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     ☆

 集中できることがあると、時間の流れも速く感じられるようになった。学校から帰ったら予習復習もそこそこに、将棋の勉強に明け暮れる。そうするとあっという間に日付が変わっているのだ。
 中学時代まで夢中になっていたテレビゲームは、さっぱりプレイしなくなった。少なくとも将棋のほうがよい趣味だと思われているようで、高校入学を機に変わった息子の様子に、両親もなかなかご機嫌だ。
 今週最後の授業も終わった。この放課後が、今や何にも代えがたい至福の時間だった。鞄を持ってそそくさと立ち上がる。
「春張、将棋部にいる神薙さんって二年生が学園クイーンなんだって?」
 クラスメイトの浦辺が話しかけてきた。早く部活に行きたいのだが、周囲との交流も大事だ。それに紗津姫の話題となれば無視できない。
「ああ、そうだよ。やっと先輩のことが一年生にも伝わってきたみたいだね」
 俺は始業式の日から知ってたぜ、とプチ自慢したくなる来是であった。
「あのさ、俺は新聞部に入ったんだけど、神薙さんを取材させてはもらえないかな」
「……先輩を取材?」
「新聞部の先輩たちが前に取材を申し込んだことがあったらしいんだけど、そういうのはちょっと……って断られたんだって。生活に密着したグラビア特集をしたかったとか」
「それじゃ断られるだろうなあ」
 紗津姫が学園祭でクイーンとなったのは、友人が勝手にエントリーしてしまったからだ。彼女本人はそうした栄誉には興味がなく、ましてグラビア特集などは当然遠慮したいのだろう。
「だから一計を講じてね、将棋部としての神薙先輩を取材したいんだよ。話つけてくれるかな」
「それだったら、たぶんOKしてくれるんじゃないかな。俺たち、今度他校と交流戦やるんだよ。その特集も兼ねてくれるとありがたいな」
 取材をするなら将棋部関連でやろうと思えばできただろうに、今までそれをしなかったのは、やはり将棋が扱いづらいと思われているからだろう。確かに学生新聞で将棋特集というのは、あまり想像できない。
 だが、将棋は魅力的なのだと、紗津姫は大勢に伝えたがっている。ならばこの取材を成功させる手伝いをしたい。
「ねえ、よかったらこのあたしが、独占取材に応じてもよくてよ? 写真だってたくさん撮らせてあげるわ」
 依恋が割り込んできた。わざとらしくしなを作っている。
「ああ、碧山さんも上級生の間で結構話題になってるらしいから、需要ありそうだな。ふふふ、燃えてきた! 燃えてきたぞ!」
 かくして、浦辺を伴って将棋部の部室に向かった。
 遅れてやってきた紗津姫に、来是は取材の件について話す。
「それはありがたい話です。ぜひお受けしましょう」
「おっしゃ!」
「アマ女王になったときでも、三行ベタ記事だけだったもんな。我が部と同じく、なかなか有望な部員が入ったようで何よりだ」
 関根は浦辺をすっかり来賓扱いして、肩など揉んでもてなしている。
「つーか新聞部って、普段どういうことを書いてるわけ?」
「バックナンバーを見せてもらったけど、どのクラスの誰それがイケメンだとか美少女だとか、あと学校の七不思議だとか、近くの美味しい店とか、スポーツで入賞したらちょこっと概要だけ書いたりとか。学生新聞って、どこもそんな感じなのかねえ? 俺はそんなつまらん現状を打破したいんだよ!」
「浦辺くん、よく言った! 存分に取材していきたまえ! 将棋はいいぞ」
 ひとまずは普段どおりに部活をすることになった。
 浦辺は紗津姫の指導対局風景を、カメラで何枚もパシャパシャ収める。
 レンズで覗かれていても、紗津姫の整った姿勢は微動だにすることがない。駒を動かすその手つきは、舞うかのように華麗だ。浦辺の頬が陶酔に染まっているのが目に見えてわかる。
「……綺麗っすね」
「将棋はまず綺麗な姿勢からなんですよ。体に一本の芯が通っていれば、一局一局にも芯が通るようになり……」
 そういう意味じゃないです! と来是は言いそうになったが、やはり紗津姫の対局姿は美しかった。
 芯という表現は、実に的確だ。
 何事にもぶれず、彼女の在り方を支えている芯がある。
 その芯とは、将棋へのひたすらな敬意なのだろうと来是は想像する。好きだというレベルを超え、将棋に対して恥ずかしくないようにと、尊いものに接するように彼女は振る舞っている。
 俺はきっと、こんな風にはなれないだろう。だけど、少しでも近づいて、認められたい。将棋を指す喜びを分かち合いたい。それ以上の青春は、きっとどこにもないだろう。
「ども、いただきました! こんなに写真写りのいい人も、なかなかいないっす」
「どういたしまして」
 一通りの撮影は終わった。続いて浦辺はボイスレコーダーをセットして、メモとペンを握る。なかなかさまになっていた。
「神薙さんにとって、将棋とは何でしょうか?」
「趣味です」
 あまりにあっさりした答えに、来是は一瞬面食らった。
「……趣味というだけっすか?」
「ふふ、趣味というと本業……私たち学生にとっては勉学ですが、その合間の暇つぶし程度にしか思わない人が多いと思います。けれど、趣味こそが人間の生活を豊かにするものです。ただひたすら楽しむための行動……それが趣のある人間、味のある人間を作ってくれるんです」
 来是は驚いた。趣と味。確かにその二文字に分解できるが、そんな風に趣味を語ることができるとは目からウロコだった。
「そして私に一番マッチした趣味が将棋だったのですね。その原型は古代インドで生まれたチャトランガというボードゲームと言われていますが、それが日本では長い時間をかけて独自に改良され、洗練されてきました。将棋を指していると、その雄大な日本の歴史が私の中に流れ込んでくるようなんです。私は日本人なんだという意識が、とても強まってくるんです」
 来是は紗津姫の言葉のひとつひとつを、頭の中に定着させるように聞く。
 彼女が語るのは、学校の授業で習うような歴史とは違う。もっともっと大きなものなのだ。不勉強な来是は、それを上手く言語化できない。
 だけど、日本人として誇らしく生きている彼女が、ただまぶしかった。