雑誌『暮しの手帖』。その表紙は、書店に並んだ雑誌の中でひときわ目を引く。なぜなら、旬のタレントやモデルの写真を表紙にしたものが多い中、どこか懐かしくて温かみのあるイラストが使われているから。

『暮しの手帖』1世紀74号、1964年5月5日刊、暮しの手帖社蔵

もう1つの特徴は、広告収入を主とする雑誌とは違い、広告を一切掲載せずに発行100万部まで成長させたこと。

『暮しの手帖』を創刊したのは、30年間編集長を務めた花森安治(はなもりやすじ)さんと大橋鎭子(おおはししずこ)さんの2人だ。創刊は昭和23年(1948年)で、戦後まもない時代でも美しく暮らしたいと願う女性への服飾提案、健康をささえる「食」、そして家庭を守る「住」、をとり入れ、生活家庭雑誌『美しい暮しの手帖』としてスタート。のちに誌名を『暮しの手帖』に変えた。

『美しい暮しの手帖』 1世紀1号(創刊号)、発行:衣裳研究所、1948年9月20日刊、暮しの手帖社蔵
中吊り広告「暮しの手帖 2世紀3号」、デザイン:花森安治、1969年11月1日刊行用、世田谷美術館蔵

「衣・食・住」を基本にすえて、ファッションや料理、編み物、収納術など生活の知恵や、暮らしの工夫とアイデアを紹介し、主婦の強い味方になっていった。高度成長期に電化製品が普及すると、「日用品の商品テスト」と称してその耐久性や安全性を実名で公表したり、食品添加物や公害問題などの社会の矛盾を鋭く突く批評を誌面で展開した。

時代に左右されることなく、庶民に向けて想いを伝えてきた、そんな『暮しの手帖』に、改めて耳を傾ける展覧会が世田谷美術館で開催されている。

取材する花森安治、1970年代初頭、写真提供:暮しの手帖社
新聞広告「暮しの手帖2世紀7号」の版下、デザイン:花森安治、1970年8月1日刊行用、世田谷美術館蔵

展覧会「花森安治の仕事―デザインする手、編集長の眼」では、編集者としてだけではなく、装幀家やイラストレーター、コピーライター、ジャーナリストなど多彩な活動を行ってきた花森さんの仕事を紹介。時代ごとの『暮しの手帖』の編集術や、戦中・戦後に他社で関わった広告宣伝の仕事、装釘した書籍、愛用品など、約750点に及ぶ作品や資料から、その人物像に迫る。

カット原画(椅子とランプ)、画:花森安治、『暮しの手帖』(1世紀5号、1949年10月1日刊)に掲載、暮しの手帖社蔵
カット原画(タイプライター)、画:花森安治、『暮しの手帖』(1世紀6号、1949年12月1日刊)に掲載、暮しの手帖社蔵
表紙原画、画:花森安治、『暮しの手帖』(1世紀19号、1953年3月1日刊)に掲載、世田谷美術館蔵

戦後、日本の出版文化に影響を与えた『暮しの手帖』は、1978年に花森さんが他界した後も刊行され、創刊から70年近く経つ今なお、根強く支持され続けている。

『暮しの手帖』の表紙をめくると、創刊号から現在に至るまで掲載され続けている、こんな文章がある。

これは あなたの手帖です
いろいろのことが ここには書きつけてある
この中の どれか 一つ二つは
すぐ今日 あなたの暮しに役立ち
せめて どれか もう一つ二つは
すぐには役に立たないように見えても
やがて こころの底ふかく沈んで
いつか あなたの暮し方を変えてしまう
そんなふうな
これは あなたの暮しの手帖です(『暮しの手帖』より)

これこそが花森さんが伝えたかったメッセージなのだろう。自分にとって、ゆたかな暮らしとは? 「花森安治の仕事―デザインする手、編集長の眼」は、それを今一度考える機会をつくってくれそうだ。

花森安治の仕事―デザインする手、編集長の眼
会場:世田谷美術館1階展示室
会期:2017年2月11日(土・祝)~4月9日(日)
開館時間:10:00~18:00(入場は17:30まで)
休館日:毎週月曜日 ※3月20日(月・祝)は開館、翌21日(火)は休館
観覧料:一般1,000円、65歳以上800円、大高生800円、中小生500円


花森安治の仕事 ― デザインする手、編集長の眼[世田谷美術館]

表紙:編集部の花森安治、1972年、写真提供 暮しの手帖社

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