俺の棒銀と女王の穴熊【3】 Vol.27
コンビニ弁当の昼食休憩を挟み、次のカリキュラムはプロの棋譜鑑賞。紗津姫と出水が盤を挟んで、プリントアウトされた棋譜を見ながら指していく。題材は今年の名人戦だ。
「ここで新手が出たんですね。それが功を奏して、防衛に繋がりました」
「今までまったく現れたことがない手だったんですか?」
「新手っていうのは、あくまでプロの公式戦では出たことのない手っていう意味だ。だから研究会とかではすでに出ていることも珍しくないそうだ。まれに、俺らアマチュアが新手を発見することもあるらしいな」
「紗津姫ちゃんだったら、驚くような新手を見つけることもできるんじゃないかしら」
「それもひとつの夢ですね。将棋はまだまだ奥が深いです。その深淵に少しでも触れることができるなら……」
棋譜並べを終える。相手は同じプロであるにもかかわらず、序盤中盤終盤とまさに名人芸を見せつけての完全勝利だ。
はるか雲の上の存在である紗津姫の、さらに高みをゆく人の将棋。あまりにも遠すぎて憧れすら抱きづらいが、その距離感をはっきり認識できるほどには、自分も上達しているのだろうと思った。
「にしても名人って、かなり若い人ですよね。しかもイケメンで」
「確かまだ三十歳になったばかりだな。女性ファンもすごく増えてるらしい」
「ふうん。独身なの?」
「何かのインタビューで恋人募集中とか言っていた気がします」
「相手には困らないでしょうねえ。女流棋士で狙ってる人も多いんじゃ?」
金子の問いに、出水は実に興味なさそうな顔をする。
「どうかしらね。でも研修生の中には、名人に会いたいなんて子が結構いるわ。そんな浮ついた気持ちだから上手くなれないのよ」
「私は一度くらい、会ってみたいですね。将棋の神髄にもっとも近いところにいる人ですから」
「紗津姫ちゃんなら何の問題もないわよ。それどころか、あちらのほうからアプローチしてくるかもしれないわ」
「はい?」
出水の言葉の意味がよくわからなかった。名人のほうから紗津姫にアプローチ?
「師匠から聞いたんだけどね、紗津姫ちゃんはプロの間でも話題よ。アマチュアながら天才的な腕を持つ美少女ってね。若い棋士なんかはアイドルみたいに見てるとか」
「その中に名人もいるって……?」
「そういう噂もあるってこと。でも、全然不思議じゃないわ。だって紗津姫ちゃんだもの。私だって男だったら……」
女流アマ名人の表情に一瞬、陰が差した。彼女の心中はあえて察しないようにして、来是は明るく口にする。
「ま、まあ俺だって会ってみたいですね。依恋だってそうだろ」
「うん? ……そうね、紗津姫さんのほかにもこんな美少女がいるってことを知ってもらいたいわね」
「すごい自信ですねえ。でも私も会ってみたいなあ。サインをもらえたらおじいちゃんが喜ぶだろうし。今度の大会に顔を出してくれるとかないですかね?」
将棋界最高の名人が、たかが学生の大会を見に来る。さすがに考えにくいだろうと思ったが……。
「なんだったら師匠を通じて、来てくれるようにお願いしてみようか」
「え、マジ?」
「あんたたちのためじゃないわ。紗津姫ちゃんのためよ」
「摩子ちゃんのお師匠様って、山寺八段ですよね。名人と仲がいいんですか?」
「師匠のほうが一回り年上だけど、タイトル争いをしてから意気投合したらしいわ」
出水は手早くメールをしたためる。返信はすぐに来た。
「伝えておくって。名人は忙しいから確実に来れるかどうかはわからないけれど。それと師匠も紗津姫ちゃんに会えるのを楽しみにしてるってさ。大会の審判長をやるそうだから」
「あら、そうだったんですか」
「もし紗津姫ちゃんがプロを目指していたなら、弟子にしたかったとも言ってたわ。これからの将棋界、もっと女の子に活躍してほしいっていうのが口癖でね」
「その仕事は摩子ちゃんにお任せです。たくさん活躍して、多くの女性ファンの憧れになってください」
「うん。だから私と対局しよ! もっと強くならなきゃ」
紗津姫と出水が対局を始めてしまったので、来是も依恋と指すことにした。
依恋のことだ、意地悪な罰ゲームを考えているに違いない。練習終了までにあと何局指せるかわからないが、負け越すわけにはいかない――。
「罰ゲームの内容、あたしはもう決めてあるわ」
「勝ち越す気満々だな。でもそう簡単にはいかないぞ」
今度はもう余計なことに気を取られず、罰ゲームのことも忘れ、盤面だけに集中する。攻めばかりに意識が向いてはいけない。何気なさそうな指し手の中に、依恋が何を狙っているのか慎重に見極める。
お互い上手くなった――持ち駒の歩の使い方だけ見ても、そう実感できる。紗津姫や出水にはまだまだ及ばないにせよ、しっかり戦術的になっている。
あとはどれほど読みを深められるか。それが今後の上達にかかってくるはずだ。
そのためには、実戦を積み重ねるのみ。今度の関東高校将棋リーグ戦、それすら自分にとってはステップにすぎない。神薙紗津姫という目標に到達するための。
「よし、これでどうだ!」
「む……そう来るわけ」
予想外の手だったか、依恋は小考に陥る。しかし彼女も今や、あっさり自分から崩れるような指し方はしない。きっちり玉の周りを固めて辛抱する。来是も容易には攻めきれないと判断し、着実に駒得を狙いに行く。
一進一退の攻防にも、やがて終わりが訪れた。一手違いの終盤争いを、どうにか来是が制した。
「……負けました。そんなに悪い手は指してなかったと思うんだけど」
「ありがとうございました。ああ、すごくいい勝負だった。やっぱり依恋が相手だと燃えるな」
「そ、そう? ……実はあたしもなんだ」
「相性ピッタリですね、おふたりとも!」
観戦していた金子が茶々を入れると、来是と依恋はタイミングを合わせたように頬を赤く染めた。
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