【本格将棋ラノベ】俺の棒銀と女王の穴熊

俺の棒銀と女王の穴熊〈5〉 ~将棋界の一番長い日~ Vol.12

2015/07/10 18:00 投稿

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 昼休明けも定跡を辿りながら、小考合戦が続いた。そして午後三時になると大盤解説会が始まり、視聴者の熱気もいっそう高まってくる。
 解説は先日山寺と熱戦を繰り広げた田無次郎九段。聞き手は美貌で人気の川口梨々(かわぐち・りり)女流初段。田無は二十数年前、プレーオフを勝ち抜いて名人戦に登場したことがある。本局の解説にはピッタリの人選だった。
「いやあ、あのときのプレーオフは大変でしたよ。四人でやりましたからね。私は三連勝しなくちゃいけなかったんです」
「でも、三連勝したんですよね」
「ええ、局面があまり動かないようですので、そのときの将棋を解説しましょうか? アンケートを取りましょう」
「田無先生、ニッコ生慣れてますね」
「大好きですからねえ。ははは」
 視聴者アンケートは、当時の将棋を見たいという声が圧倒的多数だった。本来の対局はそっちのけで、まったく別の将棋を取り上げる。これもニッコ生のいいところである。
 田無が挑戦した名人戦で、当時三段だった山寺は記録係を務めた。間近で見る名人、そして挑戦者のすさまじいまでの気迫は、今でも忘れられないと語っていた。
 自分もいつか、この舞台に立ちたい。そう願い続けて、およそ四半世紀。どうか報われてほしい。将棋の神様が本当にいるなら、彼に微笑んでほしい――。
 懐かしのプレーオフの解説は三十分ほど行われ、好評のうちに終了した。快勝譜を振り返って、田無も満足そうだった。
「今と違って、なんだか味のある将棋っていうんでしょうか。こってり濃厚でした」
「川口さんは面白い表現をしますねえ。まあ、昔はよかったと言うわけじゃないですが、今の将棋は、本当に細かいところを掘り下げていきますね。今回みたいな角換わりとか、ついていくのは正直辛いと思うこともあります」
「田無先生ほどのベテランでも、ですか……」
「でもプロは、苦しんで強くならなくちゃいけないんですよ。私もA級から落ちることが決まってしまいましたが、もう一度勉強し直して、復帰を目指したいと思っています」
「はい、私もタイトル戦に出られるよう、頑張らないと!」
 ここで一時間半もの長考をしていた豊田が、駒を成り捨てる手を放った。ここからノンストップで攻めていくという、強烈な意思表示。
 山寺にとっては辛抱の時間が訪れた。豊田はさらに飛車も切り飛ばし、強引、豪快なアタックを敢行する。田無も思わず唸り、視聴者に変化の一例を示していくが、駒損をしているにもかかわらず豊田の攻めはかなりうるさい。
 すると今度は山寺が長考をお返しする。両拳で畳を突き、やや前傾姿勢になる。席を外したかと思えば、すぐに戻ってくる。腕を組み、あぐらになり、また退席する。背筋を伸ばし、じっと石のように動かない豊田とは実に対照的だった。
 棋譜コメントに「山寺は控え室で、持参したお菓子の詰め合わせを食べ始めた。昨夜、弟子の研修会員からプレゼントされたとのことだ」と記載された。早坂たちがほくそ笑んでいる姿が目に浮かんだ。しかし、味をじっくり堪能する余裕があるとは思えなかった。
「このまま夕休に入るかもしれませんね」
 田無の予想は当たった。二時間あまりの考慮、山寺はとうとう一手も指さず、夕食休憩に入った。しかし消費時間にそれほどの差はついていない。
「どうなの、状況は」
 義母が一流のプロでも困る質問をする。延々と続く長考にすっかり参ってしまったようで、もう画面を見る気にはなれないようだった。
「まだ、どちらがいいとも言えません」
「なんだか、将棋ってそういうのばかりじゃない?」
「そういうものなんです。さ、夕ごはんにしましょうか」
 さすがに夕食の用意も忘れるというヘマはしなかった。料理をテーブルに並べていると、昼寝というには長すぎる睡眠を取っていた日向も、やっと起きて快活な笑顔を見せた。
「えへへ、これで今日はバッチリ起きてられるよ」
「ひなくん、無理しちゃダメだからね」
「大丈夫だよ。男だし」
 日向は本格的な夜に向け、必要なエネルギーを存分に取り込んでいった。その幼い瞳はらんらんと輝き、クラスでもみんなが応援してくれていたと、嬉々としておしゃべりした。
 もはや、なるようにしかならない。母親の自分にできることは、父親の大勝利を疑わないこの子に、寄り添ってやることだけだ――。
 夕食が済むと、日向はパソコンの前に陣取った。普段は決して触らせていないが、今夜はずっと座ってていいと言ってあげた。きっと映画館の一番いい席に座っているような感覚でいることだろう。
「あ、お父さんだ」
 休憩が明けて、ニッコ生に再び両対局者が映し出される。再開直後、山寺はしっかりした手つきで着手した。敵陣に飛車を打ち下ろし、プレッシャーをかける。その姿を、日向は画面に穴が開くほどまっすぐに見つめていた。
「ひなくん、あまり近づくと目に悪いわよ」
「うん」
 注意されていったんは離れるが、気がつけば無意識のうちに近づいてしまう。義母はもう諦め気味の顔で、お風呂に入ると言ってリビングを出て行った。
 ――山寺は龍を作れたものの、豊田陣は金銀四枚の鉄壁を敷いて、どうにも攻略が難しい。しかし山寺の玉も不安定そうに見えて、相手の駒が少ない中段に躍り出ようとしている。
 これは、あの展開だ。
「おお、山寺さん、やはり入玉を目指しますね」
「入玉! 私の一番嫌いな将棋用語ですよ~」
 川口がおどけるが、いまいち笑える雰囲気にはならなかった。予想どおり、山寺玉は豊田陣への移動を始める。
「お父さん、大丈夫なの?」
 プロの目にも難しい局面だが、ルールを覚えたての日向にはいっそうわからない。だが、確実に言ってやれることがある。
「大丈夫よ、そう簡単には捕まらないわ」
 入玉さえすれば、今よりもチャンスは広がる。安全地帯に身を潜めて、あとはじっくりと金攻めなどすればいい。そうすればいかに鉄壁でも、徐々に剥がしていけるはず。
 ところが、次の豊田の一手に背筋が凍った。
「おお、豊田さんも詰ましにいくのは難しいと見ましたか?」
「うわあ、これは本当に長くなりますね!」
 田無と川口も驚嘆の声を上げる。それは山寺玉ではなく、まったく別方向の駒を狙った手だった。すなわち自分の王様も入玉しやすいようにする、上部開拓作戦。
 相入玉だ。〈今夜は長くなるな〉〈俺らを寝かさないつもりだな〉などとコメントが流れる。
 日付をちょっとまたぐだけでは済みそうにない。午前二時、三時、いやもしかしたら明け方まで……。何しろ持将棋になった場合でも、後日ではなくすぐに指し直しするのだ。できるだけ日向に見せてやりたいと思っていたが、そうも言っていられなくなった。

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