岡田斗司夫プレミアムブロマガ 2018/07/03
おはよう! 岡田斗司夫です。
今回は、2015/02/22配信「戦争とアニメ界の歴史の中の『風立ちぬ』」の内容をご紹介します。
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2015/02/22の内容一覧
- 本日のお題
- 「プロセス否定」の宮崎駿と「結果否定」の百田尚樹
- 映画版『永遠の0』がトラックアップで見せる主人公の最後の表情
- ウェルメイドをあきらめ、狂ってきた宮崎駿の『風立ちぬ』
- 『逆襲のシャア』で自分の魂を語った富野監督
- クリエイターとしてのアンビバレンツが後期宮崎駿を作った
- 質疑応答/アニメSF論争/パチンコ依存/失恋で死にたい/雑貨店売り上げ/夫が自由に
- 後半と次回の告知
- 戦記ものがロボットアニメへ、ロボットアニメが美少女戦闘アニメへ
- 作家性を前に出すアマチュアと「最初から狂っている」富野由悠季
- アマチュアだった『オネアミスの翼』、パンツを脱いでいく宮崎駿
- 堀越二郎の「美しいものしか見えない」眼鏡
- 狂った二人、きれいという言葉しか持てなかった二郎、
- 同時代作家への目配りと監督自身の生き様
- 質疑応答/『風立ちぬ』の感動とは/二郎の夢/宮崎監督のバランス/国産戦闘機/息子吾朗/ネットの喧嘩/平和/アニメーター見本市
『逆襲のシャア』で自分の魂を語った富野監督
『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』が、当時のアニメ業界に与えた影響って、すごかったんですよ。
富野由悠季がもともといろんな人に「シャアは富野さん自身の投影でしょ」みたいなことを言われてたんですけども、『機動戦士ガンダム』って、ある程度、ウェルメイドな作品なんですけども。『逆襲のシャア』ってオチも何にもないんですよ。
オチも何にもなくて、富野由悠季イコールシャアであって、あの中に出てくる、「アクシズを地球に落として、地球を破壊してやる」あれって何かっていうと、富野由悠季の葛藤なんですよ。
アニメの中で、なんでシャアはアクシズを地球に落とすのかっていうと、人類を粛正するためだって言ってるんですけども、それはどういうことかっていうと、地球がまだあるからいけないんだと。まだ人間には帰れる場所がある限り、人は大人になれないってことなんですね。
これは、もう『海のトリトン』作った頃からの、作家富野由悠季の一貫の主張であって、青春というのは喪失であると。何か絶対にやってはいけないことをやってしまって、失ってしまってはいけないものを失ってしまって、その苦しみが青春であると。そっから人は大人になると。
その苦しみなくして、大人になった人間なんて、一人もいないっていう、なんで『海のトリトン』見ながら、教えられなきゃいけないんだよって思うんですけども、これが富野由悠季の主張なんですね。
だから、シャアはアクシズ、つまり巨大な小惑星を地球に落とさなきゃいけないんですよ。人類は地球があるから、地球に帰れると思ってると。だから、地球を破壊することで、残った人間は地球を失ったという、巨大な喪失のあとにやっと大人になれると、キリスト教徒というのは同じ人間がキリストを処刑してしまったっていう、責任とか罪を背負った上でないと神を信じることはできないと。
巨大な喪失がなければ、人間は前に進めないという、ギリシャ以来の、富野由悠季の西洋哲学というのがぎゃこーんと入っているのが『逆襲のシャア』なんですよね。これを見たときに、アニメ関係者がビックリしたことは、富野さんすげえよ、特に庵野とかとの狂い方、狂い方っていうのか「参りました!」としか言えないんですって。
いわゆる富野vs宮崎の戦いというのは、一時的に、宮崎が勝ったと、みんな思ったんですよ。『ナウシカ』みたいなすごいのやってて、富野さんは昔、『ガンダム』やったんだけども、そのあと『イデオン』とか、なんか調子悪いよねみたいなところで、富野さんがそんなスゴイの持ってきて、あれ、富野さんそのものじゃん、何をやろうとしているのかっていうと、地球にアクシズを落とす、小惑星を落として、地球を破壊すると。地球みたいなものがあるから、人はそこに帰りたくなると。人間は大事なものを喪失しないと、大人になれない、あれ、何かっていうと、富野由悠季はアニメをやめなきゃいけないとか、富野由悠季は『ガンダム』をやめなきゃいけないってことなんですね。
『ガンダム』をやめないと、次の俺はないんだって思っていた時代が『Zガンダム』までの、富野由悠季なんですよ。それに対してアムロが、そうじゃないって言って、ニューガンダムは伊達じゃないって、ガンダムの力とか、あといろんなモビールスーツでがーっと落ちてくる巨大小惑星を支えようとする。
それは何かというと、富野由悠季がアニメに絶望しようと、富野由悠季が『ガンダム』に絶望しようと、世界中のアニメファン、『ガンダム』ファン、『ガンダム』に心惹かれてアニメ業界に入ってきた人間が、みんなで『ガンダム』を支えるんだっていう、この自分とアニメのファンとか『ガンダム』のファンたちとの対立構造を、アニメの中でやっちゃったていう、とんでもないことをやってるんですよ。
なんかね、僕、ガンダム論の中でこういうことをちゃんと言ってる人、見たことないんですけども、当時のアニメ関係者に、えーって思って、だからニューガンダムは伊達じゃないっていうのはなにかっていうと、それを富野由悠季はまだまだ作品として作れるぞっていう、俺はまだまだ現役の作家なんだっていう叫びが、このガンダム論として、ひとつのガンダム映画の中に入ってるんですね。
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