【本格将棋ラノベ】俺の棒銀と女王の穴熊

俺の棒銀と女王の穴熊【3】 Vol.29

2013/11/02 13:00 投稿

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     ☆

「はーい、1+1はー?」
 四日間の合宿の締めは、集合写真撮影だった。透明感に満ちた夏空の下、趣ある木造建築をバックに、来是はさりげなく紗津姫の隣に立った。かすかにいい匂いが漂うのを感じながら、女将さんの持つカメラに向けてドヤ顔を作った。
 パシャリとシャッター音が響く。確かな青春の一ページが切り取られる。この写真はきっと、一生の宝物になるだろうなと思った。
「お世話になりました。とてもいい合宿ができました」
 斉藤先生に続き、部員一同お礼を言う。
「大会で優勝でもしてくれたら、うちの人気も上がりますからねえ。頑張ってくださいよ」
「いい結果を出せたら、お手紙でご報告しますね」
 紗津姫の何気なさそうな約束が、女将さんはとても嬉しそうだった。
 濃密な将棋の時間を過ごさせてくれた宿に別れを告げて、駅までの道のりを歩く。
 あとはのんびりと電車に揺られて東京に戻るだけだ。しかし帰ったら何をしようかと迷ってしまう。つい昨日まで将棋三昧だったのだから別のことをすればいいのだろうが……今や将棋以上に楽しいことはそうそうないし、第一ひとりでは面白くなさそうだ。
「摩子ちゃんは新幹線ですか?」
「ううん、紗津姫ちゃんと一緒に帰る!」
 出水はさも当然のように紗津姫と腕を組んでいた。
 ――いずれは俺がその席に! 来是は強く思う。
 棋力の差が、そのまま紗津姫との距離になる。この合宿で、その距離は少なからず縮まったはずだ。そして来たる関東高校将棋リーグ戦で、さらに縮めなければならない。
 実戦こそが最高の修行の場。まだまだ未熟な将棋だが、真剣に打ち込めばきっと、得られるものがあるだろう。
「ねえ、来是」
「なんだ? 依恋」
「帰ったらあたしんちで将棋しない?」
「え? 将棋?」
「昨日まであんなにやってたんだもの。いきなりスイッチ切り替えろって言われても調子が狂いそうよ」
「ほー、そこまで将棋が身に染みついたか」
 関根がしみじみと言う。来是も少し嬉しくなった。
 そうだ、無理して他のことをしないで、将棋をすればいいのだ。大会までの数日間、そうしてコンディションを整えればいい。
「なるほどなるほど、小技を仕掛けてきますねえ」
「金子さん、何か言ったか」
「なんでもありませんよー、むふふ」
 帰りの電車内では、おのおの将棋以外の他愛ない話をしたり、本を読んだりして過ごした。行きは寝ていて見られなかった車窓からの海の風景も存分に味わった。
 電車が東京に近づくにつれて、充実した合宿もついに終わりを迎えるのだと感慨深くなる。大会に出る将棋部の中には、同じように合宿をしたところもきっと多いだろう。だが、自分たちほど充実した合宿をした将棋部は他にないだろうと思った。
 東京駅に着くと、メンバーはその場で解散した。
「大会まで体調を崩さないでくださいね」
 紗津姫のその言葉が、合宿最後の教えだった。
 来是と依恋は地元の駅まで戻った。あらかじめ連絡を受けていた依恋ママが、他とは存在感の違うベンツで待っていた。後部座席に乗ると、依恋ママは若々しい笑顔を向けた。
「どうだった?」
「うん、まあまあだった」
「まあまあってなんだ? すごくよかったって言うところだろ」
「いいの」
 何がいいのかよくわからないが、深く考えることもないかと思った。
 来是は家に戻らず、そのまま碧山家にお邪魔することにした。さっそく和室に入って、あの宿のものより数段綺麗で高級な盤駒を用意する。
「ま、気楽にやりましょ」
「そだな」
 ただ駒の感触を楽しむためだけの、遊びのような将棋になった。一手一手を深く考えず、直感だけで進めていく。必然、凡ミスも多くなるが、ふたりは笑いながら指し続けた。
 ふいに、来是の胸の奥底が甘い痛みに襲われる。
 和やかな吐息。何気なく髪をかき上げるその仕草。優しい笑み。
 依恋は変わった。気の強さばかりが目立つお嬢様の彼女は、もうどこにもいなかった。
 好きな人がいると、真剣に言葉にできる、年頃の可愛い女の子になった。
 いや、変わったのは――ずっと苦手だったはずの依恋を魅力的と思うようになった自分のほうだろうか。
「ふふん、これで詰みね」
 パシリと、とどめの一着。来是は我に返ると、潔く頭を下げた。
「ね、大会までこうして練習しようよ」
「……ああ。ひとりでやるんじゃつまらないしな」
「ついでにお昼ごはんも、ごちそうしたげる。毎日あたしが作るから」
「そ、そこまでしなくていいって」
「遠慮することないわよ。あたし最近、メキメキ料理が上手くなってるんだから」
 さっそくその腕を見せつけようと、依恋は立ち上がってキッチンに向かった。
 ひとり和室に残された来是は、自分の内に生じている感情を冷静に分析しようとした。しかし、その分析はするべきではないという直感があった。
 今までの依恋との関係が、根本的に変わってしまう。そんな恐れが生じているのを、来是は明確に悟っていた。

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