~30年前のバブル時代を思い起こす~
今からさかのぼることおよそ30年前の日本。つまり1986年から1990年において起きた出来事を思い出して頂きたい(と言っても読者の中にはまだ生まれてなかったという方もお見えかも知れません)。
そんな昔の話を思い出しても仕方がないではないかと言われそうですが、今や誰もが語らなくなった時代を思い起こしてみて、その時代から30年を経た現代の日本経済、日本の株式市場の困窮の遠因を紐解いてみてはどうだろうか。
その当時の日本の株式市場は財テクブームに沸いていました。個人であれ企業であれ、余剰資金があれば設備投資ではなく財テク、つまりリスクの高い金融商品に資金を回して、運用しようとする機運に多くの国民が有頂天となって盛り上がっていたのです。
企業の株式持ち合いに銀行の株買い、特金・ファントラによる借り入れ金による株式運用などごく当たり前のような世界がまかり通っていた時代です。
実は筆者も特金やファンドトラストという商品の運用に証券会社系投資助言会社のファンドマネジャーとして従事していた時代がありました。
本業そっちのけで株式運用で評判を高めた企業は数多く筆者が知りうるだけでも大手上場企業ではパナソニックやヤクルト、サンリオ、酉島、ヤクルトなどの企業が有価証券投資で名を馳せていました。
結果として日経平均は1985年末の13113.32円から1989年末の38915.87円まで4年間で3倍にも指数が上昇するに至ります。まさに買うから上がる、上がるから買うの理屈抜きの世界が演じられたのです。
ここには企業評価を無視したお金の暴走ともいうべき状態があったと言えます。株式投資に不動産投資、バブル経済を演出した様々なホットマネーの動きに国も安易に乗ってしまい、ついにはバブルがはじける事態となって、その後の日本経済はいまだにバブルの後遺症から抜け切れていない状況になっていると考えられます。
「ミニバブルの創出」とも言うべきマイナス金利政策導入にまで至った日銀の金融政策は2%の物価上昇を掲げて、小さなバブル現象を創出しようとしているように筆者は思えます。
しかしながら笛吹けど踊らず、企業も国民も30年も前の時代をすっかり忘れていて、なかなかリスクを取ろうとしません。
極端から極端というのはこのことです。需要が盛り上がらないという経済情勢の中で投資が手控えられてお金がバランスシートの中に滞留し続けているのです。
30年前は価値のない株式が需給の良さだけで舞い上がり、投機的な仕手軍団まで登場して操られる始末で投資顧問会社は株式に関心のない国民にとっては悪徳業者の代名詞のような存在で、株式投資=悪というイメージを植え付けてしまったのかも知れません。
アベノミクスは株価面では日経平均を8000円割れから20000円台まで持ち上げ、失業率を3%にまで落とすことに成功しました。残念ながらこれが給与のアップにはつながらず、結果として消費は低迷したまま。
海外生産体制に移行してきた大企業は国内の設備投資には慎重で、盛り上がらず、GDPは先進国の中では最低水準の低成長に甘んじています。
民間投資に勢いがない中では唯一の頼りは公共投資、ということで老朽化する社会資本の代替に向けた投資が進行しつつあるのが唯一のGDP成長の望みとなっています。
日本には、「赤信号みんなで渡れば怖くない」という言い回しがありますが、長きにわたり赤のままでまるで壊れたような信号機を前に誰も道を渡ろうとしない国民や企業がじっとその時が来るのを待っているような日々が続いているということです。
政府は国民に赤信号から青に変わったから皆さん早く渡りましょうと呼びかけていますが、国民は30年前の呪縛から脱することができないでいます。
ただ、徐々に信号が赤から青に変わる経済的な覚醒のタイミングが近づいているようにも思えます。
IT技術の革新、生産性向上に向けた様々な分野での技術革新が次代を担う上場企業や今後上場を狙う新興企業の間で巻き起こっているとの期待が感じられるためですが、皆さんはどうお考えでしょうか。
(炎)
(情報提供を目的にしており内容を保証したわけではありません。投資に関しては御自身の責任と判断で願います。万が一、事実と異なる内容により、読者の皆様が損失を被っても筆者および発行者は一切の責任を負いません。)
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