S:久田さんはよく熟女好きと言われますが。

H:はい、熟女好きですよ。セントジェームってよく知ってますね。服のメーカーがあるんですよ。

S:どうして熟女が好きなんですか?

H:昨日の、吉田豪くん(インタビュアー、書評家)のインタビューでも応えたんですけど、高校のときにすでに五月みどりが好きでしたね。20年以上前ですね。マザコンではないんですよ。僕、熟女に甘えられるのが好きなんですよ。甘えるのではないですね。昔のエッチな永井豪の漫画で、オレの記憶ではね、主人公のお母さんが熟女で、なんかの拍子で世の中が狂ってしまうんですよ。それでお母さんが犯されるんですよね。それに興奮した覚えがあるんです。


S:僕もその漫画知らないですね。

H:永井豪だったと思うんです。それが原点だったと思うんです。熟女は何才か?38とか40才くらいじゃないですか?

S:熟女が好きというけど、熟女と付き合ったことは見たことないです。

H:付き合ったことないです。2人とも編集者なのか?って質問です。

S:久田さんは編集者ですが、僕は編集者ではなく、フリーライターです。僕がフリーライターになるのは1998年なんです。もともと、僕は、1993年に長野県の地方紙、長野日報に入社するんですけど、長野日報を退社して、フリーになるんですが、そのとき、初めて営業をした編集者が久田さんでした。

H:何年前かな?

S:あれは...14年前ですね。

H:僕がワニマガジン社にいた頃ですね。久田さんは怖かったですか?って。

S:今より、ポップな感じだったですね。

H:どういうこと?

S:今はもう貫禄がついちゃって。

H:あ、そういうこと。一番初めは、ワニマガジン社でムックを作っていたんです。その一つが「東京ダークサイドリポート」です。渋井君、新聞記者なんで、堅いのがいいのか?と思ったんですが、シアンパブの記事「歌舞伎町に進出するヨーロッパパワー」を頼んだんです。ロシアンパブ、コロンビアパブ、ルーマニアパブが歌舞伎町にあったんですよね、あの頃。ロシア人の女性がかなりきれいな方でしたね。ただし、高飛車でしたね。

S:この記事は、もともと、ルーマニアパブの取材だったんですけど、元締めの人がルーマニアに行ってしまって出来なかったんですよね。

H:たしか、この店は歌舞伎町の職安通りにありましたね。かなり有名な店だったんですよ。

S:もともとルーマニアパブは西葛西が有名で、取材前に「どういう街なのか?」と思って、図書館で街の成り立ちを調べたりしましたね。

H:「二人は兄弟なの?」ってあるけど、じゃないですよね。

S:久田さん、僕より2つ上ですよね。ということは兄と同じです。ということはあり得るということです。

H:ここは歌舞伎町のはなで、この辺りは新宿センター街というところです。昔は、そう言われていなくて、中国人のマフィアが多かったんですよね。場所が怖くてさ、この街を舞台に馳星周さんが『不夜城』を書いたんです。近くには「かくれんぼ」という店があって、馳さんも来ていました。僕も、栃内良さんに連れていってもらって。お客さんはみんなママさんを狙っていて、ビール一杯で一時間粘る感じだった。その雰囲気がすごい嫌だったんですけど、そのママ結局、一見で来た清水建設の人と結婚しちゃって。結局、女の人はそういうもんだよな、ってことになったんですよいね(笑)。いま、幸せに暮らしてるんじゃないですかね。

 今でこそ、新宿センター街に看板が出来ちゃって。女の人でも普通に入って来れるようになったんですよね。

 「これ、何の話をするの?」って。雑談です。まだ、渋井君がブロマガ始めたばかりなんでしょ?

S:そうなんですよ。始めたばかりです。まだ一週間も経っていない。だから、宣伝のための生放送です。

H:だから、質問があれば何でも応えますよ。上杉隆さんの話?

S:公式に出ていた?あ、自殺関連やいじめ関連のニコ生公式に出たことありますよ。

H:よくわかる久田さんを、か。付き合い古いからね。

(12:28〜18:52まで止まって止まってしまいました。申し訳ございません)

S:申し訳ございません。「上杉さんの話をしたから?」って、

H:いや、何を話していたかというと、10年ほど前から知り合いって話ですけど。僕が編集長を初めてやった雑誌「ダークサイトJAPAN」です。ミリオン出版にいた比嘉健二さん(現在は退社)、尊敬する人ですが、呼ばれたんです。そこで渋井君がやったのは「長野県警もと巡査部長の拳銃突きつけ事件報道への疑問」という記事です。

 拳銃を抜いて、少年に突きつけた事件ですが、説明してください。

S:長野県の下諏訪という町があるんですね。諏訪湖のほとりです。夜中に、高校を中退をし、当時大工をしていた少年が夜中に暴走をしたんです。警察が注意してもなかなか止まらないので、ようやく止まった少年を捕まえて、少年の頭に拳銃を突きつけたという事件ですね。

H:ワイドショーでもやってたんだよね。暴走族と報道されていたんだよね。

S:暴走族となると、いつも暴走行為やっていた奴みたいなイメージだったんですけど、少年に拳銃を突きつけたことによって県警は処分を検討するということになったが、巡査部長を処分しないでほしいという嘆願書が出たんです。そもそも、暴走族だとしたら、少年に落ち度がある可能性があるが、当事者の少年を見つけにいこうということになったんです。

H:僕は東京にいて、原稿を待っていて、渋井君は長野へ。でも、暴走族じゃなかったんだよね。それがテレビ、ワイドショーの間違いで。でもさ、そういうのって、ガキのころやるじゃない。

S:警察に怒られるのは仕方がない。でも、拳銃を突きつけることはどうなのか。

H:その警察官が一時、英雄化されてしまった。その人も攻撃するするのもどうかと思ったが、ワイドショーでは英雄化されてしまっていた。『ダークサイトJAPAN』では、逆ばりをしていた。そうしたパターンで、「新聞は誰の代弁者なのか?」という記事もやりましたね。記者クラブ問題もすでにやっていましたね。

S:田中康夫知事が長野県の記者クラブを廃止しようと。誰でも記者会見を来てもいいですよ、ということになった。長野県政の記者クラブって3つあるんですよ。いわゆる新聞協会加盟紙が所蔵している記者クラブと、長野県の地方紙が所属する記者クラブ、あとは専門紙が所属する記者クラブでした。田中康夫知事からすれば、同じ説明を三つすることになる。でも、面倒なので、一つにしようと。そしてどうせするのなら、雑誌やフリーも入れようと。当時、田中康夫知事は、週刊SPA!や週刊プレイボーイと仲が良かった。そのため、雑誌記者も入れるようにしたんです。

H:いまは記者クラブ問題は流行っていますけど。

S:番記者だったんですか?いや、僕は番記者ではなく、木曽支局が長かった。木曽地方での警察や町村を担当をしてました。田中康夫知事時代にはもうフリーになっていましたね。あのころは、オウム真理教の拠点が長野県に多かったので、オウム問題も取材していましたね。

H:まあ、渋井君は新聞記者だからさ、専門は生きづらさかもしれないけどね。何でもやるよね

(26:33)