今後2回にわたり早稲田大学の鎮目教授と小屋との対談をお届けいたします。
財務省は、2024年に1万円札に渋沢栄一、5,000円札に津田梅子、1,000円札に北里柴三郎を用いた新札(日本銀行券)を発行すると公表しています。
1万円札の顔となる渋沢栄一は、第一国立銀行(現在のみずほ銀行)など数多くの企業を設立し、日本の資本主義の父とされる人物。
1万円札の人物の変更は、1984年に聖徳太子から現在の福沢諭吉になって以来です。
各紙幣には最新のホログラム技術が使われ、紙幣を傾けても3Dの肖像が同じように見える偽造防止対策が導入されるとのこと。
でも、どれだけ高度な技術が駆使されても、考えてみると、紙幣は紙です。
火がつけば燃えてしまい、1万円の価値はどこかに消えてしまいます。
さらに言えば、どうして1万円札を出すと、1万円分の商品を買うことができるのでしょうか。
紙に価値を与えている信用の源はどこにあるのでしょうか。
今回は、金融とお金の歴史に詳しい早稲田大学政治経済学術院教授の鎮目雅人さんをゲストに迎え、「お金」について掘り下げていきます。
■「お金って何?」と深く考えたこと、ありますか?
小屋:今日は鎮目先生と「お金」についていろいろなお話をしていきたいと思っています。
あらためて、先生の研究されている分野について教えていただけますか?
鎮目:大学では日本経済史を教えています。なかでも専門としているのが、日本の近代史。特に近代の金融の歴史です。
例えば、明治から昭和初期にかけて活躍した高橋是清。
世界大恐慌の際、世界に先駆け日本の経済を回復させた「高橋財政」と呼ばれる経済政策を研究しています。
また、そこから派生して日本の金融制度の変遷、今日のお話にも関係する貨幣の歴史について研究しています。
小屋:近代の金融の「近代」は具体的に、明治、大正を指すんですか?
鎮目:時代区分にはさまざまな考え方がありますが、日本経済史の場合は、幕末の開港から第二次世界大戦の前くらいまでですね。
それ以降、第二次世界大戦から戦後を現代ということが多いです。
小屋:金融と貨幣を研究しようと思われたのはどうしてなんですか?
鎮目:大学を出た後、日銀(日本銀行)に29年在籍していました。
最初の15年くらいはいろいろな部署を経験した後、金融研究所という金融経済の理論、制度、歴史の研究を行う研究所に長く勤務したんですね。
そこで何を研究するか考えたとき、自分が所属している日銀などの金融機関が関わっている仕事を客観的に見てみたいという気持ちがありました。
日銀というと金融政策のイメージが強いですが、そうした政策を行う基盤には銀行としてのさまざまな仕事があります。
例えば、手形の審査や、預金の決済をするときには、本当に細かな手続きが決まっていました。
なぜこんなに細やかな仕組みができあがっていったのか。それを知りたいという身近な興味から始まり、次第に「お金とは?」「金融とは?」と広がっていきました。
小屋:僕もお金は何なのか?という話には興味があって、鎮目さんの著作『信用貨幣の生成と展開』も拝読しました。 Amazonリンク⇒ https://amzn.to/3z6Zq8q
ファイナンシャル・プランナーとして接するお客様たちは、お金と良い関係を築けている人もいれば、うまくいっていない人もいて、なかには嫌悪感を持っている人もいます。
けれど「お金って何?」という本質的な部分について深く考えている人はあまりいないんですよね。
だけど、誰もがお金とは関係していて、独特の金銭感覚、考え方を持っている。
これが個人的には面白くて、今日は鎮目さんと「お金ってなんなんでしたっけ?」という話をできたらなと楽しみにしてきました。
鎮目:なるほど。ありがとうございます。
たしかに、「お金って何?」と考えると、はっきりとはわかんないんですよね。
何がお金で、何はお金ではないのか、という定義はとても難しい。
例えば、私たちは日頃、円という単位で表示されたお札やコインを使っていますが、これはみんながある目的を果たすために便利だから使っているわけで、それを「お金」と称しているだけなんですよね。
石や貝殻が「お金」として使われていた社会もありましたし、ビットコインなどの「暗号資産(仮想通貨)」は、法律上の「お金」(法定通貨)としては認められていませんが、実際にはお金と似た機能を果たしていますよね。
歴史を振り返ると、「これをお金と決めましょう!」と誰かが決めてお金の歴史が始まったわけではなく、なんとなくみんなが使っているものがあり、共通している性質のあるものを「お金」と称しましょうということになっていったんです。
それでも学者たちはお金の起源を調べようとしていて、そういう学者たちの間では大きく分けて2つの考え方があります。
小屋:2つですか。
鎮目:はい。1つ目は商品貨幣。ある商品を誰かが価値あるものとして使い始め、それが広まり、お金になっていったという考え方です。
例えば、穀物や布、あるいは貴金属。金や銀が有名ですが、商品自体に価値のあるものを交換の媒介として使うようになっていった、と。
そして、それ以前は物々交換をしていましたと書いている教科書もあります。
小屋:なるほど。
鎮目:2つ目が信用貨幣です。中国や日本では古くから銅を主原料とする銭貨が長いこと使われてきました。
銅銭は金属が原料ですから商品貨幣のようですが、銅の価値が裏付けになっていたわけではないんです。
例えば、日本で国家が最初に鋳造したことが分かっている銭貨は富本銭(ふほんせん)と言います。
小屋:教科書に載っていますね。
鎮目:これは7世紀の後半、飛鳥時代に作られたことがわかっていて、その後に有名な和同開珎(わどうかいちん)という銭貨ができました。
これらは都を作るために発行された銭貨です。木材や石などの資材の購入、人足への労賃などを払うために政府が発行します。
銭貨を受取った人は、市に行くと受け取った銭貨で買い物ができる。受け取った銭貨は政府への税金の支払いのために使うことができる。
銭貨は銅の価値と紐付いた商品貨幣ではなく、国家の債務証書だったわけです。
平安時代の中頃になると銅不足の影響などもあって、日本では銭貨が発行されなくなります。
そして、平安時代の終わり以降には商人たちが中国の宋銭を輸入して、お金として使い始める。
考えてみるとこれはすごい話で、日本の国内で誰かが発行したわけではない銭貨がお金として日本で流通していたわけです。
小屋:和同開珎など、古代の銭貨はその時代の日本の政府がそれを債務として発行して、税金の収納をできるようにしていたわけですよね。
でも、宋銭などの渡来銭は誰も発行していないわけで、何の信用が価値になっていたんでしょう?
鎮目:何の信用かは実はよくわかっていないのです。ただ、博多や畿内の商人のところに持っていけば価値あるものと交換してくれるという期待のもと、多くの人が渡来銭を受け取っていくということが起きていた可能性はあります。
つまり、古代の銭貨は政府の信用でしたが、今度は商人たちの信用で貨幣が流通していく時代が続いたのかもしれない。
そのうちに政府も渡来銭で税を収めることを認め、そうするとさらに渡来銭の信用が上がり、日本全体で流通が拡大していく。そういう循環ができていきました。
これが今日の「お金ってなんなんでしたっけ?」という話のポイントとなります。
■江戸時代には、200を超える藩が独自の紙幣を発行していました
小屋:例えば、今の私たちはお金として日本円を信用しています。でも、その信用の源はどこにあるんでしょうね。
国家でしょうか、日本銀行でしょうか、それとも別のなにかなんでしょうか。
鎮目:その質問には、私なりの答えがあります。でも、少し「お金ってなんなんでしたっけ?」について考えるのも楽しいかなと思うので、遠回りしながら話していきますね。
小屋:遠回り、いいですね。
鎮目:世界の貨幣の歴史を見ていくと、日本は紙幣、お札がたくさん流通している国なんですね。
小屋:お札に対する信用が厚い国。
鎮目:最初に日本でお札が広く使われるようになったのは、江戸時代。でも、当時のお金というと、時代劇のイメージもあって大判小判、二分金、一分金といった金貨、匁建と言って重さを量って使われていた銀貨、丁銀というナマコみたいな形をした銀塊、投げ銭でおなじみの銅の銭貨などが有名です。
実際、寛永年間からは渡来銭はすべて廃止され、幕府が発行する寛永通宝だけが日本国内で通用する銭となりました。
でも、地方ではいろいろなお札が流通していたんです。
小屋:そうなんですか。
鎮目:当時は300近くの藩があり、そのうちの200を超える藩が一度はお札を発行した経験があると言われています。
さらに、藩以外にも有力な商人、宿場町や村など地域のコミュニティが発行するお札もあって、本当に多種多様な紙幣が残されているんですね。
これは日銀の貨幣博物館に行くと展示されていますので、興味がある方はぜひ、一度、見ていただくとよいと思います。
小屋:早稲田大学のある高田馬場と早稲田には、アトム通貨がありますよね。あんなイメージの地域通貨が江戸時代からあったわけですか。
鎮目:そうですね。今は、日銀が発行する紙幣=お金という感覚ですが、じつはそれ以外の紙幣が流通していた時代の方が長いんです。
小屋:でも、藩札はまだしも、それ以外のお札は価値あるものとして信用されていたんですか?
鎮目:お札の価値を維持することは相当難しかったようで、暴落したり、受け取る人がいなくなって流通できなくなったり、そういったことが頻繁に起きたと記録されています。
小屋:うまくいったケースもあったんですか?
鎮目:そうですね。うまくいったケースでどうやって信用が担保されたかと言うと、そのお札を使って価値あるものを作り、売っていくシステムが維持できたからです。
小屋:なるほど。
鎮目:そのシステムの例を紹介するために渋沢栄一の話をしますね。
小屋:大河ドラマ「青天を衝け」の主人公ですね。
■「日本円に価値がある」と、私たちが信用する理由
鎮目:日本に近代的な銀行の制度を作った立役者は、渋沢栄一だと言われています。
国立銀行条例という法律を起草し、この法律が成立すると、ほぼ同時に政府の仕事を辞め、1873年(明治6年)に最初の国立銀行である第一国立銀行を作りました。
その後、第一国立銀行の経営のトップを務めながら、それ以外の銀行の設立にも関わり、業務が安定するよう助けていった銀行界全体のリーダーです。
そんな渋沢栄一は、江戸時代の末期に一橋慶喜に仕官していました。そして、今の兵庫県、播磨国にあった一橋領でお札を発行した経験を持っているんですね。
当時のことを渋沢栄一が回想し、残した記録があります。
それによると、一橋領で発行するお札の信用を確保するため、播磨国で産出される木綿の取引に藩札を使ったのです。
藩が産物会所という商社を作り、木綿の生産者から木綿を買い上げる商人たちに藩札を貸す。
商人たちは藩札で木綿を買い求め、それを大阪(大坂)に持っていって売るわけです。
すると、大阪で現物の金貨や銀貨などの正貨が手に入ります。つまり、藩札を使って領内で生産したものを大阪に持っていって売ると、正貨が入ってくるわけです。その正貨を準備金として蓄え、藩札を支える。つまりは、藩内で価値あるものを作っていく、このシステムが信用の源となっていったわけです。
小屋:そこで、もう一回質問なんですが、今、一般的に私たちは日銀が出すお金を信用し、なんの疑問もなく使っています。鎮目さんは、この信用の源がどこにあると理解されていますか?
鎮目:私が理解するところでは、日本経済への信用です。藩札の信用を支えていたのは、藩への信用とも考えられますが、では藩への信用の源は何かということを考えてみると、その藩札を使ってちゃんと価値のあるものを領内で作ることができているかどうかでした。
日本の円に置き換えてみても同じことが言えると思います。日本の円を使って商売をしている人たち、物を作っている人たち、サービスを提供している人たち、こうした日本経済を支えるさまざまな活動をしている人たちへの信用がその基礎にあるということです。
小屋:発行した日銀、その後ろにいる政府ではなく、円をベースに経済活動している日本経済の総体を信用しているんじゃないか、と。
だから、お札を受け取ったり、交換したりする人が普通に居続けられる?
鎮目:そういうことです。自分の国の貨幣が信用できなくなってしまった国のことを考えてみると、よりはっきりと見えてきます。
貨幣を使って何かを作ってもすべて政府に吸い取られてしまう、経済が破綻していてまともな生産活動ができない。
そういうふうになってしまったら、その国で発行している貨幣は信用されなくなります。
すると、その国の国民ももっと信用がおけるドルやユーロを使って商売しようとするわけです。
小屋:一般的には、「お金」=日本銀行券は、日本銀行の信用の元に成り立っていて、この日本銀行の信用が崩れると、「お金」の価値も毀損してしまう。
だから、日本銀行の信用、つまり、日本政府の信用が大事。財政赤字を垂れ流す日本政府が続いてしまうと、将来的には「お金」の価値が減価してしまう、ハイパーインフレになってしまうかもしれない……と不安を煽る専門家がいて、私のお客さんでも先行きを不安がる方がいます。
でも、日本経済の総体的な信用が円を支えていると考えると、中央銀行の信用や政府の財政赤字そのものよりも、日本円を利用した経済社会がしっかりと価値を生み続けられているかどうかが大事なんですね。
鎮目:そうですね。もちろん、未来のことはわかりません。ただ、国の政策はとても重要です。
先々を見据えて、みんなが喜ぶアイデアやサービス、商品を作り出していけるような人たちが円というお金を使って商売をしてくれるような環境を保てるかどうかが、一番大事なのではないでしょうか。
日本は商売がしづらくて、本当に新しい革新的な事業を立ち上げようと思ったときに居づらい国だとなってしまうと、そういう企業はどんどん外に出て行ってしまうかもしれません。そうなったら、円の信用も下がるでしょう。
一方で、ここにいれば自由にものが言えて、自分のやりたい事業がスムーズにできる環境が整っていると思えれば、日本に今までいた人も残るかもしれないし、外から人が入ってきたり、一度は海外で活躍した人が戻ってくることもあるかもしれません。
そうやって日本で経済活動をする人たちが増えれば、それが回り回って円の信用を高めていくのだと思います。
[後編へつづく]
株式会社マネーライフプランニング
代表取締役 小屋 洋一
(情報提供を目的にしており内容を保証したわけではありません。投資に関しては御自身の責任と判断で願います。万が一、事実と異なる内容により、読者の皆様が損失を被っても筆者および発行者は一切の責任を負いません。)
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