定期号[2013年5月31日号/通巻No.80]
今号の執筆担当:村上和巳
「検討いたします」
「ご意見として賜ります」
「確認させてください」
いったいこれらの文句を何度聞かされただろうか?
あの福島第一原発事故を起こした東京電力の定例会見の場だ。
事故直後、東京電力が五月雨式に開催していた記者会見は、一時は政府・東京電力統合対策本部会見となり、2011年12月の野田佳彦首相(当時)の冷温停止宣言により、再び東京電力による取材の会見に戻り、現在に至っている。この間、記者会見の回数は土日も含む、午前・午後の1日2回から、平日のみの1日2回、さらに平日1日1回へと切り替わり、2013年の年明けからは月、水、金の週3回、午後5時半から定例会見として行っている。
■私が東電会見を避けていたワケ
震災直後、私は宮城県を中心に現地取材に飛び回っていたこともあって、ネットでの配信は見ることはあっても、実際の東京電力の記者会見に出席することは全くなかった。もっとも事故に関心がなかったわけではない。
実際、事故から約1ヶ月後の4月18日には当時は「避難区域」と呼ばれていた福島第一原発の半径20km圏内に本メルマガの共著者である渡部さん、渋井さんと一緒に入り、福島第一原発の正門前までは行っていた。
そもそも実家がある宮城県亘理町は宮城県沿岸南部で福島県との県境までは車でわずか30分、福島第一原発までは約80kmの距離。事故と完全に無縁といえる土地でもない。
また、震災取材では原発被害もさることながら津波被害も甚大だった福島県南相馬市にも足を運んでおり、福島第一原発がある福島県双葉郡と隣接する同市は当初市内の一部が事故に伴う警戒区域に設定されていたため、当然ながら原発問題にぶち当たることも少なくなかった。
しかし、率直に言えば、当時の私は一部の反原発派の排他的な思想や感情的な対応に振り回されるのはまっぴら御免という思いもあり、この問題をやや避けていたのも事実だ。
そんな私が東京電力の定例会見に初めて参加したのは2012年初夏。理由は単純で、やはり事故現場である福島第一原発の構内に入りたいと思ったからだ。福島第一原発の構内を取材する正攻法は、東京電力が主催する報道公開に参加すること。もっとも報道公開は当初、私のようなフリーランスに解放されてはいなかった。
しかし、会見に頻繁に参加していたフリージャーナリスト各氏の奮闘もあり、2012年5月の報道公開時にフリーランスも初めて福島第一原発の報道公開に参加することができるようになった。
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