【本格将棋ラノベ】俺の棒銀と女王の穴熊

俺の棒銀と女王の穴熊〈5〉 ~将棋界の一番長い日~ Vol.3

2015/06/01 18:00 投稿

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 いよいよ紗津姫が大盤の前に立ち、軽く会釈する。今は夕休の最中、ゆっくりと星取りの確認からスタートした。
 六勝一敗の単独トップで迎えているのが山寺行成八段。五勝二敗で二位につけるのは、今期A級入りしたばかりの豊田一章八段。将来の名人候補という前評判どおりの成績だ。そもそも二十四歳という若さでA級入りすること自体、一頭地を抜いた才能の証明である。
 山寺は今日勝てば、プレーオフ以上が確定する。順位戦は前期の成績によって決められた順位があり、リーグ終了時に同じ勝ち星の棋士が複数出た場合、順位が上の棋士を昇級者とするルールだ。しかしこれはB級1組までの話。A級は順位に関係なく、同率首位の棋士でプレーオフを行い、名人挑戦者を決定するのである。
「もし山寺八段が勝って、豊田八段が負ければ……最終戦を待たずして、山寺八段の優勝、名人挑戦が決定しますね」
「もしそうなったら、みなさんに……そうね、ドリンク一杯サービス! しょぼくて申し訳ないけれど」
 店主の軽い自虐に、どっと笑いが起こる。
 ……本当にそうなったら、どんなにいいだろう。お客の手前、愛想を振りまかなければいけないけれど、ソワソワしてしょうがなかった。その心の揺れを、決して面に出すわけにはいかない。今はプロとして、ファンへのサービスに徹しなければならない。
「それでは、まずは豊田八段と播磨八段の対局から見ていきましょうか。お互い、初のA級入りを果たしましたが……成績面ではずいぶん対照的になってしまいました」
 播磨佑(はりま・たすく)八段。棋戦優勝の実績があり、しかも伊達名人と並び称されるほどの色男ぶりでファンを増やしている。豊田八段とともにA級入りし、名実ともにトップ棋士の仲間入りを果たしたが……ここまで全敗。今日を含め二戦を残しているのに、すでにB級1組への陥落が決定してしまっている。近年例のない不名誉だが、A級が鬼神たちの棲み処であることを、あらためて思い知らされる。
「播磨先生のファンなんだけど、ぜひ意地を見せてもらいたいです! 山寺先生の後押しにもなるし」
 女性客のひとりが言った。紗津姫は笑顔でスマホのモバイル中継を見ながら、初手から解説を始める。高遠は接客をしながら耳を傾けた。そしてすぐに驚かされた。
 女流棋士が聞き手を務めるのは、将棋ファンなら見慣れた光景だが、自ら解説をすることはほとんどない。というより機会が与えられない。だというのに、プロですらない紗津姫のよどみない語り口は、とても初めてとは思えなかった。この戦法の基本的な狙いは何か、この手の狙いは何か、決して難しい言葉を使わず、心地いい声で聞かせてくれる。同性、しかも成人もしていない女の子に癒やされるというのを、高遠は初めて経験した。
「逸材ね、あの子は」
「そうでしょうそうでしょう!」
「なんであんたが得意になってるのよ」
 来是と依恋も、解説が気になりながらも真面目に働いてくれている。あんな素敵な先輩がいれば、将棋だけでなく人格面でも影響を受けずにはいられないだろう。
「播磨先生、ちょっと指し手に困っている感じがします……」
 現局面まで進んだところで、微妙な形勢ながらも、紗津姫は先手の豊田持ちの判断を示した。先ほどの女性客が、ああ、と落胆の声を漏らした。もちろん勝負はまだこれからだが、それほどに紗津姫の解説に説得力があったのだ。この子が困っているというなら、本当にそうなのだろうと……。
 他の対局も解説しているうちに、午後七時を回った。夕休明けからは打ち合わせどおり、レースのトップを走る山寺の対局をメインに解説していく。
 相手はA級最年長の田無次郎(たなし・じろう)九段。タイトル獲得五期を誇る、生粋の居飛車党だ。今期は順位が悪い上に、白星も思うように集まっていない。もうひとりの降級候補筆頭と言われてしまっているが、山寺との対戦成績は五分。しかも前期は敗れている。決して油断ならない相手である。
「私、驚いてしまいました。山寺先生もどちらかといえば居飛車党だと思うのですが、今回は四間飛車にしてきましたね。角道を止める、昔ながらのノーマル四間飛車です。……絶対に居飛車で来るだろうという、田無先生の対策を外しに来たのでしょうか。少なくとも今期は、ほとんど振り飛車は指していないはずです」
 高遠も棋譜を見たときは目を疑った。山寺は振り飛車をまったく指さないわけではないが、割合で換算すれば一割程度だろう。それをこの大事な一戦にぶつけてきた。
 対策を外すため。紗津姫の予想は当たっているかもしれない。
 棋力、研究量ではなく、駆け引きも含めた人間力で勝負する。名人になるためには、それこそが必要だと、真剣に考えているのだろうか。
 常に真っ向勝負が信条だった彼が、そこまで考えなければならないほど名人を渇望し――プレッシャーをはね除けようと、懸命にあがいているのだろうか。
「いずれにしても、面白い将棋になっていますね。最近はノーマル四間飛車を採用する棋士が、また少しずつ増えているように思いますから。……あ、山寺先生が指しました。これはかなり強気の手です。相手の攻めを呼び込んでいるように見えますが」
 紗津姫は嬉しそうに大盤の駒を操作する。厳しい勝負の世界とは縁のない、純粋に将棋が好きな人の表情。いいなと、素直に思った。自分のように、棋士たちが人知れず抱える苦労にまで思いをいたす必要などない。ただ、お茶でも飲みながら楽しんでもらえればいいのだ――。

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