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部活終了後、来是は帰路につきながら依恋の携帯に電話をかける。数回の着信音のあと、けだるそうな声が響いた。
「……なに、どうしたの」
「どうもしないけど、調子はどうだ?」
「まあ、いい感じだけど」
「……つーか、体調不良ってわけじゃなかったんだろ。ここ最近、なんか変だぞお前」
「別に変なんかじゃ……」
「もしかして将棋に飽きてきたとか? そりゃ困るぞ。もうすぐ初めての団体戦なんだから」
「飽きたわけでもないわ。でも……」
「でも、なんだよ」
沈黙。
何があったか知らないが、どうやら本格的に変調らしい。
ここはひとつ、幼馴染として、同じ部の仲間として、力にならなければ。
「悩みがあるんだったら、相談に乗ってやるぞ? 今からそっちに行こうか」
「え? ああ、うん……じゃあ来て」
ということは、本当に悩みがあるようだ。来是は心持ち早足になって、碧山家へと向かった。
「いらっしゃい。依恋は部屋にいるわ」
玄関先で出迎えた依恋ママに挨拶してから、来是は二階へと続く階段に視線を移した。
「最近あいつの様子が変なんです。どうも悩みがあるみたいで」
「そうみたいねえ」
「おばさんは心当たりあります?」
「さあて、どうかしら。ふふふ」
依恋ママもなんだか変だった。娘が心配ではないのだろうか。
とにかく二階に上がり、依恋の部屋のドアをノックする。
「依恋、入るぞ」
返事はないが、来是は遠慮なくドアを開く。
私服の依恋はうつぶせになって、ベッドに沈み込んでいた。彼女の最大の特徴たる大きな態度は、すっかり見る影もなかった。
「どーしたんだよ、マジで」
ベッドの傍に寄って、あぐらを掻いて座る。
依恋はチラッと顔を向けるが、何も言わないまま、再び顔を枕に埋める。
「なあ、悩みがあるんだろ」
「うん……」
「クラスメートとの関係……は別に問題なさそうだよな。おばさんの様子だと、家庭内の事情ってわけでもなさそうだし」
「うん……」
うんだけじゃわからないと文句を言いたかったが、依恋からは切り出しづらいことだと推察する。
来是はしばし頭を捻り……そこでピンときた。
「ひょっとしてあれか、神薙先輩との差をあらためて実感してるとか」
「……ある意味そうかも」
ある意味というのは気になるが、大筋では間違っていないらしかった。
「その差ってのは、将棋の腕じゃないよな」
「将棋であの人を追い抜こうなんて思ってないわよ。労力の無駄」
「ふーん、じゃあ俺も無駄なことしてるって思うのか」
依恋は答えなかった。そこは無駄じゃないと言ってもらいたかったが。
「とにかく神薙先輩に魅力で負けてるみたいに思ってるわけだな。……でも依恋には依恋のよさがあるって、前にも言ったと思うけど」
依恋は体を起こし、ベッドから足を投げ出す。うつむきがちで、目は悲しんでいるような怒っているような、複雑な色を帯びていた。
「あたしはあたしのよさを、ちゃんとわかってるわよ。こんなにも明るくて美人で意志の強い女の子はいないわ」
「うん、それで勝負すればいいだろ」
「するわよ! でも……」
「負けるのが怖いのか? 学園祭でクイーンの座を争って、もし届かなかったらどうしようって」
依恋は常にナンバーワンだった。そのプライドが彼女をより強くしてきた。しかし神薙紗津姫という存在が、彼女のプライドを揺るがしている。日々触れ合うことで、紗津姫の聖母的な魅力が、自分にはないものとして依恋の中で大きくなっていったのだろう。
井の中の蛙だった、などと言うつもりはない。全国を見渡しても、依恋と同等の女子高生はそう見つかるまい。客観的に見て、依恋は紗津姫となんの遜色もない美少女だ。
だから優劣をつけることに何の意味があるのかと思う。どちらが魅力的で学園のクイーンにふさわしいかなど、完全に好き嫌いの問題ではないか。
「先輩は先輩で、依恋は依恋だろ」
「それだって……わかってる」
「まあ不安になるのは仕方ない。俺だってそうだ。俺は先輩にふさわしい男になるために、今まで以上に将棋に力を入れることにした。そして先輩を超えられたら告白する。でも期限は先輩が卒業するまでだ。……正直可能性は少ないって思う。俺にそこまでの才能があるかどうか、怪しいしな」
「……そうとわかってるのにチャレンジするの」
「当たり前だ。可能性は少ないけど、ゼロじゃないんだ。チャレンジする限りは」
チャレンジする限り、可能性はある。
恋愛に限ったことじゃない。なんでもそうなのだ。それが人間の尊い生き様だ。
依恋は来是の言葉を噛みしめるように、神妙な顔つきになった。
この程度のこと、聡明な依恋が理解していないわけはない。それでも第三者から言われれば、理解の度合いが深まると思った。
「じゃあ、もしダメだったらどうするの。すっぱり紗津姫さんを諦める?」
「その努力に免じて……なんて展開も、もしかしたらあるかもしれないけどさ。さすがにそんなのに期待してもしょうがないだろ。やっぱり俺に才能がなかったってことで諦めるよ。いつまでも待ってくれなんて言えないしな」
「……本当に?」
「背水の陣で臨んでいるんだよ、俺は。カッコいいだろ」
当たって砕けろの精神。いや、本当に砕けてしまうつもりはないのだが、後悔などない、前向きの姿勢こそが何よりも大切なのだ。
「とにかく依恋も、ダメだったときのことなんて、あまり深く考えるなよ。ガツンとぶつかりゃいいんだ。悪いようにはならないって」
「そ、それじゃあ……それじゃあ!」
依恋はベッドから飛び降り、来是の真正面で膝立ちになる。
身を乗り出すようにして、つぶらな瞳を潤ませて、依恋は来是に接近する。体温が伝わりそうなほどに。
「あ、あたし!」
「うん?」
そのとき――何の前触れもなくドアが開かれ、ほんわかした雰囲気をまとわせた依恋ママが入ってきた。
「来是くんこれ、この前パパが海外出張したときのなんだけど、よかったらもらって」
いかにも値が張りそうなクッキーの箱だった。
「ども。いただきます」
「ママ、ノックくらいしてよ!」
「んー? これからナイショ話でもするつもりだった?」
「いいから出てって!」
「はいはい」
含み笑いしながら、依恋ママはすたこらと引き返していった。
「なんで怒ってるんだ? おばさんに聞かれたくない話でもあるのか」
「別に!」
「あ、そう。……どれ、ちょっとつまみ食い。おお、美味いなこのクッキー! 依恋もひとつどうだ?」
「いらない!」
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