【本格将棋ラノベ】俺の棒銀と女王の穴熊

俺の棒銀と女王の穴熊〈6〉 Vol.20

2016/05/23 21:00 投稿

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 不思議なことに、来是との対局と同じ展開を辿っていた。相矢倉の定跡は比較的長いとはいえ、つい昨日の将棋と何十手も完全に一致するというのは記憶にない。
 あのときは後手を持っていた自分が、最初に勝負手を繰り出した。そこから攻めが続き、来是が妙手を逃したこともあり勝利を収めることができた。
 今、その局面まで来た。
 川口は端正な顔を少し歪めて、思案にふけっている。記者が戻ってきたので、もう軽々しいおしゃべりはしない。何も知らない記者は、緊迫した空気が途切れず流れていたと信じていることだろう。これより繰り広げられる山場を十全に活写してみせようと、じっと視線を注いでいる。
 出水もまた、ペンを握ったまま盤を見つめている。この子ならどう出るだろうと紗津姫は考える。最善手は他にあるかもしれないが、積極的にペースを握ろうとするなら、やはり同じ手段に出るかもしれない。
 そして川口が手に取ったのは――。
「あっ!」
 思わず声に出た。まったく同じ、大駒を叩き切る強手。
 紗津姫が読みにない手を指され困惑したと思ったのか、川口は自信ありげに口端を吊り上げている。彼女の棋風にもピッタリの、おそらく自慢の一手だろう。――最後に勝ったならば。
 ドク、ドク。回転を速める心臓の音を聞く。
 そこからは変化の余地がない一本道。どこまでも彼と築き上げた一局を辿る。まるで今日という未来を見通していたかのような。
 こんな――こんなことが将棋にはあるんだ。
「え」
 紗津姫が落ち着いた所作で指したその一手に、今度は川口が声を出した。たちまちのうちに困惑の目に変わる。
 嵐のような激しい攻めを、真っ向から切り裂くカウンター。攻守逆転の狼煙。
 息を飲む音。出水が頬を紅潮させ、ペンを持つ手を震わせていた。記者も我が目を疑うような顔だ。ふたりとも紗津姫が劣勢だと考えていたのだろう。
 流れは完全に変わった。川口が頭を抱え、脇息にもたれ、はばかりなく呻いている。いかに強かろうとアマチュアには負けられない。プロならば誰しも抱くプレッシャーに、彼女は徐々に苛まれていた。
 だがここで屈するようなら、最初からプロとしてこの場にいない。爪も牙もいったん引っ込めて、全力で体を縮めた受けに入る。攻め将棋が身上の彼女としては不本意だろう。それでも再び希望が見えるまで、耐えに耐える。
 紗津姫とてプレッシャーに襲われているのは変わらない。一手でも間違えれば再逆転される。二転三転するのが将棋の面白さ、そして怖さ。すべてが最善手でなければ乗り切れない。
 指先にしびれが走る。体の末端にまで作用する極度の緊張。紗津姫は息苦しさを覚えながら――彼の顔を思い浮かべる。
 あの子に応援されるなら、私はどこまでも頑張れる!
 最後の力を出し切って、紗津姫は刃を振りかざした。その切っ先は、寸分狂わず相手の胸元に届いた。
「負けました……」
 丸一日戦ったかのような疲労の滲む声で、川口は投了を告げた。
 紗津姫もまた疲弊の極致にあった。許されるならすぐに正座を崩して、横になってしまいたかった。
 しかし疲れとは逆の、爽やかなものが全身に舞い込む感覚があった。これまでの経験からいって、激闘であればあるほど勝利の実感は遅れてやってくるのに、遠い場所で喜んでいるだろう来是のことを思うと――決して顔に出してはいけないが、嬉しくてしょうがなかった。
 足音が響き、襖が開いた。終局を知ったテレビスタッフたちだ。
「神薙さん、勝利おめでとうございます」
「どうも……」
「……あのー、カメラ回していいでしょうかね?」
 将棋のことはよく知らないというディレクターも、真剣勝負の余韻を敏感に感じ取ったのだろう、少し遠慮がちだった。
「大丈夫ですよ。このまま感想戦やりましょう」
 川口の主導で、感想戦は打って変わって和やかに進行する。プロのアマに対する気遣いに、紗津姫は心から感謝した。
「あそこ、あまり悩まないで指したように見えましたけど、もしかして経験が?」
「ええ、実はつい昨日に」
「そんなまさか!」
「私も驚いたんです。こういうこともあるんですね」
「んん……何にしても力負けですね。本当に神薙さん、お強いです」
 感想戦は十分程度で終わり、そのままインタビューへと移行する。意識的にアイドルモードへと切り替え、なるべくいい笑顔であるようにと努めた。
「プロの方との対局は、いつも刺激的で、今回もよい経験になりました。本戦も頑張りたいと思います」
「こうなったら優勝してほしいですね。それだけの力が、神薙さんにはあります」
 敗者の川口もどこか朗らかにコメントをして、女子将棋フレッシュカップ予選最終局は幕を閉じた。
 時刻はちょうど正午を回る頃合い。将棋会館を出ると、まるで夏のような強烈な日差しが真上から降り注ぐ。しかし心地よい熱さだった。そして傍らの出水は、自分以上に喜んでいた。
「本当におめでとう! きっと勝つって信じていたわ」
「ありがとう。それにしても川口先生、盤上ではすごく迫力のある人でした。でも終局後は、いろいろ気を遣っていただいて……」
「さっき、あの人とトイレで鉢合わせしちゃったんだけどね、見るからに意気消沈してたわ。やっぱりアマに負けるのは、情けないってなっちゃうから。でもそういう批判も覚悟して生きているのが、プロだから」
「ふふ、私はやっぱり一生アマチュアでやっていきます」
 好きな人を伴侶にして、家で一緒にのんびりと楽しむ。それが一番性に合っていると、いつも疑っていない。
 その未来予想図は、最近もっと具体的になってきている……。
「ところでさ、昨日と同じ将棋だったそうだけど」
「来是くんと練習対局をしたんです。本当にすごい偶然だったけれど、今日勝てたのは半分はあの子のおかげで」
「ふん……運命だとでもいうの? 私はまだ、あいつのことは認めてないからね」
「摩子ちゃん、私の幸せは願ってくれないんですか?」
 我ながら思い切った発言だと思った。出水は視線を逸らし、唇を尖らせる。
「紗津姫ちゃんに幸せになってほしいって、いつも思ってるわよ! でも……」
「来是くんは、まだまだ上達しますよ。私が卒業するまでにはきっと、摩子ちゃんも認めるくらいに」
「あ、あいつのことはどう思ってるのよ。もうひとりの」
「依恋ちゃんですか? ……迷ったのも、過去の話です。私は正々堂々、依恋ちゃんと競い合うって決めたんです。彼女もそう願ってますから」
 女子高生のミスコンに出ると聞いたときは、彼女らしいなと感心した。自分ではまったく真似できない領域で、高みを目指そうとしている。
 だから私も、私のやり方で魅力を磨いていく――紗津姫の心に、もう一点の曇りもない。
「さ、どこか入りましょう。お腹ぺこぺこです」

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