俺の棒銀と女王の穴熊【1】 Vol.18
■4
明くる土曜日。碧山家でのミニ合宿は、さっそく午前から行われることになった。
幼い子供の頃は、頻繁に依恋の部屋に通っていた……というより、無理矢理連れ込まれていた。そしてお姫様と執事、あるいはキャリアウーマンと主夫、あるいは女教師とダメ生徒などという役回りでおままごとをさせられていた。
しかし小学校高学年あたりから、依恋は来是をさっぱり招かなくなった。男女を意識しだしたのだということは、今になってみれば容易にわかる。逆に依恋のほうは来是の部屋に突入してくることがしばしばだったが。
「かれこれ五年ぶりくらいか」
ほどほどの感慨にふけりながら、来是は高さ二メートルはある門扉の脇のインターホンを鳴らす。
「はい」
「おう依恋、俺だ」
「来是? うん、ちょっと待ってて」
すぐに幼馴染が玄関から出てくる気配がした。足取りがとても軽そうだった。
「いらっしゃ――」
門が開かれるのと同時に、依恋は絶句した。その目は来是の背後に向けられている。
「おはようございます、碧山さん」
「な、なんで紗津姫さんがいるの!」
「なんでって……先輩がいてくれたほうが勉強になるからに決まってるだろ」
「昨夜、春張くんからメールで教えていただきまして」
宿泊用の荷物一式を抱え、学園クイーンは微笑んでいた。
来是は入部してすぐ、紗津姫と携帯電話番号&メールアドレスを交換していた。用事もないのに連絡をするのはためらっていたのだが、今回初めて役に立ってくれた。
「あ、あたしはふたりで合宿をやろうって」
「あら……そうだったのですか?」
「合宿なんだから部員全員でやらないとダメじゃんか。部長は用事があるからって来れなかったけどさ」
「で、で、でも!」
「まあ事後連絡になったのは悪かったけど、ひとりくらい増えても別に構わないだろ? お前んちはこのとおり、だだっ広いんだし」
碧山家は依恋の曾祖父の時代に財を成し、このあたりでは戦前から有名な資産家だ。この家も、家というよりは邸宅というレベルで、周囲からは碧山御殿と呼ばれている。
そんな大金持ちのお隣に、来是は幼い頃に引っ越してきた。そして遊び相手を探していた依恋に強引に付き合わされたのが縁の始まり。以来、事あるごとに依恋は来是を引っ張ってきた。彼女が自分の何を気に入ったのか、今に至るも来是はわからないままだ。
「お邪魔しまっす」
「わあ、すごく広いですね。旅館みたい」
靴を五十人分は並べられるほどの面積の玄関を上がり、まずはリビングへ移動。荷物を置いて、ふっかふかのソファに腰を下ろす。
記憶の中にあるよりもずっと、碧山家はブルジョア感が漂っていた。調度や家電製品、カーテンや壁紙に至るまで、中流家庭の自分の家とはグレードが違うと、一目見るだけで判別できてしまう。
「今日も碧山さんは可愛らしい服ですね。それにちょっと化粧もしていますか?」
「家の中で化粧をしてどうすんだ?」
「あ、あたしは家の中でもオシャレには妥協しないの。それが女王たる者の振る舞いよ」
今日の依恋は、胸の谷間を惜しまず見せる水玉模様のキャミソールで、下はデニムのマイクロミニスカート。そして唇には潤い感たっぷりのリップ。アイドルがグラビア写真を撮るときのような可憐な装いではあるが。
「いろんなとこが冷えそうだなあ」
「……! ったく、ファッションのなんたるかもわからないんだから!」
そんなことより、と来是は家の中を見渡す。
「おじさんとおばさんは?」
「パパはお得意様と泊まりがけでゴルフだって。ママも友達と温泉に」
「というと、この土日は私たちだけなんですね」
「……だから来是とふたりがよかったのに」
「何か言ったか?」
「別に。じゃあさっそく、あれをお目にかけるわ」
三人は和室に向かった。本来は来客用の宿泊部屋だが、先日から依恋の将棋の勉強部屋になっているという。
襖を開くと、取り替えたばかりなのか青々とした畳の色が目に飛び込んでくる。
そして部屋の中央に、重量感たっぷりの脚付き将棋盤が鎮座していた。
「すっげえ分厚いな! 角に頭ぶつけたら死にそうだ」
「風情も何もない言い方をしないでよ」
「本格的な六寸盤ですね。すごく立派です」
「材質は本カヤとかいったかしら。国産の。将棋盤としては最高ランクらしいわ」
「さらっと言うなあ。軽く百万円以上するってことだろ」
来是は遠慮なくペタペタ触る。美しい木目に淡い光沢。しかも駒台まであって、いよいよ本格的だ。
「この駒も、学校のとは全然違うなあ。手触りが滑らかで、高級感バリバリで……なんかかじりたくなる」
「やめなさいよ、もう!」
「ふふ。では肩慣らしに、一局ずつ指しましょうか?」
「はい! 依恋、俺が先でいいか?」
「どーぞ、ご自由に」
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