未来地図レポート

ビッグデータが推し進めるのは監視社会じゃなく「黙殺社会」だ

2012/10/01 16:58 投稿

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 アメリカにはクレジットスコアという「信用値」が使われている。クレジットカードの利用履歴などから与えられる偏差値のようなもので、クレジットカードを作ったり住宅ローンを組むときだけでなく、就職や住居の入居などの際にもこのクレジットスコアが信用を測る物差しとして使われている。

 しかしアメリカでは最近はもっと刺激的なスコアが登場し、徐々に普及して行っているようだ。それがこのニューヨークタイムズの記事で紹介されている「eスコア」というもの。これは消費者の潜在的な購買力を測り、消費者の価値を査定するというものだ。

 いくらクレジットスコアという文化に慣れているアメリカでも、この数値についてはほとんどのアメリカ国民には知られていないという。さすがにおおっぴらに自分の購買力を測定されてしまうということになると、強烈な反発を買うことになるだろう。

 だがこのeスコアは多くのスタートアップ企業によって測定が試みられている。膨大なビッグデータをアルゴリズムによって解析するという手法だ。そしてこれはクレジットカード信用情報でしかない前述のクレジットスコアや、あるいはダイレクトマーケティングの分野で使われているような消費者のステータスを社会経済的に分類するような手法より、ずっと先を突っ走っている。スコアに消費者個人の職業や収入、自宅の資産価値、さらには贅沢品やペットフードなどにどれぐらいカネをかけているのかといった数値までも組み込んでしまおうというものだからだ。

 銀行やクレジットカード会社、保険会社といった多くの企業が、このeスコアを活用して、ウェブ上でアプローチする消費者を選択するのに使っているという。eスコアの数値によって、プラチナカードを勧めるのか普通のカードを勧めるのか、あるいはケーブルテレビでフルプランを薦めるのか安価なプランを薦めるのかということを決めることができるわけだ。

 eスコアが普及し進化していけば、その世界では低スコアの人は自分の視界にまったく贅沢品やプラチナカードや高級なサービスなどの情報が入ってこないということになる。不可視の世界。「こんな贅沢なものを買いやがって」と怒ることもない。そもそもそういう贅沢品の情報が目に入ってこないのだから。

 これは物理空間のリアルなショッピングストリートに置き換えてみればよくわかる。たとえばあなたがeスコアの低い所得層だとしたら、丸の内から銀座あたりをウィンドウショッピングしようとしても、マクドナルドとかドンキホーテとかマツモトキヨシしか目に入ってこない。ハイファッションのブティックとか高級車のディーラーとかは本当はそこに存在するのに、目に入らない。そういう高級店があるはずの場所には、低所得層にしか見えないコンビニ菓子の広告がARによって貼り付けられている。

 ニューヨークタイムズの記事では、eスコアを提供している企業のひとつとしてシリコンバレーのeBureau社CEOのゴーディ・メイヤーにインタビューしている。

 eBureau社は毎月、2000万人ものアメリカ人を査定している。クライアントは銀行や保険会社などの企業で、可能性のある顧客の名簿をほしがっているのだ。同社にはTruSignalという子会社もあって、こちらは広告主向けに1億1000万人の消費者を毎月査定し、オンライン広告を配信すべき顧客の名簿をつくっている。

 eBureau創設者でもあるCEOのメイヤーはeスコアをスタートさせる以前、リードジェネレーションを手がけていたという。これはインターネット上のアンケートや商品購買時のユーザー登録などで、個人情報の提供に同意した人の連絡先を企業に提供するというビジネスだ。

 日本では個人情報保護法の制限があるためかあまり盛りあがっていないけれども、アメリカではこのリードジェネレーションが非常にさかんだ。ポータルサイトなどにアクセスして広告をクリックし、さらに興味があれば、同意のもとに氏名や住所、年齢、性別、メールアドレスなどの情報を企業側に提供することになる。ここで取得されたユーザーのデータ内容によって、1人あたり○○ドルというような金額設定で企業に個人情報が販売されている。

 どこかの記事で読んだが、子犬向けの新しいペットフードを販売しようとした会社がリードジェネレーションを利用したところ、子犬を飼っている飼い主の情報を100万人分も取得できたという話もあるようだ。

 ゴーディ・メイヤーはしかしリードジェネレーション業界では、収集した個人情報をまったくフィルタリングしないでまとめて企業に販売しているところが多く、このため個人情報の中には潜在的顧客以外に、単なる野次馬やニセアカウントが多量に含まれてしまっていると指摘している。そこでこのフィルタリング技術を高めればより高性能なリードジェネレーションが行えるのでは?と彼は考えて、そこからeスコアのビジネスがスタートしたのだという。

 eBureauは次のような仕組みになっているという。まずクライアントは購入済みの大量のリードジェネレーションデータを登録する。この見込み顧客のデータと同時に、すでに購入してくれている顧客のデータも必要だ。eBureauはこのデータに、顧客のプロフィールをもとにデータベースから引っ張ってきた年齢や収入、仕事、資産価値、購入履歴、居住歴といった数千ものデテールを追加する。こうしたデテールによって、システムはアルゴリズムを使って各顧客を評価できるようになる。eBureauはこのデータを名簿ひとりあたり3〜75セントで販売している。

 スコアは0から99の範囲の数字で与えられる。99なら確実に顧客になってくれそうな人、0だとクライアント企業がその人に投資する価値はゼロというわけだ。

 この記事には、非常に注目すべきポイントがある。それは何かというと、このeスコアが顧客の行動監視ではなく、どちらかといえば「足きり」に使われているケースが多い、という事実だ。

 メイヤーによると、企業によってはトップクラスの顧客名簿よりも、下位の名簿を重要視するところもあるという。たとえば通信教育の企業だと、わざわざ高価なカタログを送付したりフォローの電話を入れるといったコストを「かけるべきではない」人物の名前をほしがる、ということだ。つまりはニセのアカウントとかを足きりしたいという要請がけっこう多いのだという。

「入学の可能性ゼロの人が25%いるとすれば、その25%の名前を知ることで無駄なコストをかける必要がなくなる」とメイヤー。彼はこうも語っている。「eBureauのクライアントはeスコアを潜在的顧客の幅を狭めるために利用しているだけで、クレジットやローン、生命保険の申請の可否の目的には使っていない」

 これは従来の「監視社会モデル」ではない。これまでの監視社会批判の多くは、勝手に自分の個人情報が利用され、自分の行動を先んじて推測したり広告をプッシュで配信してくることへの気持ち悪さだった。しかしこのeスコアでは、顧客の行動のすべてを予測して適切な情報配信を行うということまではクライアント企業の側は求めていない。

 そもそもライフログ/ビッグデータ議論でもさんざん言われているように、顧客データの解析によって顧客の今後の行動を完璧に予測するというようなことは現時点では非常に困難だ。eスコアのような方向性でも同様で、「この消費者がぜったいにわが社の顧客になってくれるかどうか」という限りない100%を求めるのは、現在のCPUパワーではかなり困難だろう。近未来SF映画によく表現されるような、完全にピンポイントでパーソナライズされた広告配信や情報提供というのは、かなり遠い先の未来の話である。

 一方で、「この消費者はぜったいにわが社の顧客にならないだろう」という足きりの判断は比較的容易だと考えられる。なぜか。身も蓋もない話だが、たとえばある自動車メーカーが1台1000万円の高級車を販売しようと考えていたとする。ここに年収4000万円の潜在的顧客Aがいるとして、この消費者Aが1000万円の高級車を買ってくれるかどうかはなかなか判断が難しい。過去にいつクルマを買い替えたのか。どんなクルマが好みなのか。生活様態はどのようになっているのか。さまざまな付随データを解析しても、それでも「かなりの確率でこの人は1000万円のこのクルマを買ってくれるでしょう」とは判断しがたい。

 年収2000万円の消費者Bや年収1200万円の消費者Cあたりになるともっと微妙だ。年収から言えばちょっと購入するとは考えがたい......しかし別の要因(たとえば妻の年収が多いとか、たいへんなクルマ好きであるとか)がからんでくれば、潜在的顧客になり得るかもしれない。

 だからこのあたりの「顧客になり得るかどうか」の判断は、アルゴリズムで最終判断されるべきではなく、有能な営業マンを投入して人的な努力によって成し遂げられるべきとするというのが企業としての結論になるだろう。とりあえずは全部見込み客として扱っておいて、あとはキレイなカタログと爽やかな営業マンの力で何とかしてみよう、ということが言えるわけだ。

 しかしもうひとりの消費者Dが年収300万円だとすれば、判断はもっと容易だ。「年収300万円の消費者が、1000万円の自動車を買う可能性はほぼゼロに近い」と容易に判断できてしまう。突然親族の遺産が転がり込んできたり、宝くじに当たったり、あるいはもの凄い脱税をしていて表面上の年収を10分の1に見せかけていたり、といった例外的なことでも無い限り、可能性はゼロだ。Dは潜在的顧客にはならない。

 だからDに豪華なカタログを送りつけたり、営業マンに電話をかけさせるのはコストの無駄でしかない。その無駄なコストを使わないための足きり材料としてeスコアを使おう、というのは非常に妥当な判断ということになる。

 これは企業に取っては妥当な判断だが、無視される消費者の側にとっては微妙だ。冷酷と言ってもいいかもしれない。ここで起きているのは、監視されることの問題ではなく、「透明な存在」にされてしまうことの問題なのである。

 『キュレーションの時代』などの著書で私は、戦後の日本社会はムラ的共同体の中で「常に見られていること」という息苦しさがあったと書いた。それに比べてムラが衰退したいまの時代は、「だれにも見られていないこと」の不安が増していると。それは神戸児童連続殺傷の酒鬼薔薇少年が90年代、「透明な存在である僕」と犯行声明文に書いたこととも重なってくる。

 ビッグデータのこの「監視すること」から「見ないこと」への動きは、この「見られない現代」という潮流となにかどこかで呼応しているようにも思える。「監視社会」ではない、新たな「黙殺社会」モデルの出現である。

※上記は8月27日(月曜日)配信のメールマガジン「未来地図レポート」208号から、特集記事2本のうち1本の全文です。

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佐々木俊尚

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