理想の歯科衛生士像【DHブログ - Vol.10】
『社会的に自立して活躍できるようになりたい、と決意させた出来事』
私は子育て中の7年間の歯科衛生士業のブランクはありますが、この期間も何かしら仕事をしていました。当時は内職という自宅で自分のペースで出来る、1個何銭という単位の仕事がありました。髪につけるリボン作りをしたり、携帯電話など電子機器の一部になる部品を組み立てたり、チラシ折とポスティングなど色々体験しました。
内職は子どもが寝静まった夜中にラジオを聴きながら黙々と行いました。日中は子どもの機嫌やペースに振り回されながら1日を過ごしていたため、自分のペースで仕事が出来る内職はストレスフリーを感じました。内職も納期は決まっていますが、仕事量は自分で調整出来ました。最初は『1日2時間くらいで月1万弱程度のお小遣いが稼げたら』と考え始めたのですが、当時子育て以外没頭出来る物もなく、根気強さだけが取り柄の私には、1つのことに没頭できる時間が楽しかったのです。
しかし、集中力には限界があります。浴を出し内職の時間を増やしていくと、仕事が乱雑になりました。返品でやり直しという無駄な労力もありました。そこで『同じ時間でもっと作る量を増やせないか』と効率性を考え、アレコレとテーブルに置く部品の位置や並び方を工夫するようになりました。そしてある程度ルールと手順をマニュアル化することで、予想時間通りに予想した個数が出来る事も学びました。つまり、○個作るなら何時間必要、もしくは今日の作業時間は1時間半なので約△個できる、など逆算して考えることができるようになったのです。
マニュアル化された仕事に慣れてくると、段々と『誰でも出来る仕事ではなく、私にしか出来ない仕事がしたい』そう考えるようになりました。『もっと自分の知識と経験を活かせる、私にしか出来ない仕事がしたい』と切実に考え始めたのです。
専業主婦の経験も、私を1人の人間として成長させてくれました。どんなに小さなコミュニティの中にもリーダー格がいて、強い意見に多くの人たちが左右されてしまいます。社宅、町内の集まり、ママ友の集まりの中で、自分の意見を言えずにいました。明らかに違うことは違うと意見を言ったことがありますが、かえって反発を受け落ち込むこともありました。今でこそ、ママ友同士でもお互いに名前を呼びあうなど、個を大切する時代になりましたが、2000年を過ぎる頃までは、専業主婦には意見や考えを他人には言えずにいたように思います。
またある時、小学2年の娘が『○○ちゃんにはパパいないの?』とお友達から言われたと、不思議顔で私に言ってきました。よくよく話を整理していくと、PTAに提出する用紙の保護者欄に、配偶者である夫の名前ではなく、『長岐祐子』と自分の名前を書いていた事からそんな噂になったのでした。当時は、保護者欄には父親の名前を書くことが一般的だっただけなのでしょうが、私は自分が自立できていないことを指摘されているような気がしてなりませんでした。
このような経験から、私は自分の考えや意見をちゃんと言えるようになりたい、社会に役立つ生き方がしたい、という思いが強くなり、『歯科衛生士』としてして自立していく事を決意したのです。
そして、歯科衛生士が活躍できる場を作ることで、多くの歯科衛生士が自立するキッカケになればと願っています。
~素敵な私たちでありますように~
長岐 祐子
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