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来是が碧山家を辞すと、依恋は再びベッドに寝転がった。仰向けになって、だらしなく大の字になって。
「依恋ちゃんはいつ攻めに転じるんですか? 彼のように」
紗津姫から投げかけられた強烈な言葉。それまで綺麗に回る独楽のように安定していた依恋の心は、急激に乱れていった。
来是自身が言ったとおりだ。可能性は低い。紗津姫でさえ今の棋力に達するのに三年かかっている。それ以上のペースで上達しようなんて、無謀もいいところだ。
だというのに、恐れも知らずに女王へと挑戦しようとする来是。そして自分を超えたなら受け入れると明言した紗津姫。
負けてなんかいられない。やってやる。そう決意した。
チャンスは何度だってあった。しかしいざ彼の前に立って想いを伝えようとすると、少しも言葉が出なくなってしまった。理由ははっきりしていた。
――拒絶されるのが怖い。
友達でいようなんて、優しい言葉をかけられるのが怖い。そんなことになったら、今までどおり一緒にいられなくなる。
そもそも、来是が自分の気持ちに応えてくれるわけがない。紗津姫を超えて告白する。その意思を固めてしまった以上、少なくとも期限内であるうちは、誰の心も入る余地がない。
ならば、来是の失敗を願う? 結局紗津姫を超えることはできず、彼が落ち込んでいるところへ、「あたしがいるじゃない」みたいな台詞で近づいていく?
……なんて卑怯な考えだろう。自分で自分が嫌になる。
欲しいものは実力で勝ち取る。それが碧山依恋のスタイルのはず。でも真っ向勝負じゃ可能性はゼロのまま! だというのにあの人は、余裕たっぷりに、いつ攻めに転じるのかなんて……。
着信メロディが流れる。発信者は紗津姫だった。
「依恋ちゃん、今大丈夫ですか?」
「うん……部活休んでごめん」
「いいですよ。私は経験したことありませんが、恋煩いって辛いと思います」
「……来是は全然、辛いなんて思ってないみたい。紗津姫さんを超えられるかわからない、ダメだったら諦めるなんて言っときながら、なんであんなに前向きなの?」
「さて。でもそれが彼のいいところだと思いますよ。とにかく突き進むしか選択肢がない。だったら結果がどうなろうと、明るく楽しく、全力を尽くす。……依恋ちゃんだって彼のようになれるはずですよ」
「なろうとしたわよ! でも、聞いてもらえるはずないじゃない。あなたに挑戦することしか頭にないのよあいつは!」
「それでも、ぶつかるしかないでしょう? さもなければ、私が卒業するまで待ちぼうけですよ」
あと一年半以上も、この想いを抱えたまま悶々とした日々を過ごす。
そんなの、耐えられそうにない。
何より、紗津姫の卒業まで待つということは、来是が失敗するのを期待するということだ。失恋の弱みにつけ込むなんて、断じてできない!
「どうせダメなんて思わないで行動してください、依恋ちゃん。恋愛は将棋と違って計算じゃないんですから、何か予想外の展開になるかもしれませんよ?」
「予想外の展開って――」
「ふふ、夏休みに入ったら、さっそく合宿があります。そこで勝負ですよ。開放感も手伝って、春張くんも依恋ちゃんの熱烈アタックにクラッとくるかもしれないじゃないですか」
また適当なことを、と毒づきたくなる。
だが――そうするしかないのかもしれない。紗津姫が卒業するまで沈黙したままなんて、とてもじゃないが無理だ。
「私は依恋ちゃんを変わらず応援しているんですよ。この夏で、変わってみせてください」
「……ねえ紗津姫さん、まさかこの状況を楽しんでる?」
「楽しいというより、ハラハラドキドキです。可愛い後輩が想いを成就させるかどうかの局面ですから」
電話を終えて、依恋はどっぷりと溜息をついた。
応援するなら、そもそも来是に期待を持たせるようなことを言わないでくれたらよかったのに。何度そう思ったかしれない。
だが紗津姫にも紗津姫の思惑がある。最初から来是を拒否してしまえば、失恋の悲しみを味わわせてしまえば――急速に将棋への情熱を失ってしまうのは確実だ。そうなれば将棋部はバラバラに分解してしまう。考えられる限り、最悪のケース。
だから卒業するまでという期限を設けて、来是を発奮させた。もし望みが叶わなかったとしても、来是は全力を尽くせたことに納得し、次の恋を見つけることができる。将棋への情熱も継続する。紗津姫はそこまで計算しているのだろう。
なら、自分のなすべきことは?
――結局、答えは最初からひとつしかない。
来是の紗津姫への想いなど関係ない。拒絶されることを怖がってもいられない。ほんのわずかな可能性にかけて、まっすぐ、ストレートにぶつかっていく。依恋は今度の今度こそ、断固たる決意を胸に飲み込んだ。
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