俺の棒銀と女王の穴熊【2】 Vol.19
☆
そうして、待ちに待った金曜日の放課後がやってきた。
来是は逸る鼓動を抑えて部室棟へ急ぐ。そのわかりやすい態度に、依恋はいささか呆れ気味だった。
「嬉しそうねえ、あんた」
「だってテレビなんだぞ? 全国放送だぞ? 先輩の立派な姿が、日本中に映し出されるんだ。それと、あんたじゃなくてご主人様だろ。敬語も使え」
「くっ……! な、何も今日じゃなくたっていいじゃない、ですか」
誰もが振り返る。いったい何事かと目に焼き付ける。
依恋が身につけているのは、全体的にふんわりした黒のワンピースにひらひらした白いエプロン、頭には蝶々型のリボンをあしらったカチューシャ。
まごうことなきメイド服である。
中間テストの採点がすべて終わり、上位に入った生徒の名前は、今日の昼休みに張り出された。依恋は堂々の二位。一位とはわずかに一点差という秀才ぶりを見せつけた。
そして――来是は三十位にも入らずランキングに名前は載らなかったのだが、唯一、数学だけ百点満点を取ることができた。ずっと苦手にしていた教科だけに自分でも信じられなかったが、依恋はもっと信じられないようで、しばらく虚脱状態に陥っていた。
というわけでホームルームが終わると、来是は依恋を引き連れて演劇部に寄り、メイド服のレンタルを申し出た。事前連絡もなしに部外者に貸すことは普通あり得ないが、そこは類い希なる美少女の依恋。演劇部員たちは色めき立って依恋のメイド姿を見たがった。しかも写真も撮られた。
来是は依恋が断固拒否する展開もあるかと予想して、そこまでイヤなら無理強いするつもりはなかったのだが、彼女は持ち前のプライドも手伝って、一度約束したことを撤回するような真似はできなかった。それはメイド服を着ることよりも恥なのである。
「ああもう! スタッフに変に思われたらどうするの」
「いやいや、こんなに綺麗で可愛くてメイド服の女の子が、将棋をやってるんだ。もしかしたらお前のことを好意的に取り上げてくれるかもしれないぜ?」
「適当なこと言わないでよ……」
部室に入ると、すでに紗津姫と関根、金子と浦辺が待っていた。
「な、なんだそりゃ?」
関根と浦辺が、揃って仰天する。紗津姫がクスクス笑いながら、事情を説明した。
「いやー、びっくりしましたよ。本当に百点を取ったんですね」
なお、金子は学年で二十位と大健闘していた。二年生のランキングも見たが、紗津姫が全教科ほぼ満点を取ってトップを勝ち取っていた。
「ともかく我が部に臨時の部費がどーんと入ってくるわけだ。部長として礼を言うぞ」
「ええ、盤駒の新調をするのもいいかもしれませんね」
「それより、番組のスタッフはいつ来るの?」
「四時頃には来るそうです。それまでは普通に部活をしていましょうか」
各自、棋譜並べをしたり詰将棋を解いたり、思い思いに時間を過ごす。掃除&整理整頓は昨日のうちに済ませてあるが、来是はいろいろ気になって部室中をあらためてチェックしたりした。
時計の針が四時を回ると、壮年の男性教諭がやってきた。
「おーい、スタッフの方々が見えたぞ」
普段はほとんど顔を出しに来ない顧問の斉藤先生だ。自身、まるで将棋はやらないらしい。部の存続のためのお飾りにすぎず、本人もそれを自覚しているようだが、それでも今回ばかりはこの顧問を通じて取材の打診があったというわけだ。
「どうも、どうも」
芸人のような挨拶をしながら、ラフな格好をした髭面の男が入室してきた。いかにもテレビ業界人という雰囲気だった。
「将棋フォーラムディレクターの三宅といいます。本日はよろしくお願いします」
「神薙紗津姫です。よろしくお願いいたします」
紗津姫ひとりだけに名刺が渡される。まあ当然かと来是は思った。彼女以外の部員は、完全におまけなのだから。
「……いやあ、すごいなあ」
「はい?」
「ああいえ、ネットで写真は拝見したんですが、実際はもっとお綺麗で」
「それはどういたしまして」
必死に見ないようにしているようだが、三宅の視線はチラチラと紗津姫の豊満な胸部に注がれている。もっとも、自分も常日頃あんな感じなのだろうと思うと非難はできない。男であれば吸い込まれて当たり前だ。
「ところでそちらも……部員なんですか?」
メイド姿の依恋を見て、さすがに不思議そうな三宅。依恋は一瞬だけ来是を睨んでから言った。
「き、気にしないでくださいませ」
「ふーむ。ま、いいでしょう。さっそく部活の様子を収録させていただきたいんですが、準備はいいでしょうか?」
「ええ、大丈夫です」
紗津姫が了承すると同時に、カメラマンとテレビカメラが入ってきた。
本当にNHKの取材が始まるんだ……ますます興奮が高まり、体が小刻みに震えてきた。しかしおまけの自分がうろたえまくって、紗津姫に迷惑をかけてはいけない。平常心でいなければ。
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