夕方、バケツをひっくり返したような夕立があった。
携帯のアラートが「Flood, Flood! (洪水)」と慌ただしく知らせる。
パラパラ空から霰(あられ)が降るような音がして、デッキを打ち付けたかと思うと、開けっ放しにしていた窓を閉めて歩くうちに、窓の外は一気に水槽のような状態になった。
中華レストランの駐車場に向かう諦めた顔の運転手たちが、天の恵みを浴びて空を見つめている。車道にはノロノロ運転の車が渋滞し、一気に点けたヘッドライトの明かりが左右に情けなく揺れている。
このようなゲリラ豪雨が最近NYにも頻繁にやってくる。
瞬間に降る雨の量が半端じゃないので、街の弱い構造が一気にむき出し出しになる。古い地下鉄のA、 E 、Cラインの構内に流れ込んだ水は、しばらくそこが通れないほど溢れたり、天井から水がポタポタ落ちてホームが分断されたり。とにかくひどい。
途方にくれ全身ずぶ濡れになって平気で歩く人。買い物袋を頭からかぶり肩を抱き雨宿りにひょこひょこ駆け込む人。それらをあざ笑うように、雨はそこらじゅうにハネを豪快に上げて、隠れても隠れてもどこまでも追いかけてくる。まるで魔物のように。
地下鉄の中で張り裂けんばかりの大声で泣きだす子供に遭遇することがあるが、まさにあの感じ。人前ならば親は自分を叱れないだろうという読みのもとに、とことんまで声を張り上げてみる。周りはみんなそれに気がついていて知らんぷり。平静を装っていることがまた彼の泣き声にスイッチを入れる。今日の雨もそんな利かん坊の体(てい)だ。
さあさあ、みんなうろつき慌てふためくが良い。
いったんスイッチが入ったらこの雨は止まらないよ。
僕は普段から傘を使わない人なので、雨が降ると我慢強くどこかの軒先で雨宿りするか、意を決してずぶ濡れパターンで飛び出して行くかのどっちかになる。
15丁目9アベニューのシェードに溜まった水が、雨宿りをしている人の目の前にザバッと落ちてくると「おおお」と一斉に声が上がる。街路樹の葉っぱは表も裏もなくシャワーで洗われ、枝の周りをぐるぐる回る。まるで「雨花火」だ。車道の隅には流れ着いた水が排水できずに渦を巻き、「にわか池」を作る。カッパを着て、その中を勇敢にざぶざぶ歩いている人もいる。諦めにも似た気持ち。しかしニューヨーカーは大げさで滑稽なこの雨を、どこか待ち望んで楽しんでいる風情がある。
思い出したことがある。