岡田斗司夫プレミアムブロマガ 2018/11/05

おはよう! 岡田斗司夫です。

今回は、2018/10/28配信「新発見『もののけ姫』サンとエボシ姫は親子だった?!シシ神の正体は?」の内容をご紹介します。
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2018/10/28の内容一覧


サンはエボシ御前の娘だった?

 この説、ネットでも時々見るんですけども。僕も前々から「エボシとサンは、母娘なんじゃないか?」と思っているんですよ。
 まあ、ネットでそういった考察を書いている人も、みんな「根拠はないが~」と注釈しているのと同じように、僕にも証拠は提示できないんですけども。
 宮崎さん自身は、どこにもそんなことを語ってないし、「おしゃべりな鈴木敏夫さんが、どこかで不用意にそんな話をしていないかな?」って思って、鈴木敏夫の発言も荒方さらってみたんですけど、そんなことは一言も喋ってないんですよ(笑)。
 ただし、証拠とまでは行かないまでも「不自然なこと」はあるんです。

 何が不自然なのかというと、サンの生い立ちに関する設定です。
 「もののけ姫」ことサンの生い立ちに関する情報は「森を犯した人が、山犬を恐れて、生贄として赤子を捨てて行った」というだけなんです。それしか書いてないんですよね。
 さっきも語ったように、エボシ御前にすら「外国に売られていって、倭寇の妻になって~」みたいな設定があるんですよ。あとは、ジコ坊とか、他のいろんなキャラにも山のように設定が付いているのに、サンだけは、たった1行だけなんです。すごく不自然なんですよね。あまりにも言葉足らずで、不自然。
 おまけに、アニメ本編の中には回想シーンも出てくるんですけど、赤ん坊の頃のサンの描写は一切ないんですよね。
 なので、僕としては「やっぱり、ここには何か語られない理由があるんだろう」と考えちゃうんです。

 そして、もしサンがエボシの娘だとしたら、いろんなことに説明が付くんですよ。
 エボシというのは、倭寇の頭目の妻となって、後にその夫を殺したくらいだから、当然、もしそこで子供が出来ていたとしても、あんまり愛情を持ってはいないはず。
 「いや、女なんだから、産んだ子供には愛情があるはずだ!」と思うかもしれませんが、いやいや、エボシというのは、普通の女ではなく「女・毛沢東」だから、そこら辺はちょっと普通のメンタリティとは違うということも考えられます。

 そして、エボシが率いるタタラ場には子供がいない。これは、さっきも話したように、共同体全体に厳しい産児制限を敷いているからだと思うんですけども。
 「自分たちのリーダーであるエボシ様自身が、大事な自分の子供を捨てた」あるいは「失った」とみんなにわかるようにしていたのなら、あの村の全員が「子供を作ってはいけない」というルールに納得していることにも、筋が通ると思うんですよね。

 「エボシとサンは母娘関係である」と考えると、生みの親のエボシと育ての親の山犬のモロが激しく憎み合うのもわかりやすくなるんですよ。
 というか、映画の前半で、モロはエボシに撃たれて怪我をするんですけど、それまでは、別に、モロがエボシ個人に強く恨みを持つような理由がないはずなんですよ。
 ところが、2人とも、お互い名指しで、あんなに恨み合っている。だって、モロなんかは「エボシを噛み殺すまでは戦いは終わらない」なんて言ってますから、あれはどう見ても「エボシ個人に対する恨み」なんです。

 そして、エボシにしてみても「捨てたはずの我が子を、モロという山犬が自分の子供として育てている」という現実は、まさに自分の罪の意識の象徴なんですね。
 山犬に育てられた我が娘を見る度に、いくら、捨ててもういない子供だと思っていても、罪悪感が疼いてしまう。

 僕は前から「サンの顔にある赤い模様が「入れ墨」であるとするのなら、誰が、何のために入れたんだろう?」って、すごく不思議だったんですよ。
 解釈の1つとしては「サンが大きくなった時に、もう自分は人間ではないんだ。涙を二度と流さないんだと考えて、自分で彫った」と考えることもできるんですけど。
 この母娘関係を考えると「いや、捨てられる時に、この子は人間ではないという意味で彫られたんじゃないかな?」と、ちょっと考えちゃうんです。

 とにかく、そこら辺で、モロとエボシの間にある感情は、サンとエボシの母娘関係を中心に置くことで、いろいろと説明がつくんですよね。

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