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石のスープ
特別号[2014年1月31日号/通巻No.104]

今号の担当:渡部真

 
 1月19日、福島県南相馬市の市長選が行われ、無所属・現職の桜井勝延氏(58歳)が、保守系の2人の候補を破って再選を果たしました。各候補者の得票は、1月19日現在、桜井氏1万7123票、前市長・渡辺一成氏(70歳)1万985票、前市議会議長・横山元栄氏(65歳)5367票。
 翌20日、南相馬市役所にて桜井市長の単独インタビューをし、これまでの3年間を振り返りつつ、選挙が終わった直後の率直な感想を聞きました。
(取材:渋井哲也、渡部真/構成:辻翔太)
 
 
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再選を果たした桜井勝延南相馬市長

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── まずは、再選おめでとうございます。前回の選挙から4年、とくにこの3年間、市長になる前には想像もできないほどのご苦労があったと思います。当選から一夜明けて、改めて現在の心境を聞かせてください。

桜井市長 今は、選挙終わってという心境というより、この震災以降、本当にやることの連続でしたから、政権交代一年経って本格的に復興にはずみがつくのかどうかについて、一息つく間もなく考えていかなければならないところ。正直言ってまだまだわからないです。(国のレベルでは復興を唱えても)現場にはその感覚として、まだ来ていない。
 結果として、私は選挙で信任を得ました。けれども、この選挙結果は、「なんとか踏ん張って頑張ってくれよ」「もう何とかして欲しい」という有権者の叫び声を受けて、私が選ばれたということなんです。これは、住民からの慟哭です。選挙戦のなかでは、当時避難させた事に対する感謝の言葉もありましたし、仮設住宅でも「ここまでしてありがとう」っていう声もありましたけれども、一方で「一刻も早くここをなんとか脱して、小高区に帰りたい」っていう一人暮らしの高齢者の人達の切実な声も、強く受けていました。責任っていうか、本当にこうした住民達のためにやっていくしかないという思いで一杯です。
 「復興」という単なる言葉ではなくて、彼ら一人一人の心にいかに寄り添っていけるか、また彼らが我々の出すメッセージで希望を持てるかどうか……。そういう大きな節目だなとい感じています。いま改めて自分自身のなかに揺るぎない決心、決意がより強くなっています。

── 今回の選挙戦のなかで、市長は復興をしっかり進めていくということを強く訴えられていました。一方で、対立候補からは、復興が進んでいない責任を追及される訴えがありました。

桜井市長 まあ簡単に言えば、そういう声に対しては「OKY」なんです。「お前、ここに来て、やってみろ」と。実際に現場で携わっていない人間から批判や非難を受けてもね。あの震災のなかをくぐりぬけて、誰も助けがないなかで、国からも県からも情報が来なくなって、物まで来なくなって、棄民扱いされた状況のなかで市民の命を救わなければならない。そういう必死な状況のなかで3年間やってきました。
 当初、私は霞が関からクレーマーと言われ、私の事を理解してくれない霞が関官僚も非常に多かったのです。それでも東京にしつこく通って現場の話をしてきました。そうやって私の姿勢が少しずつ浸透してきて、お互いに信頼関係を作ってきた。そういうことをやってきて、批判するならしてみろと。
 私は自分自身がやるべきことはやりきって来ているつもりです。毎日朝、自分自身にちゃんと答えを出すために体を鍛えて、夜中まで働いてもちゃんと熟睡できる体にしています。

── 体を鍛えているというのは、具体的にどのような……

桜井市長 走って足腰を鍛えるっていうのは昔からやっています。走るっていうのは、自分との対話なんですよ。自分自身にどう答えるか、自分自身の頭に去来するものに対して、どのように答えを出していくか。それを毎日続けていて、雨の日も雪の日も続けているので、1日1日が自分のなかの変化も感じているし、自分の体力というものもちゃんと感じています。
 ですから、選挙期間、10日間であろうが、2週間であろうが、自分はやりきれるという自信がありました。そのなかでスーツを着て、宣伝カーに乗って座っているのではなくて、スポーツウェアで走り続ける、スニーカーに裸足で走り続けるという自分のスタイルをずっと踏襲して、最後の最後まで18日の夜8時まで走り続けてきましたから、そういうのが少なからず市民からも評価されたんではないでしょうか。
 
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── 前回の市長選では、接戦の上で前市長を破って当選を果たしました。今回は、対立候補との票差が開き、対立候補2人の得票数を合計しても市長の得票が上回るほどでした。この結果はどのように分析されていますか?

桜井市長 私の名前を票に書いてくれたのは市民ですけれども、市の内外から、ボランティア団体であったり、各自治体であったり、私の友人であったり、家族であったり、私を応援している色んな人達から応援メッセージが市民へ届けられました。そうした応援が、選挙結果に繋がっていると思います。
 市民の人達が複雑な状況があるにしても、一つ一ついま苦しんでいる方に対して、形として見せなきゃいけない時なんだと実感しています。住宅問題、高速道路の問題、病院問題、介護保険施設の問題、働く人達の確保の問題……、こうした問題の全てに、市民の慟哭があります。
 多くの方から支援をいただいたということは、それだけ私に対する期待があり、それを本当に強く感じました。

── 福島県浜通りでは現職市長が次々と落選されるなか、相馬市に続いて南相馬市で現職市長が当選するという結果になりました。

桜井市長 南相馬市は、原発事故の影響で、福島県のなかで一番複雑な地域になっています。私は、震災直後の避難で混乱した状況をとりあえず脱した2011年5月から約3週間かけて、全国に避難させられてしまった人達の下へ、全国各地の避難所などをまわってきました。
 そこでは、私自身が罵倒や批判を受けることもありましたが、自分達が見捨てられたのではないかというような心配の声を上がられたり、できるだけ直接対話してきました。南相馬に戻ってからは、市内に残る企業経営者達に要望を聞き、そこから少しずつ出来る限りのことをやっていこうと行政として動かしました。何もかもが停まってしまった状態のなかで、企業が一つ一つ動き始め、学校が再開し、「死の町」だった南相馬が、ようやく人が通う町、人が歩ける町、車でも通れる町になり、そして9月には病院も再開した、そうした一つ一つの歩みがあったんです。そして今、ようやく本格的に復興に着手できる段階まで回復しつつあり、自分達がやらなきゃいけないという思いを持った市民も増えてきました。
 単なる被害者とか被災地というだけではなく、ここからさらに自分達の力でなんとかしようという思いも芽生え始めて、それが市の全体に広がりつつあるので、これをもっと重層的に力強くバックアップし、市民の人達がやっていけるんだという確信を持たせることが我々の仕事だと思っています。
 ですから、他の浜通りの市町とは事情も違います。市民一人ひとりが、ここでやっていけるんだという確信を持っていただければ、「現場が悪い、遅い、何もやっていない」ではない評価を受けると思います。市民と一緒にやるという感覚で動く。我々できないことは国や東電に対して、一緒に闘う。私だけが闘ってもどうにもなりません。だから一緒にやろうと。それをずっと訴えてきて、その結果としての当選だと思います。首長がどうあるべきかを問われたんだと思っています。

── 全国紙の新聞や、全国向けのテレビ報道などでは、同じ日に投開票のあった名護市長選の結果を踏まえ、安倍政権の方針と違う、具体的には「脱原発」を掲げた市長が当選したという評価が出ています。

桜井市長 私は中央政府に対しては、「市民がどういうふうな生活を求めているのか」「生活を再建したいのか」と訴えてきました。現場の意識が最優先されないと押し付けになってしまうし、住民の軋轢になってしまいます。中央政府が上から決めるものではなく、自分達の地域のこれからは自分達が決める。この国の本当の強さっていうのは、そうした自治の力。政府は、対立構造を生むのではなく、対立構造のなか必ず入り込む利権を追い求める人達のためにではなく、そうした利権の事など知らない、一人ひとりの人達の生活を保証していくべきです。そのためには一番安全で安心な地域を築くということ。
 私は原発に頼らない町づくりをしようと考えています。原発事故から、私達は「新たな世界を踏みだそう」「新しい南相馬を作ろう」と言ってきました。原発事故で破壊された生活、心、家族、地域は、原発では再生できません。自分達で新しいエネルギー分野、新しい産業、新しい地域作りに挑戦しなければならない。
 楽なことじゃない。けれども、自分達がこういうふうにするんだから、国もちゃんとバックアップしろと訴えていきたい。国のメニューにしたがって何でもありと受け入れるのではなく、「自分達がこう生きるから、国はこういうふうに支援をしてほしい」「国策によって破壊された町に対して、しっかりとバックアップしてくれ」と、こちらの側の主張を国に伝えていく事が重要です。これは本当に強く思いますよ。

── 原発事故以降、桜井市長自身のお考えが、大きく変わったのでしょうか?

桜井市長 そこは全く変わりましたね。
 事故の前までであれば、南相馬の事だけ考えていれば良かった。「この地域にとって何が必要か」「箱物がいいのか」「このまま財政負担、市債発行残高を増やし、今だけ良ければいいのか」「もっと後世代のためになんとかしたい」と、南相馬のなかだけで考えていました。しかし、震災と原発事故が起きてからはそんなことを言っていたら、生活再建さえもできないし、財施出動以外なんにもない。
 必要な事は、国から権限と財源を奪うこと。自分達のために、自分達がやれることはなんでもやる。そのために必要な財源は国にも、東電にも、しっかり要求してとってくる。そういう全く変わった状況になったわけです。
 震災直後、物資も届かず、誰も近づかなくなった状況のなかで、インターネットを使って南相馬の実態を発信し、それによって、最初は世界から注目され、その後、日本のマスコミからも少しずつ注目をされました。
 でも、それは私は目立ちたいからやっているわけではなくて、「現場をなんとかしきゃいけない」という思いだけだったんです。現場で起きていることを、しっかり日本中に伝え、中央のエリート官僚達に「現場と同じ感覚になれ」と。中央政府とはどういう役割を果たすべきなのかということを、この現場からしっかりと声をあげて伝えていくんだという、そういう気持ちで発信したんです。

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 この他、これからの復興、震災遺構や震災観光についてもお話を聞きましたが、それらは、この春、出版予定の「風化する光と影」続編(仮題)に掲載予定です。ぜひご期待ください。

【参考】
朝日新聞(1月19日):
南相馬市長選、脱原発の現職・桜井氏が再選
http://www.asahi.com/articles/ASG1H5VYLG1HUGTB00W.html

毎日新聞(1月20日):
南相馬市長選 「有権者、良識示した」 桜井氏再選、「脱原発」に追い風
http://mainichi.jp/shimen/news/20140120ddm041010089000c.html

福島民報(1月21日/社説):
相馬市長再選/目に見える成果を
https://www.minpo.jp/news/detail/2014012113403
 
 
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一時は「警戒区域」に指定された小高区では、
いまだ津波で流された車両が放置されている

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小高区の道路やインフラ工事は、少しずつ進められている
 
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 東京電力・福島第一原発からおよそ16キロの小高区の市街地。
筆者が初めてこの地を踏んだ時から約2年10か月。
あの時は誰もいなかった同地にも、少しずつ人が戻って来ている。
現在は「避難指示解除準備区域」に指定され、
居住制限はあるものの、日中の往来は自由になった。
 
 
    

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渡部真 わたべ・まこと
1967 年、東京都生まれ。広告制作会社を経て、フリーランス編集者・ライターとなる。下町文化、映画、教育問題など、幅広い分野で取材を続け、編集中心に、執 筆、撮影、デザインとプリプレス全般において様々な活動を展開。東日本大震災以降、東北各地で取材活動を続けている。震災関連では、「3.11絆のメッセージ」(東京書店)、「風化する光と影」(マイウェイ出版)、「さよなら原発〜路上からの革命」(週刊金曜日・増刊号)を編集・執筆。
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