福島県伊達市の霊山町(りょうぜんまち)という、人口7,000人強の小さな町で、奥さまと2人で「暮らし茶屋 風知草」を切り盛りする樋口さん。いまは田舎料理を提供する食事処で、今年か来年の夏には民宿としても開業する予定だそうだ。

民宿というと「人が集まる町」にあるものだと認識していたが、なぜ福島県の山奥で民宿を始めることにしたのだろうか?

以前FM福島のラジオ番組に出たきり、メディアの取材は受けていないという樋口さん。今回は快くインタビューを引き受けていただいたので、「暮らし茶屋 風知草」について、たっぷりお話を伺ってきた。

なぜ山奥で民宿をはじめることに?

──「宿」というと、どうしても観光地を連想してしまいます。どうして山奥で始めようと思ったのでしょうか?

ここじゃなきゃダメだったんだ。この場所が、「農家民宿(※1)」を始めるのにぴったりだったんだよ。

※1農家民宿の定義

「農林漁業体験民宿業(農家民宿)」とは、施設を設けて人を宿泊させ、農林水産省令で定める農村滞在型余暇活動又は山村・漁村滞在型余暇活動に必要な役務を提供する営業をいう。

福島県観光交流局観光交流課による資料より

「農家民宿」には、「農家の人たちが副業として始められるもの」として発案されたという背景もあるから、普通の宿泊施設と比べると、簡単に営業資格を取得できるんだ。

ただうちは食事・食材にもこだわりたくて、料理に使える衛生的な井戸水や、敷地内に田んぼと畑を持てる条件が揃っているかどうかとか……本当にたくさん調べてまわって見つけた場所なんだよ。

それにこんな山奥にあると、本当にここ目指してきてくれる方しか辿りつかないでしょ? とは言っても、新幹線に乗っちゃえば東京から2時間半くらいなんだけどね(笑)。

ヨーロッパでの一人旅と、そこで出会った豊かな暮らし

──それまでの労力をかけてここに「暮らし茶屋 風知草」を開こうとおもったキッカケは何だったのでしょうか?

 俺は会津若松生まれで、両親も福島の人間なんだけど、親父の仕事の関係で、千葉県で育ったんだ。そのまま東京の会社に就職して、23歳くらいまで働いてたんだけど、なんだかこのまま歳をとるっていうイメージが湧かなかった。毎日満員電車に揺られて、「仕事って、我慢でしかないのかな」なんて感じちゃったんだよね。このままずっと我慢しながら生きていくのってどうなんだろうと思って、自分探しの旅に出ようと決めたんだ。雷に打たれるような、衝撃的な出会いを期待して(笑)。

──わかります! そんな時は、僕もよく一人で旅行に出かけます。

それで半年くらいかけて、西ヨーロッパをバックパックで周ったんだ。イタリアから入って、フランス、スペイン、スイス、オーストリア……あとドイツへ現地の友人を訪ねたりもしたね。その友人の父親は自動車工場で働いていたんだけど、見ているとその暮らしぶりが日本よりも豊かであることに気づいたんだ。畑を持っていたり、家族と過ごす時間がとても長かったり。自分のサラリーマン生活とまったく違うなって。日本でこういう暮らし方をするには、まずお金持ちであることが前提な気がするけど、この国では、誰もがそれを実現している。雷に打たれるような経験はできなかったけれど、「ヨーロッパの暮らしの豊かさ」を強く感じる旅になったなぁ。

その頃から漠然と「地面に近い暮らし」というものをイメージするようになって、それがこういうことにつながっているんだと思う。

家具職人時代と、不耕起栽培との出会い

──以前は家具職人をされていたとのことですが、ヨーロッパから帰ってきてからその道に進んだのですか?

そうだね。「地面に近い暮らし」を実現するために、田舎暮らしの技術のひとつとして家具を作れるようになろうと思ったんだ。木工の基礎を学ぶための学校に通って、卒業後は岡山で職人の元に弟子入り。そこで修行を積んで家具職人になったんだけど、なってみて感じたのは、その世界の厳しさだったんだ。人気作家でもない限りは、なかなか食べていけない世界なんだよ。

木にたずさわることは好きだったけれど、一から機械を揃えて工房にこもる生活が、自分が本当に求めている「地面に近い暮らし」なのかも疑問に思えてきて。職人としての経験を活かしながら、大阪にある輸入家具の会社で働いたりもしたけれど、やがて限界を感じるようになったんだ。

そんな時、奥さんがインターネットで、福島の川俣町(風知草のある霊山町の隣町)に、不耕起栽培(ミミズに地面を耕してもらうような自然農法)を1年間住み込みで学べる場所を見つけたんだ。以前から畑には興味があったから、「地面に近い暮らし」を得るためのステップだと思って二人で参加してみることにした。

そこでは農法だけじゃなくて、料理やお風呂のために毎日薪で火をおこしたり、山菜を摘んで食べたり。1年間かけて、本当にたくさんのことを学んだんだ。物事っていうのは複合的な要素で絡み合っているじゃない? ひとつ知ると、職人時代に学んだ木材のこととか、いろんなことが一気に紐づいて、新しい知識になっていくのを感じたよ。

──「風知草」を自力で工事してしまうようなモチベーションは、そういう知識や経験から来ているんですね。

そうだと思う。家具職人とか、こういう自給自足の経験がなかったら、築250年の物件を見つけても自力でリノベーションしようとは思わなかっただろうね。

江戸末期に“戻した”家での、快適な暮らし


──築250年というのは、どうして分かったのですか?

この物件は何世代にも渡って住み継がれてきたんだ。家にもさまざまな流行があって、それぞれの時代の流行と照らし合わせると、どれくらい古い家なのかが分かるよ。長く住み継がれた家には、いろんな修繕、交換の跡がのこるから、それを辿ったんだ。

──なるほど。「壊して建て直す」とは正反対の住まれ方をしてきたからこそ残る跡があるんですね。

そうだね。それを思うと、近年の日本では、家を残そうとする感覚が少し希薄になってしまったのかもしれないね。

──ちなみに、ここってリノベーション物件という認識で正しいのでしょうか?

民家を店にしたから、リノベーションに入るかな。俺たちが手を加える前は、五右衛門風呂や、いろりではなく台所がある、昭和40年当時のモダンな住宅だったんだ。他にあった当時の痕跡は全部合板で覆われてしまっていたんだけど、俺はそれを全部取って、江戸時代に建設された当初の状態に戻したんだ。だから、“新しくした”というよりは“戻した”というか“当時にバックする”というか……。

──“建て戻し”とか? どう表現すればいいのか分かりませんね。

“建築当時に戻す行為”かな。といっても風呂はもう五右衛門風呂じゃないし、トイレは合併浄化槽だし、快適さも大切にしているよ。テーマパークではなくて、「現代にも通用する住まい」だからね。“建築当時に戻した”けど、快適に暮らせているよ。

施工当時の苦労と、意外な助っ人


写真提供:樋口さん

──この物件に出会った当時は、もちろん施工前の“あの”状態だったんですよね。

そうそう、俺たちが購入する前は30年以上空き家だったみたいで、本当にお化け屋敷のようだったよ(笑)けど、この物件を見た瞬間に、キレイにできるというイメージが湧いたんだ。

──土壁塗りなど、できるところは自力で施工したと伺いましたが、実際の作業はどのように進んだのでしょうか?

基礎工事と、腐食が進んでいた柱の交換はプロにお願いしたんだけど、それ以外のことはできるだけ全部自分たちでやることにしたんだ。途中に起きた震災のあと2年間のブランクがあって、それを含めると完成までに全部で5年かかったよ。

はじめは二人だったんだけど、最終的には大工をやっている若い子たちや、左官職人さんなんかも手伝ってくれて、ものすごく助かった。草野球をやるのに、メジャーリーガーが助っ人に来たみたいだったね(笑)。

──樋口さんのお人柄がみなさんを惹きつけたのでしょうね。ご自身たちで施工するにあたって、特にこだわった点はありますか?

新建材は使わず、なるべくこの物件が建った江戸末期当時の建材とか手法を使ったことかな。例えば床下には、断熱材として籾殻燻炭が敷いてあったり。昭和40年代以降すっかり減ってしまった土壁も、当時と同じ手法で再現したんだ。

他にも、自分ちの裏山から切り出した樹齢150年くらいの大きなスギを贅沢に使って床材を35mmまで厚くしたり、テーブルも俺が設計したものを、熟練の大工さんに手伝ってもらって制作したり。

──裏山から切り出すって、すごいですね。では施工期間中いちばん大変だったことは?

寒さだね(笑)。4tトラックの荷台に窓をつけただけの、釣り堀にあった休憩室のようなものを中古で買ってきて、それを家の裏に設置して住んでいたんだ。床を張り終えるまでは、奥さんと二人でそこに住んでいたよ。水のシャワーを浴びたり。ほんとに辛かったけど、もうあとに引けないから、やるしかないぞって(笑)。

求めているものは「共感」だった

インタビュー中、地元の方がカブをお裾分けしにやってきた

──ここまで来るのは決して楽な道のりではなかったと思いますが、そこまでして求めているものはなんなのでしょうか?

こういうことをやっているいちばんの理由は、「共感したい」っていう気持ちなのかもしれない。こうして店をやったり、今度は農家民宿も始めるけど、お客さんと一緒に過ごしている時間のなかで、ゆったり話をしたいね。

──樋口さんて本当に楽しそうに会話をしますよね。さっきいらしたお客さんや、地元の方とお話をしてる様子を見ていても、そう感じました。

あはは(笑)そうした会話のなかで「こういう暮らし方もあるんだ」と知るキッカケのひとつになれたら嬉しいなぁ。真似をして欲しい、という意味ではなくて、もし気に入った部分があったら取り入れてもらったり。そういう「人との関わり合い」のなかに、店があって、宿があって、そこで暮らしが回っていくっていうライフスタイルを目指しているんだ。

これからの暮らし

──最後に、いま思い描いている「これからの暮らし」についてお話を聞かせてください。

そうだなぁ。まずは農家民宿だね。大きな挑戦になると思うけど、共感を求めていきたいな。首都圏とか、外国のお客さんにも来て欲しいと思ってる。おこがましいかもしれないけど、こうした田舎の良さを知って、「これもニッポンのいいところだよね」と感じてもらったり、地元の人に、「自分たちの地元って、こんな遠くから人が訪れてくるほど価値のあるところなんだ」と見つけてもらうキッカケになれたらうれしいと思ってる。

あとは、鋳物とか陶芸の職人みたいな人が近くにもっと引っ越してきてくれたらいいな。互いの技術を交換しながら、なにか面白いことをしてみたい!

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終止穏やかな樋口さんの語り口と、ここまで歩んできた道のりの過酷さのコントラストに、ただただ圧倒されてしまった。“外”から移住してきた樋口さんがこうして地域の人たちと良い関係を築き、お店を営むことは、僕には想像もつかないほどの時間と労力を要するのだろう。

「5年かかってやっとここまで来たよ」と語る樋口さんは、すでに遠い先を見据えているように見えた。その目には、どんなビジョンが思い描かれているのだろうか。

遠くないうちにまたお邪魔して、今度はお酒でも飲めたらいいなぁ。

暮らし茶屋 風知草

住所:福島県伊達市霊山町 上小国 字柏平 五十二番地
電話:080-5563-4052
メール:ds.ds.dsr@gmail.com


取材協力:河村洋司
Photographed by 飯塚レオ
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