野田稔・伊藤真の「社会人材学舎」

野田稔と伊藤真の「社会人材学舎」VOL.7 NO.1

2014/08/04 06:00 投稿

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野田稔・伊藤真の「社会人材学舎」VOL.7 NO.1

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コンテンツ

対談VOL.7
浜田正幸氏 vs. 野田稔

社会人材とは自分の足で立ち
完結的な価値を創造でき、なおかつ
外に向かって開いた人材のこと

第1回 枠を外し、社会に価値を提供できる人材になれるか?

Change the Life“挑戦の軌跡”
グラフィックファシリテーター――日本で1つの肩書き
――株式会社ユニファイナアレ やまざきゆにこ

第1回 会議で置いてきぼりにされている気持ちを拾う仕事

NPOは社会を変えるか?
第21回 議員インターンシップに託した2つの希望
――NPO法人ドットジェイピー 佐藤大吾理事長

粋に生きる
8月の主任:「仁平幸春」
第1回 中二病の男の子が、紆余曲折の末にたどり着いた場所

連載コラム
より良く生きる術
釈 正輪
第25回 無理をしない人生の生き方を学んでほしい



対談VOL.7
浜田正幸氏 vs. 野田稔

社会人材とは自分の足で立ち
完結的な価値を創造でき、なおかつ
外に向かって開いた人材のこと

本誌の特集は、(社)社会人材学舎の代表理事である野田稔、伊藤真をホストとし、毎回多彩なゲストをお招きしてお送りする対談をベースに展開していきます。ゲストとの対談に加え、その方の生き様や、その方が率いる企業の歴史、理念などに関する記事を交え、原則として4回(すなわち一月)に分けてご紹介していきます。

今月のゲストは、浜田正幸氏。多摩大学経営情報学部および大学院経営情報学研究科教授で、「社会人材学舎」の講師陣の一人です。誌上講座にも一度、登場いただきました。早稲田大学大学院修士課程修了。大学院で認知心理学、行動科学を研究の後、本田技研工業入社。ホンダF1チームのコーディネーターとして欧州を転戦。その後91年、野村総合研究所に移り、人事・組織を中心にした経営コンサルタントとして活躍。独立して、ケアブレインズ設立。多摩大学経営情報学部准教授を経て現職。現在は樵とし、またチムニースイーパーとしても活躍。
社会人材学舎の理事長である野田稔とは、野村総合研究所以来のパートナー。今月の対談では、この二人が社会人材について語り合います。

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第1回 枠を外し、社会に価値を提供できる人材になれるか?

ツアコンからシステムエンジニアに、
さらに経営戦略立案のメンバーになった人がいた

野田:浜田さんは本田技研ではF1レースチームの一員として活躍されて、野村総研に来て、その後、ベンチャー企業の経営もやられた。そして多摩大学の先生になって、今では伊那市で樵をやり、地域起こしも行っている。そしたさまざまな活動を通して、それこそいろいろな人と出会ってきていると思うのですが、浜田さんから見て、こういう人間が社会人材かなと思う例がありますか。
浜田:直近の例と言うか、今一緒にいる人たちの中から言うと、多摩大学の社会人大学院生に田中有さん(仮名)という人がいます。現在はルーセントテクノロジーに在籍していて、日本市場の開拓をしているのだけど、前職はシスコで同じ仕事をしていました。
 ユニークなのは、この人は大学を出ていない。高田馬場にある東京YMCA国際ホテル専門学校を出て、旅行会社に入ってツアコンをやっていたのです。もともと彼は帰国子女でバイリンガルなので、英語ができるということもあってツアコンをやっていたのだと思うけど、ある時突然、「こんなことをしている場合ではない」と思い立って、それで、いきなりIT、特に言語ですけど、システム系の勉強を独学で始めて、それでまずソフトバンクに入ります。その後、孫さんに認められて、ソフトバンクの経営戦略会議に参加するまでになって、孫さんに「頭から血の汗かけ!」と言われて頑張っていたのですね。
野田:なぜ「こんなことをしている場合じゃない」と思ったのだろうか。
浜田:詳しい話は聞いていないけど、多分、自分の英語力やその他の才能を、何かもっと大きなことに使いたいと思ったのだと思う。
野田:もっと広く、社会で役立ちたいということですね。なるほど。
浜田:それで、ツアコンを止めて、旅行会社を辞めて、どうやったら社会に役立てるかと考えたわけです。すると、IT産業が目についたのですね。まだまだIT革命は日本で定着していない時期でしたが、日本の大企業の意思決定には時間がかかりすぎる。そこを何とかできればおもしろいのではないかと考え、システムの勉強をし始めるわけです。
野田:よく決意しましたね。
浜田:その時は本当に死ぬほど勉強したと言っていましたけど、やってみたら、それなりにおもしろかったこともあって、数年頑張って勉強して、それでたまたまソフトバンクにエンジニアとして入社したそうです。
野田:ソフトバンクは、ツアコンから独学でシステムの勉強をしましたという人をエンジニアとして採用するんだ。それもすごいね。でも、それならばSEか、あるいはプログラマーとして採用されたわけですよね。
浜田:かもしれないですね。
野田:いわば、コーディングする係ですよ。その人がなぜ経営戦略なのでしょうね。
浜田:多分だけど、孫さんが若手を育成するプログラムを始めていて、その中に選ばれたのだと思う。どういう理由で選ばれたかはわからないのだけど、大学院の授業を見ていると、何かね、この人、愛されるなと思うのですよ。まず、いろいろなことに気がつく。
野田:ツアコンだったからね。
浜田:大学院の学年のリーダーをやっていて、世話を焼くのが好きだし、よく気が利くしね。飲み会をやろうというと、「私、幹事やります」と手を挙げる。だから周りからも「ゆうくん、ゆうくん」と呼ばれて慕われていて、教員側も、「この学年は田中君に任せておこう」みたいに信頼していますね。だから、コミュニケーション能力とか、人との付き合い方のうまさみたいなものはあったのだと思います。

大学に行かないことで枠にはめられず
自由に生き、会社の中のプロに留まらずにすむ

浜田:彼は、頭は悪くないし、人間的な魅力もあって、……たまたま帰国のタイミングで大学に行かなかったのがかえってよかったのだと僕は思っているのですよ。
野田:それはまた、どうして?
浜田:優秀な人間が大学に入ると、点数を取ることを最重視して、ある分野に特化して突き詰めることが美徳のように思い込みかねないからです。会社であればピラミッドの頂点にどうやって上り詰めるかという感覚ですね。もちろん、それがすべてではないけれども、そうしたリスクがつきまといます。
野田:既存の枠の中にはまった中での能力発揮ですね。
浜田:そうそう。そこから出られないのではないかと思う。
野田:まさに構造主義だね。
浜田:たとえば工学部のシステムエンジニアだとか電子工学などに進学したら、それを極めようとしてしまうのだと思うし、法学部や経済学部を出てしまうと、会社の中でいずれ俺が社長になるみたいなエリート主義に陥る。そういう、枠の中で極めていくという、それは一種のプロのような気がするのだけど、……。
野田:その会社のプロだね。
浜田:そう、そういう会社のプロではなくて、社会人材になるためには、そんなふうに突き詰めていく過程で、どこかで逆に社会に向かって開いてしまうことが必要なのだと思うのですよ。
野田:あなたの専門性は何ですか?」と聞かれて、「私の専門は東芝です」みたいな人は確かに多い。そういう会社のプロという意味ですね。会社の中の何らかの分野のプロではなくて、会社という枠のプロになってしまう。それはとてもよくわかる。
浜田:田中さんは優秀なので、多分、大学に行ってしまうとそういうふうになる危険性があったんじゃないかと思うわけです。
野田:それが枠のないところで生きざるを得なかったから、自ら枠を作ることを選択できたというわけですね。おもしろい考えだと思う。
浜田:そうじゃないかと思う。だから、自分は大学を出ていないということで若干劣等感がある反面、「だから俺は自由にやるぜ」というところがあって多分、ソフトバンクの次世代育成プログラムの中でも、たとえば大学を出た人たちは「俺なんかが手を挙げてもなあ」と思うかもしれないけど、彼は手を挙げられたのではないかなと思うのです。
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肩書きではなく、自分の能力と

自分の実績をわかりやすくプレゼンできるか?

浜田:その後、シスコに転職して、3年いたようです。その間は、アジア・太平洋のチームに入って、そこで日本市場の開拓を担当していた。シスコはルーターの世界シェア70%という会社だけど、市川さんは数年間、NTTに待たされて、アカウントを取れなかったのですよ。「もう少し待って」と言われるだけでね。
野田:それは意思決定がずいぶん遅い。
浜田:そうこうしているうちに、シスコがしびれを切らせて、市川さんを解雇してしまうのです。突然解雇されたもので、大学院を休学して求職活動を始めるのだけれど、彼は自分の強みをわかっていたから決して慌ててなかったですね。
 自分はこういう世界の中で、言語とシステムエンジニアリングに精通していて、日本のマーケットのこともわかっている。実際に苦労をしてきた経験もあって、日本の特殊な事情もわかっている。これは強みです。
 実際、求職活動を始めると、有望な企業がいくつも見つかるのですね。彼は、自分にはどういう能力があるか、その能力を使って具体的に何をやってきたかという、いわばCANの部分の詳しいレジメを提出しています。そこは多分、通常の大企業出身のエンジニアなどが書くものとはだいぶ違うのだと思います。
 自分は日本市場の特殊性を知っているし、それを日本語のみならず、英語でも説明できる。そこが外資のヘッドクォーターに気に入られたのだと思いますね。
野田:要するに、ソフトバンクの経営戦略をやっていましたと書くのではなくて、そこで使っていた能力をちゃんと書くと、それですね。
浜田:そこはね、いわゆる日本の大学教育の弊害みたいな感じがするけど……。
野田:タイトルを書くからね。どの大学を出たとか、どこの会社にいたとか。その先が書けない。枠がないから、そこは自分で書かなければいけない。書いていけば多分、腹落ちするのだと思うけど。

一人親方になれるだけの知識とノウハウを身に着けて
プロジェティスタやマイスターになる

浜田:大企業の中でハシゴを登りつめてピラミッドの頂点に近づこうとする人たちは、その会社の中で自分が与えられた役割をしっかりとこなしていく過程で、確かにクリエイティビティも身に着けていくのだと思うのだけれど、では自分の能力で商売ができますかというとわからないと思うのですよ。
野田:わからないというよりも完結的に仕事をしていないから、自信が持てないでしょうね。
浜田:一方、これにヨーロッパの親方、マイスターというものを照らし合わせていくと見えてくるものがあると思うのだけど、僕も関係しているチムニースイーパー(煙突掃除人)にもマイスター制度があるのですね。
野田:そうだ、浜田さんは煙突掃除人だったね。
浜田:インターナショナル・チムニースイーパー・アソシエーションという協会があって、そこに参加しています。
 たとえばドイツならドイツには煙突掃除のマイスターがいるのですが、マイスターの称号を得るためのデュアルシステムが確立されています。それは週の半分は親方に弟子入りをして実地で学ぶ、残りの半分は座学で学ぶというものです。卒業した後もいくつかの階段を上っていって、それでマイスターの称号を取ることができます。たとえば消費税や社会保険料、源泉徴収やその他の経理的知識などは、実際の作業は親方に弟子入りしている間に経験し、その背景や知識については座学で学び、理解するわけです。こうすることで、マイスターになった時には、立派な技術者であるばかりでなく、商売のイロハも身についているというわけですね。
野田:イタリアでのプロジェティスタも同じですよね。デュアルシステムではなく、彼らは1つの会社でさまざまな職歴を経験させられることで、多能工になり、さらにそうした経理面などの知識や経験も積んで独立していくわけです(詳しくは、前号の誌上講座を参照)。マイスター制度と違って、計画的に育てているわけではなさそうだけど、自然とそうした仕組みができあがっている。
 すべての会社の規模が小さいから、優秀な人間には何でも仕事をやらせてしまうわけですよね。そのうちに多能工になる。プロジェティスタという成功事例が日常にあるから、そこで皆に目的意識が生まれ、やらされ感ではなくて、積極的なコミットメントが生まれるのではないかと思います。それで飛び出す。その時には一人親方が出来る状態になっている。
浜田:そう、それがとっても大切だと思う。一人親方ができるという自信がないと、やっぱり組織にしがみついて、その中で給料をもらって、与えられた仕事をするという循環の中でしか生きていけないって思っちゃうのだと思うのですね。


*次週に続く


Change the Life“挑戦の軌跡”

グラフィックファシリテーター――日本で1つの肩書き
株式会社ユニファイナアレ やまざきゆにこ

転職、転身、独立、社内でのプロ―ポーザル……本当にやりたかったこと、これから本気で取り組みたいことのために、アイデアを磨き、自らの生き方を変え、道を変えた、あるいは今、まさに変えようとしている人たちの記録をお届けします。
8月は、日本でグラフィックファシリテーターという職種を確立した、やまざきゆにこさんの登場。さまざまな会議の内容を絵と文字でリアルタイムに描き起こし、壁に絵巻物状に貼り出した紙に残していく。言葉と文字だけでは伝えきれない思いのある会議に第三のコミュニケーションツールとしてグラフィックを提供し、議論の流れをサポートするグラフィックファシリテーション(GF)という手法です。
まずは、やまざきさんのグラフィックファシリテーションは、どのような絵を描くのか、それは何を教えてくれるのかを見てみましょう。

*グラフィックファシリテーターgraphicfacilitatorは、やまざきゆにこさんの登録商標です。

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第1回 会議で置いてきぼりにされている気持ちを拾う仕事

会議には「絵にならない」会話がある

 これまでに描いた会議の数は250を超える。やまざきさんはただ会議の記録(レコーディング作業)をするのではない。絵巻物を通して明らかになる問題点、人間関係、深層心理を会議の参加者にその場でフィードバックしていく。

 絵巻物を必要とするのは、多様なメンバーのバラバラなベクトルを1つにしたい人、組織や地域を何とか活性化したいと考える人、企業や地域の人たちが目指せる共通のビジョン、ありたい姿を模索する人、全く新しい商品・サービスを送り出したい人、組織の壁や立場を超えて世の中にイノベーションを起こしたい人たちだ。

 彼らの心に、なぜこのグラフィックファシリテーションは刺さるのか。やまざきさんは、ネガティブな絵、たとえば暗い表情で愚痴や不満、不安をつぶやく絵が、絵巻物を埋め尽くせば埋め尽くすほど、その会議は「絵空事に終わらない」と考えている。その心は果たして何か。

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「社長の言われていたイノベーションというのが、絵になりませんでした!」などと言って、場を静かにさせてしまったこともある。事業戦略会議でよく聞く「これからはグローバル化だ」という発言も、「絵にならない」と言う。

「絵にならない」とはどういうことか。やまざきさんのグラフィックファシリテーションの特徴に「9つの表情」というものがある。図のようなものだ。最低限この「9つの表情」を基本形にセリフを書き足すことで、「会議を絵にする」ことができると言う。

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*自分でも描いてみたいと思ったら「9つの表情」
http://www.graphic-facilitation.jp/cp-bin/blog/index.php?cid=6


「『自分でも会議を絵にしてみたい』『絵心がないけれど描けるようになりたい』と言われる方がとても多くて。その人たちの声に応えたくて、参加した会議が150を超えた頃、絵巻物がどんな絵で構成されているのか、何度も描いているのはどんな絵だろうと、すべてを調べてみたのです」

 当初の予想は、未来を象徴する太陽や方向性を示す矢印といったアイコンやマークのようなものだと思っていた。

「でも調べてみたら、表情豊かな人間だったのです。よく会議でマークのような表情のない人の絵は使われることがあると思うのですが、わたしのGFで描かれている絵の多くは人で、必ず表情がある。特に多く描いている表情は何だろうと調べたら、この9つに絞れてきました」

「表情豊かな人を描きたい私は、『グローバル化』という言葉だけでは、表情どころか、どんな人を描いていいかわからず絵筆が止まってしまいます。もう少し具体的に、たとえば『ベトナムの女性たちにも使ってもらいたい』と言ってもらえると、その企業の商品を手にして笑顔になっているベトナムの女性たちの生活シーンが描けるわけです」

 もちろん嫌味ではない。内容のない言葉は絵にならないのだ。

「『こいつは何を言っているんだ』という顔をされることもありますけど、私に仕事を依頼する人たちには、そんな私の反応も期待している、ということが多いです。影で『よく言ってくれた!』といわれることはよくあります。同じ社内の人同士では言いにくいことも、社外の第三者の私だから言えることがある。そしてそれを臆せず伝えることが求められているとも思っています」

「いきなり社外の、しかも会議を絵にするというよくわからない人間に『絵に描けない』と言われたら……、心証は良くないでしょう。あるいは、こんな絵に描けてしまったのだからしょうがないというとき、そんなときは『私が言ったんじゃないです。この右手が言ったのです』と言っています」

 ある会社の中長期戦略会議では、経営目標達成のために新サービスの販売を新たな営業目標に掲げ「成長だ! 成長だ!」という言葉が連呼された。

「成長していくイメージでとりあえず右上方向の矢印を描いていたのですが、『成長だ!』以外の話が一向に聞こえてこない。そのうち上方向に紙がなくなってしまいました」

 やまざきさんとしては矢印のようなマークではなく、具体的な人やシーンを描きたい。

「こういう絵筆の苦しみも、そのままフィードバックのときにお伝えします。『矢印しか描けず紙が足りなくなってしまった。この矢印の先のシーンを描きたいのですが、この新サービスで、誰がどう嬉しいんでしょう?』と。ちなみに、成長するための矢印の下には『人を増やす』以外の絵が描けていなかったのも問題になりました」

 成長してどういう価値を提供するのか。そのためにどうするのかが明確ではなかったわけだ。

 会議の最中に、記録(レコーディング)作業をいったん止めて、会議出席者にそれまで描いた絵を解説するフィードバックの時間を持つが、やまざきさんはそんなふうに素直に感想を述べる。

 同席していた人たちからよく聞かれるのは「会話から何をどう取捨選択して絵にしているのか」ということだ。

「正直、取捨選択している暇はない。発言は止まらないし、皆さんが何を言うかは予想もつかないので、とにかく聞こえてくる会話を絵にしているだけ。脊髄反射で描いている感覚なのです。でも、それが結果的によかった。何が本当の問題かなんてわからない。予想外なものが明らかになってくる。それに、もし考える時間があって、たとえば『こんな絵を描いたら失礼かな』とか、つまらないことを考えて絵筆を止めたら、それは嘘になりますし、第三者として介在する意味がなくなると思うのです」

会議には皆の目線を合わせる「タタキ台」が必要

  では逆に「絵になる」と何が起こるのか。たとえば、ある生活商材の新商品を作るためのコンセプト会議。テーマはアンチエージング。会議に出席しているメンバーは口ぐちに、「老化対策には」「老化を遅らせるには」「老化…」「老化…」と唱える。

 そうした発言が絵巻物の上ではどうなるか。絵の中の女性(消費者代表)が描け、「そんな老化、老化って言わないでよ!」という、セリフが書かれる。

 また別の商品開発では「ターゲットは30代モテ女子」という設定。やまざきさんは
「パッと思い浮かんだのはCanCamのような女性誌に登場するモデルのような女子のイメージで、ミニスカート姿にゆるパーマのロングヘアのそんな女性を描いたのですが……」

 男性陣からはこんな声が挙がったという。「モテ女子というのは、もっと出しゃばらない女性なんだよね~」

「『こうじゃないよ』と言われるときもあります。逆に『そう、そう、こんな感じ』と言われるときもあります。大事なのは私のイメージが正しいかどうかではなく、それをきっかけに、そこにいるメンバーがわかり合えるか、皆がわかったつもりになっている言葉の意味、イメージをもう一段深めることができるか。そのきっかけになれればいいのです。どんな会議にもそんなタタキ台が必要で、その1つに絵巻物が使ってもらえればと思います」

 会議の当日、やまざきさんは一番大きな3Mのポストイットを10~15枚程度、壁やホワイトボードなどに絵巻物状に貼って待機。会議の最初はひたすら会話を聞いて、描いていく(レコーディング)。1時間~2時間たった頃、できあがった絵巻物の前に参加者に集まってもらい、これまでの議論を振り返る。

 具体的には、やまざきさんからこのような絵をなぜ描いたのかを解説し(フィードバック)、それを聴いた参加者に気になる絵に付箋を貼ってもらう。そして、なぜその絵に付箋を貼ったのかを一人一人に語ってもらうところから新たな対話(ダイアログ)が始まるのだという。絵巻物の前では、普段の会議で聞こえてくる発言とはまったく違う、心の声が聴こえてくる。

「絵巻物は必ずしも正しくない。『こんな感じですか?』という私からの投げかけですから、それに『違うよ』とか『そうそう』と突っ込んでほしい。これは皆さんの議論のタタキ台ですと言っています。私の解釈は絶対などではなく、ここから新しい論議の出発点なのです」

 コンサルティングではなく、ファシリテーションと言う所以だ。もっとも、他に例のないファシリテーションだと思う。

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皆が絵を媒介にして1つになればそれでいい

 やまざきさんの求めていることは、もちろん、批判やあら探しなどではない。その願いは、社名のユニファイナアレに表れている。この意味は、“ユニファイ=1つに+なあれ!”だ。

「皆、ロジカルに、左脳的に話をしようとする。『要因は3つに集約されます』とか、『このデータが証左です』とか」

「でも、何百という会議を聞いて、絵を描いていると、よくわかるのです。会議中の会話のほとんどは非ロジカルな発言なんです。ただ、そういう発言のほとんどはあえて書き留められない。そんな流されてしまう発言を拾ってしまうのがグラフィックでした。さみしい表情や腹を立てている表情に描けてくる。すると『なんだ、実は、ただの誤解だった』『ただ知らないだけだった』『ただ皆が言葉に出していないだけで、会議や、組織がギスギスしていた』なんてことも見えてくる。会議を絵にする仕事をして私も初めて知ったのは、多くの会議で『皆の気持ちが置いてきぼりにされている』ということ。そしてそれを拾えるのが絵だったのです」

 やまざきさんは性善説だ。本当は皆、本音を吐き出して1つになりたいと思っている。なのに、会議というものの手法がロジカルだから、そんな皆の気持ちとは裏腹に、議論はきれいに整理され、まとめられ、本当に大事な発言は流されていく。

置いてきぼりにされた気持ちを拾いたい

 やまざきさんは会議に入る前に「ネガティブな絵を描かせてほしい」と頼む。ネガティブな絵は人の心を1つにするからだという。

「ネガティブな絵」とは、9つの表情でいうと、真ん中の[目が回っている表情]や、その下の[困った下がり眉]、右下の[怒った顔]、左下の[無表情]などで描ける絵だ。

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「真ん中の[目をぐるぐる回した表情]や左下の[無表情]で描ける絵が大人気です。たとえば先日、毎晩遅くまでパワーポイントで社内向け資料を作成して、吐き出すばかりでインプットがないのが辛いという話がありました。それで描けた絵は、口からパワポの書類を吐き出している、目がぐるぐるの人の絵でした。そうしたら、フィードバックのときに、その絵に『そうそうこんな感じ!』とどこか嬉しそうに皆さん指さして集まってくるのです。そして『何とかしたい』と付箋が集中しました」

 こうした絵に付箋が集中することで、それまで自分一人が辛いと思っていた人たちも、自分だけじゃない。皆がそう思っている。チーム、あるいは組織としての問題なのだと気がつく。それだけでも大きな前進なのではないだろうか。

 ネガティブな感情を吐き出し切ると、今度は話題の方向が変わってくる。

「本来、やりたかったことってこんなことだっけ?」そんな疑問が生まれてくる。

「そもそもどこからの仕事がいちばん多いんだっけ?」。実は、それは経営企画室からの仕事が大半だった。

「でもさ、彼らから頼まれるのが嫌なわけじゃないよね。それよりも自分たちが何をやりたいのか、自分たちの気持ちをぶつけないといけないよね。発信していかないとただの下請けだよね」

「愚痴や不満とか不安は、普段はあえて言わない気持ちだと思いますが、そんなネガティブな絵が実はとってもいいんです。まず、皆を1つにする。そして、そんなネガティブな絵を俯瞰していると見えてくるんです。何とかしたいから愚痴になる。ネガティブな気持ちを吐き出し切ると、なんとかしたいポジティブな気持ちが芽生えてくる。ネガはポジの裏返し、嫌いは好きの裏返しなんですよね。いつもネガティブな絵を描いては実感しています。」

 個人個人はやりたいことがあるが、組織としてこういう仕事をやりたいというアピールがないから、上から降ってくる仕事をこなすことに一所懸命だった。組織として何をどう発信すべきか。そこはすぐには解決しない。しかし、少なくとも問題の本質が見えてきた。問題を自分事化できた。それもまた大きな一歩だ。

「ネガティブな気持ちが確実に実行を遅らせています。実行すべきことは決まっているのにメンバーの気持ちがついてこないと感じたら、まずそこには置いてきぼりにされている気持ちがあるはずです。皆が本当は愚痴や不満や不安を心に抱えているのに口にしない。でも、実はそんな心の声を共有するほうが解決の近道です。多くの会議が情報の共有だけで終わっていますが、感情の共有を先にしたほうが後の解決が速いんです。……なんて偉そうに言っていますが、そんなことを、絵を描くことで私自身も初めて知りました」

http://www.graphic-facilitation.jp/

*次週に続く


NPOは社会を変えるか?

NPO、NGOなど非営利セクターの維持拡大は、今後の日本、そして世界の安定的成長に欠かせないテーマでしょう。しかし、特に日本において、まだまだNPO法人などは不幸なままです。ボランティア活動も重要ですが、長く民間発の社会貢献活動を安定的に継続させるためには、通称、NPO法人といわれる特活法人、あるいは一般社団法人や財団法人などがもっともっと力を発揮しなければいけません。では、その世界とは一体、どのような世界なのか。このコーナーでは、さまざまなNPO法人、一般社団法人、財団法人の理事長や理事、事務局の方々にご登場いただき、非営利セクターの今を見ていこうと思います。

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第21回 議員インターンシップに託した2つの希望

今月ご登場いただくのは、NPO法人ドットジェイピーの佐藤大吾理事長。佐藤氏は大阪大学在学中、学生サークルとして当時はまだ日本に根付いていなかった企業インターンシップのネットワークを独自に構築し、広げていきました。1998年、公務員になりたいという学生の希望から始まった議員インターンシップは大阪の地方議員からスタート、その後、当時の若手国会議員へと広げることに成功します。それから17年間で、1万7000人のインターンを送り込んでいます。
第1回は、議員インターンシップを行う理由とその効果について、さらに、ドットジェイピーが取り組む次のステップについて聞きました。

政治家とはどのような存在なのか、
自分の目で見て判断しよう

 ドットジェイピーは議員の下へインターンとして大学生などを送り込む。それによって、まずは若年投票率の向上を目指す。そして最大の目的は、ジャパン・プロデューサーを数多く育成することだ。ドットジェイピーのJPは、このジャパン・プロデューサーのイニシャルだと言う。

 ジャパン・プロデューサーとは、日本に限らず、地域、あるいは世界、あるいは具体的なテーマに沿って、自らが人生の主役になって、まずは自らを変え、世の中を変えていく。理想的なリーダー像であり、社会人材とも通じる存在だ。

 そのためのきっかけを、議員インターンシップで提供したいと考えている。ちなみに議員は職業であるが、政治家は世の中をよくしようとする人のことで、ジャパン・プロデューサーの1つのあるべき姿なのだ。

「日本をよりよくしようと思う。あるいは人により、自分にとって適正な守備範囲は違うので、別に日本という大きさである必要はありません。地域をよくしたい、アジアを何とかしたい、地球を救いたい。大阪をよくしたい……あるエリアをよくしたいと真剣に考え行動する人をすべてジャパン・プロデューサーと呼んでいます」

「では、地域や国をよくしようと思っている象徴的な職業は何かと言うと、それは議員だろうと考えます。期待されている職業観で言えば、彼らは私が理想とすべき存在、そのものなのです。企業にいても、役所にいても、NPOに所属していても、地域をよくしよう、国をよくしようと思い行動している人はもちろんいます。そういう立場だからできることもありますが、少なくとも議員は、そのために立候補をして自らのあり様を宣言し、選挙で選ばれた人たちです。だから少なくとも個々人は本気で地域をよくしよう、国をよくしようと思っている人たちなのだと思います。彼らの下に出掛けて行って、その活動を手伝いながら、学び、感じなさい、というわけです」

 もちろん、議員は職業だと言った。だから、その精神性において、必ずしも全員が政治家ではないかもしれない。しかし、ここは勝手なフィルターで斟酌するよりも、こうした趣旨を受け入れる人間かどうかで、概ねの部分は判断できると思える。

 ただし、インターンシップというものの一義的な目的は職業見学であり、職業体験である。だから、政治家であっても、当選していない、あるいは落選してもう一度挑戦しようとしている非現職の人は受け入れ先としては選ばない。あくまでも現職の議員に限られる。それがルールだ。

「職業見学としての議員インターンシップを通じて、何かを感じて、いいか悪いかの判断も、批判も自分ですればいいと思っています。そのための機会なのです。多くの人は、メディアなどを通した二次情報を受け取って『議員というのはろくでもない』とか、『総理大臣はいい気なものだ』とかと好き勝手なことを言います」

「批判はおおいに結構だと思うのですが、そのためには二次情報に頼ってはダメで、自分の目で見て、一次情報に触れたうえで、判断をして、文句を言いましょうというメッセージなのです」

 それを受けて、議員になるもよし、ならないもよし。「こんな議員じゃダメだから、自分がやる」もあるだろうし、「議員にはやり甲斐がある。この人のようになりたい」もあるだろう。あるいは「議員には魅力がない。自分は違う道に行く」もあるだろう。

 あくまでも職業として議員の仕事というモノを体験して、それをとおして、自分の意志を持ってほしいというのが狙いであるわけだ。

 後に触れるように、日本に企業インターンシップを広めた重宝人が佐藤大吾氏だ。彼は、企業インターンの構築から始め、公務員の仕事を知りたいというニーズに応えて、(公務員は難しかったのだが)議員インターンシップもスタートさせた。その後、企業インターンシップを推進してきた会社は売却し、現在は議員インターンシップを初め、政治と若者、そしてジャパン・プロデューサー育成に力を注いでいる。

 確かに、ジャパン・プロデューサーという概念を念頭においたときは、実際に議員になる、ならないはともかく、公共の仕事というものを体験し、それをきっかけに自分の生きる方向性を考えることは非常に有益であろう。普通の人には体験できない、それこそ贅沢が学生体験だと思える。

1万7000人はかなりの数だが
投票率を上げるには少なすぎる

 佐藤氏が議員インターンシップを始めて、今年で17年目になった。その間にどれだけの学生がこのインターンシップを受けたかと言うと、累計で1万7000人になる。相当の数だといえる。しかし、投票率という観点で言えば、物足りない。

 この1万7000人の議員インターン経験者に関して言えば、インターンに行く前の意識調査では、投票率はだいたい30~40%だが、春休み、あるいは夏休みの期間、それぞれ2カ月間のインターンが終わってからの調査では、この数字が80~90%に跳ね上がる。

「だから、この1万7000人の投票率は間違いなく上げています。その意味で、この方法は有益なわけです。ただし、……」

 20代の選挙権保有者は1300万人ほどいる。30代では1500万人以上いる。つまり3000万人近くいる対象となる世代の投票者数に、1万7000人のインターンを送り込んでも、全体としての投票率はほとんど変わらない。

「つまり、この方法だけで投票率を劇的に上げることはできません。1つ期待しているのは、少ないながらも彼らが中心になって、それこそバイラルを生んで、シャワー効果的に投票率が高まるということです。でも、それだけを期待して済ますことはできません」

 そこで佐藤氏は、さらなる展開を考えた。

若者の集まる場所へ
政治が出来かけていく仕組みづくりも活発化

 議員インターンシップはもちろん継続するが、投票率を上げると言う意味ではあまり効率がよくない。つまり、政治というフィールドに大学生を連れてくるのは大変だから、逆に若者が集まるところに、政治のほうが出かけていくほうがいいだろうと考えた。

 では、どこに若者は集まっているのか。それはインターネット上であり、携帯電話であり、漫画やゲームのあるところだ。あるいは当然、学校に集まっている。

「そこで、そうした場所に政治に関する商品やサービス、機会をどんどん提供していくというスタンスにシフトしました」

 たとえばヤフージャパンで「みんなの政治」を運営し始めた。あるいは楽天政治LOVE JAPANを始めた。未来国会というイベントを開催したり、漫画の連載や書籍の発行も行った。最近ではクラウドファンディングもスタートさせている。簡単に説明しておこう。

「Yahoo! みんなの政治」
これは、ヤフージャパンのコンテンツの1つであるが、国会議員情報や、国会で審議されている議案の詳細や各政党の賛否、コメントなど、日本の国政に関するさまざまな情報を検索・表示できるという優れもののサービスだ。
国会議員情報では、国会議員一人一人について、選挙区や当選回数などの基本情報のほか、日々の活動記録、国会に提出された議案に対するコメントなども確認できる。
国会議案情報では、第162回 通常国会(2005年1月21日~8月8日)以降に提出された議案について、内容の詳細や審議状況、各政党のコメントなどを見られる。

「楽天政治LOVE JAPAN」
政治に関する各種情報を提供するとともに、応援したい政治家に対して、インターネットを通じて、クレジットカードやネット銀行の口座振替で簡単に政治献金(寄付)ができるサービスを提供。

「未来国会」
2010年にスタートした日本初の若者のための国家デザインコンテストであり、日本最大の政策立案コンテスト。全国から集まった若者が夏休みの2カ月間、現役官僚とともに、30年後の国家政策と予算を練り上げ、大人たちにぶつける。決勝大会では300人以上の同世代・現役の官僚たち・社会の第一線で活動する有識者たちの前で国家ビジョンをプレゼン。未来の日本を担う若者たちが、未来の日本を社会へ発信するためのプラットフォームとなることを目指すとしている。

*このほか、未来国会の地方版である「未来自治体」も運営する。こちらは地方自治体の政策デザインコンテスト。「もし自分が知事や市長だったら」というテーマで、将来の自治体ビジョンを掲げ、それを政策や予算に落とし込み、コンテスト形式で競うというもの。

クラウドファンディング
シューティングスターという政治版クラウドファンディングを2014年3月からスタート。国会議員、地方議員等が資金調達可能な購入型クラウドファンディングサービス。政治に特化した購入型クラウドファンディングサービスとしては国内初の取り組みであり、特に地方議員がネット上で資金調達できるサイトはこれが初となった。政治家がプロジェクトオーナーになって、実現したい「プロジェクト」をサポーターに提案し、インターネットを通じてサポーターから資金を募るシステム。サポーター募集期間内に目標額を達成した場合のみ、サポーターから支援額の引き落としを行い、決済を成立させる仕組みだ。

「全部、背骨が通っているのです。若者の投票率向上に寄与するものしかやりません。なので、まだ手をつけていないのですが、最後にどうしてもやりたいのは、学校に政治がでかけていく、その仕組みづくりです。これを最終的にはやりたいと考えています」


http://www.dot-jp.or.jp/


*次週に続く



粋に生きる

8月の主任:「仁平幸春」

このコーナーでは、芸人、職人、アーティストの世界の住人にご登場いただきます。プロとして生き、極める心構えと葛藤などについてお聞きするとともに、それぞれが極めようとしている世界について語っていただく。そんなコーナーです。
今月ご登場いただくのは、仁平幸春さん。2014年8月現在、二人の弟子を持ち、東京都西早稲田で工房、Dye works Fogliaを主宰する染色作家。都立工芸高校デザイン科を卒業して以来、さまざまな職につき、自分の道を模索してきました。ファッションメーカー、インテリアデザイン、さらには24歳の時には結婚を機にイタリアン・レストランに入り、料理人として頭角を現してもきました。そんな彼が、さまざまな波をかい潜って行きついたのが染色の世界でした。しかし、振り返ってみると、すべての紆余曲折が、ここにたどり着くための道であったかのようにも見えます。仁平幸春という類稀は作家を育てるための設えであったのかもしれません。
第1回では、そんな染めの作品を垣間見たうえで、その紆余曲折、仁平氏の歩んだ職歴をたどってみましょう。

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第1回 中二病の男の子が、紆余曲折の末にたどり着いた場所

異端児と呼ばれる男の起こしたブランドとは

 たとえばインド更紗の名古屋帯。糸目友禅、ろうけつ、顔料、天然染料で仕上げている。

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 あるいはヴェネツィアン・レースを題材にした名古屋帯。糊とロウを調節して濃淡をつくり、仕上げて金をあしらうことによって、遠目には本当にレースを張り付けたかのように見える。

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 次は「土と岩」。染めることによって、白生地の時には見えなかったものを見えるようにするという仁平氏の染めへの姿勢が色濃く出た作品だ。

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「循環」は、天然染料、顔料、糸目友禅、ろうけつを使った染額。花が散り、実を付け、蝶が種を運び、種が発芽し、また花を咲かせる様を描いている。

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 着物、帯のほか、ストールやのれん、タペストリーなど。さらに額装した布や紙、油彩画など、その守備範囲は広い。2012年、2013年のニューヨークでの展覧会では、紙による絵画作品を中心に展開し、好評を博した。

 素材の美しさに惹かれ、あくまでも素材感を活かすことを主眼に独創的な染色をしていく。糸目友禅やろうけつ染めといった日本の伝統的な染色技術を使い、色数を抑えて表現する。仁平氏が教科書とするのは古典、そして自然。師匠を持たず、独学で今の粋に達した。

 自らをフィルターだと仁平氏は言う。あえて自分を主張するのではなく、アンテナとして、またフィルターとして現れたいと語りかけてくる色、形、図案を表していく。

 自らの作品創作のほか、江戸時代から伝わる糸目友禅などの技術の継承にも余念がない。弟子の育成を通して、伝統技術の継承に加え、文化、あるいは芸術という側面におけるムーブメントを起そうとしている。

 保守的な世界である呉服業界において、しばしば彼は異端児として扱われる。まさに、そうなのだろうと思う。中央から遠いところにいる人間が異端児と呼ばれる。しかし、次代の風は、中央から遠い、そんな場所でしか生まれない。

 だから皆が今、彼に注目している。

 それでも彼は言う。「新たな提案が本当に受け入れられるには何年もの歳月が必要で、時にそれは10年、あるいは15年にも及ぶのです」。保守的なのは売る側だけではない。買う側、着る側も冒険を好む人はそれほど多くない。しかし、そうした中で、Fogliaブランドは着実にその地保を固めているようだ。

何ができるのか、何がしたいのか、試行錯誤が続いた

 何かを作ることが子どもの頃から好きだったと仁平氏は言う。料理も好きだった。料理は手掛けて結果が出るのが早いから好きで、小学生の頃からずっと作り続けてきた。仕事というよりは趣味の世界で、一時期はプロであったが、今でも工房給食と称される昼食などは、それこそプロ裸足で、染色の技術よりも早く、弟子に伝授しているという。

 料理のほかには“何かよくわからないもの”を作るのが好きだったという。また、絵を描くのも好きだった。そこで都立工芸高校に入った。独立心は最初から強かったが、19歳の何もわからない自分が独立して何かを成しても相手にされないだろう。だからとりあえずどこか企業に入ったほうがいい。そう考えたそうだ。

 ただ、就職氷河期で就職先はあまりなかった。結果としてある織物会社に入社したが、最初に配属された靴下のデザイン部門がおもしろくなかった。だから半年でこの会社を辞めることになる。

「漠然と何かを作りたいと思っていたのですが、それ以上に、これがやりたいという目標があったわけではありません。ただ、何であれ、自分が作ればモノになる。世間に通用するとどこかで、そんな青臭いことを考えていた若造でした」

 もちろん、世の中はそんなに甘くない。仁平氏の腕やセンス云々ではない。組織に入れば、組織の壁がある。新入社員の言うこと、やることなど認められない。いくらいいデザインを上げても、上司が認めなければ日の目を見ない。しかも、多くの企業の上司はそんなものを認めないと相場が決まっている。

「まだ子どもだったけど、理不尽に思いました。耐えられなかった。自分はしっかりとしたものを提案しているのに、どう考えても、このおっさんに潰されるのはおかしいと思いましたね。ならば、自分で社会に直接問うて、それでダメならば抹殺されるほうがましだと思ったのです」

 そのほうが諦めもつくし、見えてくるものもある。その通りだろう。だからもしそこで、仁平氏を押しとどめる師弟関係が築けたならば、彼の人生は全く違っていたかもしれない。もっとも、それが今よりもいい道だったという保証はもちろんない。

「靴下専門ではなくて、靴下もあっていいけどファッション全般を担当する。そうであれば話は違ったかもしれません。それまで自分がしっかりと勉強してきていたのはグラフィックデザインだけですから、師事できる人、期待できる筋道があれば、結論を急ぐ必要はなかったのです」

 しかし、それはなかった。そもそもそうした出会いを得られる確率は、限りなく低いものだろう。それからいくつかの職を転々とする。インテリアデザイナーの事務所に入ったこともあった。

「ちょっと向いているかもしれないと思ったのです。それで入ったのですが、製図が描けないということがわかったのです」

 絵などの作品を持っていくと、だいたいどこでも面接は通ってしまう。「君には才能がある」といわれる。その後が問題で、才能があれば技術的なことは何とでもなるといわれるのだ。だから、「そういうものか」と思ってその世界に飛び込む。でも多くの場合、そこに大きな誤解がある。

「大丈夫」と言っているのは、その道のプロ。すでに皆、出来るのが当たり前の人間たちだ。だから、誰だって出来るはずだと思いがちになる。クリエイティビティさえあれば、“そんな小さなこと”は後からついてくると思ってしまう。ところが、そうなるかもしれないけれど、誰もがそうできるわけではない。

 仁平氏には、その部分の技術は合わなかったようだ。真面目だから、自分を追い込もうと、お金もないのに高いドラフターをローンで買い込んだ。リスクを背負って真剣にならないと追いつけないと思ったのだ。

「追い込まないとわからないと思ったのです。でも、建築図面は無理でした。結構すぐに、才能がないとわかりました。どうも自分は、0.何ミリ単位の精度のものはダメなんです。だから金属や宝石を削って加工していく作業や寄木細工、あるいは指物師はダメなのだということがわかりました。硬くて精密なものを扱う精度がないのです」

 その後に歩を進める料理や布の世界では、そこまでの精度は要求されない。1ミリくらいのずれでさえ許される。そんなゆらぎがむしろ味になる世界だ。

「感覚的精度は必要ですが、物理的精度はある程度許容されるものが自分には向いていると、発見しました。じゃあ料理がいいのか? 布か? と自分の方向性を詰めていったのです」

 もちろん、突き詰めて、何年も頑張ってみてダメだとなったわけではない。もっと感覚的なものだ。好きじゃない、無理だと思ったのだ。好きにならなくてはいけない。決めつけてはいけないと、20万円ほどのドラフターまで購入したわけだが、道具があってもダメなものはダメだと気づかされた。

 リスクを背負ってもなお、本気になれないということを思い知った。「その、無用の長物となったドラフターを見ては、俺はダメなやつだと確認したわけです」

 しかし、そこまでやらないと、「やればできる」「道具さえそろっていれば」「まだ俺は努力していないから」と、どこまで行っても自分を許してしまう。これはできないのだと捨て去ることができない。だから、捨てるべきものが決まっただけでも、実はそれは大きな一歩であるわけだ。

イタリアン・レストランの料理人を経て、染めの世界に入る

「結局、中二病ですね。モノを作りたいやつというのはだいたいそうなんです。中二病の権化ですよ。俺って本気出せばすごい。まだ出してないだけってね。そんなもの通用しないとどこかではわかっているのですけど、へこみたくないから可能性を残してしまう。それはしないと決めていたのです。真剣に何をやるべきかと探していましたから」

 もっとも大きな望みはなかった。ぎりぎりの生活費が稼げて、創作的なことができて、それが続けていけそうだと思えれば、何でもよかった。

 誰かに師事し、1つのことを精進して突き詰めていく、世によく語られる職人像とは違う。自分の持てる才能をどこで発揮すべきかがわからないということは、絞り込んではいるのだが、ある範囲で応用が効く才能ということになる。

 才能とは本来そういうものかもしれない。それを多くの人は早い段階で絞り込んでしまう。あるいは会社に入って自分の才能を矮小化してしまう。そうやって自分の行く道を閉じてしまう。そうなると、いつしか外に飛び出せなくなる。そうやって才能が萎んでいく。

 仁平氏にはそれはどうやら無縁のことのようだ。何らかの立場や称号がほしかったわけではない。燃え尽きるということとも無縁で、ずっと何かを作り続けていたかった。それが何なのか、自分に何が向いているのかを知るために、いろいろな会社に潜り込んでは味見をしていたと言えるのかもしれない。

 そんな彼は次に選んだのが、料理の世界だった。この世界は長く、足し合わせると8年ほどはいたことになる。いろいろな場所で働いた。コーヒーの自家焙煎の店などでも働いた。一番長くいたのが、とある有名なイタリアン・レストランだった。

 仁平氏は24歳になっていた。結婚もした。その店は、就職情報誌を見て、たまたま入った店だったが、そこで彼の才能の一端が開花する。その店で仁平氏は厳しく叩き込まれ、ある程度は料理を任せられるまでになった。それが、初めての本格的な修行時代だったと言えそうだ。

「その店のシェフは天才肌の料理人でした。1年でメイン料理ができないやつはいらないと言う人でした。そこで自分はメインを任されるまでになり、シェフがイタリアに行っている間は代行を任されるようにまでなったのです」

 ただ、天才肌の人間は往々にして傍若無人でもある。決して居心地のいい職場とは言えなかった。もっとも、だから仁平氏がその店を辞めることになったわけではない。あることがあって、右手が通常の半分くらいしか動かなくなるという大怪我をしてしまった。

 それだけではなく、イタリア料理を作っているのだが、その肉や魚を柚子醤油などで食べたいと思う自分がいることに気がついてもしまう。そんな気づきがきっかけになって、和を追求したいと思うようになるのだ。

 ただ年齢はもう26歳。これから和食の一流店に入り、一から修行するのは困難だ。

 その時に思い出したのが、20歳のときに1年だけいた染色作家の工房のことだった。いつでも戻ってこいと言われていたことを思い出し、その工房に戻ることにした。

 彼にとって、料理も染色も大きな違いではなかった。素材を活かして、自分の表現したいものを表現する。そこのところに違いはないからだ。後に触れるが、料理の経験が染めの工房にも大きく生きているとさえ言う。

 そうして、仁平氏は独立前の最後の職場に入ることになる。


http://www.foglia.jp/ja/

*次週に続く



連載コラム
より良く生きる術
釈 正輪

あらゆる宗教の垣根を超え、平和と人々の幸福を祈念する世界的ネットワークを築く。千日回峰行により見性を得た老師が説く。

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プロフィール
四大老師に師事、禅(臨済宗・曹洞宗)・真言・天台の三宗を兼学する。中部の霊峰高賀山で「千日回峰行」を達成、大阿闍梨となる。形骸化した僧界に疑問を抱き、普遍的根源を求め、世界宗教の聖地巡礼を行う。中でもヨルダン川での洗礼や、イスラムの聖地、マッカ大巡礼は偉業と言われている。さらに、マザー・テレサの信仰実践とダライ・ラマ十四世の宗教的覚醒に触れたことが、宗教活動に大きな変化をもたらした。
眞日本法(まことのやまとわほう)宗家。
http://www.syakusyorin.com/

著書 「死ぬのに適した日などない」 ソフトバンククリエイティブ社
   「3.11後を生きる術」 フォレストメディア社(電子書籍)
    http://www.forestmedia.co.jp/bookinfo/0001/

第25回  無理をしない人生の生き方を学んでほしい

節約が身につけば、自粛も削減も必要ない

 あの忌まわしい原発事故による電力不足から、2011年の夏には計画停電が催され、また花火大会や祭りを中心に、大規模なものも商店街規模のものも、全国津々浦々で、さまざまな形でイベントの“自粛”がブームになりました。それから3年、そうした自粛ムードもすでに希薄になっていますが、当時は、一部には集団ヒステリーかと感じてしまう例もありました。

 自粛とは、ここでは節電の努力もさることながら、さまざまな場面でのコストの削減であり、イベントなどを不謹慎として制限する行為などを意味します。経済を喪に服させるようなものです。自粛が悪いということではないのですが、どうも、そこに「無理」を感じます。

 本当に大事なことは、削減ではなく、節約なのです。

 削減と節約では何が違うのか。削減というのは、問題が生じたために、無理をして行う行為です。自粛も同じです。自分の意思に反して、わざわざ行う行為です。少なくとも、そういうニュアンスを感じます。

 それに対して節約は、無理をせず、過度な無駄を省く行為です。平素、当たり前のことを当たり前に行っていれば、それでできるのが節約です。物欲に支配されない生き方です。

 余分な食べ物まで用意し、あるいは注文し、無理をして食べ、あるいは食べきれずに捨ててしまう。必要のない明かりまで煌々と灯す。窓を開けたまま冷房をかける。そうした明らかな無駄の積み重ねが、原発の存在をいわば正当化してきたのです。

 禅宗では、修行時代に徹底した節約を学びます。

 朝起きて、顔を洗います。柄杓一杯の水を汲んで、まず少しだけ水を口に含んでゆすぎます。その残りで目や口、頭まで洗います。その水は多くの場合、湧水や川の水です。無尽蔵と言ってもいいものですが、それでも私たちは一度に柄杓一杯しか使いません。

 それでできることを行います。凝縮して、一番無駄の少ない水の使い方を身につけるのです。なぜならば、水もまた命だからです。この世に生きとし生けるものは皆、命だと考えます。その命を使わせてもらう。だから最小限しか使わない智慧を磨くのです。

 食べ物に対しても、もちろん同じです。植物であっても、本当であれば人間に食べられたくはないでしょう。でも、私たちは食べないことには生きていけません。それは自然の摂理です。そうであるとすれば、食べるしかない。ただ最小限に無駄を省くのは当然です。決して多くは望まず、残さず、そして何であれおいしくいただく。それがせめてもの義務です。

 禅宗の僧侶は、自給自足をしながら、たとえ虫が食った葉っぱでもおいしくいただきます。

 禅僧は、自分専用の茶碗(自鉢・応量器)一つで食事をします。食べ終わったら、沢庵などを使って、少量のお湯でその茶碗を拭い、洗います。そのお湯は飲み干します。そして、肌身離さず持っているさらしで拭います。

 最初は「何て汚いのだ」と思ったものです。同じ茶碗を何年も、何十年も使います。しかし、慣れてくると何でもありません。その茶碗に入れる食材はどれも新鮮なものです。肉類は口にしません。脂があったとしても、熱いお湯を注げば取ることができます。さらしさえ清潔にしておけば、汚いことはない。無駄もなくなり、節水にもなるわけです。

 そうした生活を送ることで、私たちは極限まで無駄を省くことを学びます。そして、最小限度の殺生によって、生きていこうとします。それでも命によって長らえていることは事実です。お米も食べますし、豆も食べる。ただ、「ありがとう」という気持ちを忘れず、いただくだけです。まかり間違っても、出されたものを残すなどということはしません。


節約は価値観であり、得な人生の始まりだ

 もちろん、そこまでの節約を皆さんも行うべきだと思っているのではありません。禅宗の僧侶にしても、そこまで無駄を省いた生き方をするのは、修行時代だけです。そうまでしてしまえば、人生の楽しみもないでしょう。

 しかし、そうしたことを、つまりは無駄をしない、殺生は最小限に行うことを生きる術とすることができれば、自然と節約ができるわけです。無理をした削減や自粛などを行う必要もありません。不謹慎なことはそもそもしなければいいのです。不謹慎なお祭りなど、そもそも行わなければいいのです。人に迷惑をかける祝事であれば、そもそも行わないほうがいいわけです。

 ことさら、電気を消しましょうというのではなく、早く寝る習慣をつければいいだけのことです。

 正しい生活をすればいいだけのはずです。そうすれば、自ずと原発に頼らなくていい生活ができるはずです。そうしたことを徹底すれば、工場の稼働率も変わってきます。企業活動も自ずと節約に向かうはずです。

 自然に生活を変えることができなければ、いつまでも無理が続きます。無理に節電をしていても、喉元過ぎれば、熱さを忘れることでしょう。いつの間にか、また元のスタイルに戻ってしまうことでしょう。いや、もう戻っています。

 過度な自粛や削減は、「本当はやりたくないけど、ここは仕方がないのでやりましょう」と言って行うものです。だから続かない。あるいはうまくいかないと犯人捜しが始まる。それでは世の中がぎくしゃくするだけです。

 無理をして行えば、それは苦痛ですから、「自分は損をしている」「無理している」という気持ちに苛まれてしまいます。電気をたくさん使ったほうが偉い生活であるというのが普通の考え方であったとしたら、電気を使わないことは「損」につながるわけです。企業活動、生産活動などはその典型でしょう。電気を使わない1分、1秒が、儲けを失っていることになってしまうからです。

 それに比べて積極的な節約は、価値観になります。そうすれば、むしろ得をすることができる。安寧を得られるようになるはずです。


*次週に続く

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