岡田斗司夫プレミアムブロマガ 2019/02/07
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この記事は、KADOKAWAから発売された岡田斗司夫の『大人の教養として知りたい すごすぎる日本のアニメ』から、一部抜粋してお届けします。
興行的には失敗した『太陽の王子 ホルスの大冒険』
アニメ作家、宮崎駿を語るには、『太陽の王子 ホルスの大冒険』(1968年)から始めなければなりません。
ホルスという少年が太陽の剣を手に入れ、旅に出る。人々と力を合わせて悪魔を打ち倒す……という冒険活劇で、監督は高畑勲。宮崎は、場面設計・美術設計として参加しましたが、この作品は興行的には失敗でした。この『太陽の王子 ホルスの大冒険』には、当時、宮崎が傾倒していた共産主義思想の影響と諦観が見られます。
宮崎は、学習院大学を卒業して1963年に東映動画に入社しますが、その志望動機 が「米帝ディズニーに対抗するアニメを日本でつくる」。米帝というのはアメリカ帝国主義のこと。資本主義や消費文明を、共産主義の側から批判した言葉です。東映動画では、労働組合の書記長になり、アニメーターの待遇改善に取り組んだりしています。
『太陽の王子 ホルスの大冒険』が世に出た1960年代末は、まさに安保闘争が過激 化した時期です。その象徴であった東大紛争が起こったのもまさに、『太陽の王子 ホルスの大冒険』と同じ1968年。しかし次第に共産主義思想は人々の支持を失い、『太陽の王子 ホルスの大冒険』も興行的には失敗。そこから宮崎は長い精神的放浪の時期に入ります。
1971年、高畑らと東映動画を退社した宮崎は、いくつかのプロダクションを経た あと、日本アニメーションに入社し、テレビアニメ『アルプスの少女ハイジ』(1974年)に場面設定・画面構成として参加します。 『アルプスの少女ハイジ』は大ヒットしましたが、じつはこのときの裏番組だったのが『宇宙戦艦ヤマト』です。初放映時には低視聴率だった『宇宙戦艦ヤマト』ですが、再放送から人気が急上昇し、一大ムーブメントが起こりました。
宮崎は『宇宙戦艦ヤマト』が大嫌いでした。それは、生産や民衆を描かずに、戦争、つまり消費だけを描いていたから。
「生産を描かずに、大量消費の象徴である戦争だけを描いているアニメなんかつくりやがって! しかも第二次世界大戦の反省はゼロだ」というわけです。のちに宮崎も消費だけを描く作品をつくりますが、そのときの宮崎は地に足がついていたともいえるでしょう。
テレビ放映時は『アルプスの少女ハイジ』のほうが評価は高かったのですが、その後、評価はひっくり返りました。『宇宙戦艦ヤマト』こそ日本のアニメの向かうべき未来であり、『アルプスの少女ハイジ』など子ども向けアニメには先がないという風潮が生まれたのです。
僕が思うに、これが宮崎にとっての「第二の敗戦」です。
『ルパン三世 カリオストロの城』の時代を超える普遍性
そんなとき、宮崎は大逆転のチャンスを得ます。
NHKのテレビアニメ『未来少年コナン』(1978年)で、初監督を務めることになりました。
これは『残された人びと』(アレグザンダー・ケイ)というSF小説を原作にしており、最終戦争による科学文明崩壊後の人類を描いています。人類は、農業や漁業をやりながら、世界を復興させていく。同時に、科学は人類を滅ぼすものであるという文明批判が含まれた作品です。
このころの宮崎は、アニメは子どもに語りかけるものという信念をもっていました。大人の自分は文明がもう一度復活していくという話を素直に信じてはいないけれど、子どもには希望を語らなければならない、そういう義務感をもっていたように思います。
『未来少年コナン』には、その後の宮崎アニメの要素が数多く含まれています。主人公を、何も考えずに走り回る男の子コナンから、母性的な少女ナウシカへ変えて生まれたのが『風の谷のナウシカ』ということもできますね。
『未来少年コナン』の出来は素晴らしく、この作品に感銘を受けてアニメ業界に入ったというクリエイターもたくさん知っています。しかし同じ1978年、はるかにインパクトのある作品が公開されました。『さらば宇宙戦艦ヤマト』です。
同年に創刊されたアニメ雑誌『アニメージュ』創刊号の表紙を飾ったのも、『さらば宇宙戦艦ヤマト』でした。宮崎はまた負け戦を味わったのです。特攻までやってしまう戦争賛美ものに、自分が初監督したテレビアニメが負けてしまった。『未来少年コナン』 は放映当初、視聴率的には成功したとはいえませんでした。
宮崎はそれでもめげません。次に手がけたのが、『ルパン三世 カリオストロの城』(1979年)。それまでとは打って変わり、徹底した娯楽作に仕上げました。
(中略)
さて、1979年にはまたしても、宮崎を打ちのめす作品が登場します。ご存じ『機動戦士ガンダム』です。
この記事は、KADOKAWAから発売された岡田斗司夫の『大人の教養として知りたい すごすぎる日本のアニメ』からお届けしました。
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