こんなことがあるんですね。
大企業は苦しい時代になったとは思っていましたが、ここまでとは。自動車や電機などの労働組合で組織する全日本金属産業労働組合協議会(金属労協)は4日、今年の春闘で、基本給を底上げするベースアップ(ベア)の平均妥結額が1249円だったと発表した。(中略)
1995年に集計を取り始めて以来、規模の小さな労組の平均妥結額が初めて大手を上回った。
昔は日本の牽引役でしたが、その力強さはすっかりなりを潜めてしまいました。どうしてでしょうか。
・グローバル競争という名のラットレース
大企業は多くの人が買う製品を作らなければなりません。グローバルな展開をしていればなおさらです。そこでは熾烈な競争が行われていて、一時も休むことは許されません。いわゆるラットレースです。スポーツの世界では、トップアスリートたちは休むまもなく競争を続けています。見ようによっては悲壮ですが、だからこそ彼らの活躍は輝かしいものがあります。
大企業の従業員も同じことが要求されます。競争の激しいところでは、労働時間も長いことでしょう。自分を犠牲にする度合いも多くなりがちです。
大企業でなく国家公務員の話ですが、地方公務員を羨むという記事を最近見かけました。
霞が関の国家公務員が「俺たち負け組」…都会の“教育ストレス” 〈AERA〉
以前大学にいたころは、国家公務員とのやりとりもよくありましたが、みなさん優秀で熱心で、でも激務で、自分を犠牲にして国に尽くしている姿を目の当たりにしました。能力あるがゆえ、やりがいのある仕事なのだろうとは思いますが、一生そんな人生なんだろうかと思うと少し複雑な気持ちです。
大企業で働くということも、それに似たところがあると思います。それで、給料や福祉が抜群に良ければいいのですが、あまりの競争の激しさに給料も迂闊には出せない状況になっています。あまりの競争の激しさに、新しい素晴らしい物を出してもすぐ真似されて価格競争になってしまうからです。
・自作自演されるラットレース
そのラットレースは大企業が自ら生み出している面もあります。大企業では開発する人は開発に専念しますから、常に開発を続けなければなりません。つまり、常に新商品を作り続けなければなりません。需要は関係ありません。需要に関係なく、新製品は定期的に市場に投入されます。その結果、消費者は新商品を短期間で消費し尽くします。大企業はますます短期間での新商品の投入を迫られています。時に、発売と同時に馬鹿売れすることもありますが、その場合には供給が追いつかず一時販売停止なんてニュースも良く見るようになりました。しかし、生産体制を整えたところで、その頃には人々の興味はもうそこにはないのです。
・商品短命化の裏を中小企業が担う
消費者はみなだんだん行動が短期的になっているのでしょうか。実は逆です。社会は低成長になり、循環型の経済を目指しています。人々もより持続的な生活を求めています。「本当に好きなもの素敵なものに囲まれて暮らす」といった生活スタイルも勧められています。こういったニーズにいち早く対応しているのは小回りの効く中小企業です。長い間、繰り返し使ってもらえるモノです。逆に言うと、ものすごい早さで新商品を作り出す力はありませんから、そういうところで勝負するしかありませんし、そういうところでは元気いっぱいです。
ということで、この分野では大企業は、大企業だけでなく日本中の中小企業とも競わなくてはならず、かなり分が悪くなります。そのためついつい短期的な商品の開発に傾倒しますが、そこは人々のもっとも軽薄な需要しかありません。
かつては規模の論理で優位性のあった大企業ですが、ITの発展と共に競争の環境が整備されてしまうと、参加者はほとんどが横並びになり、例え勝っても、莫大な利益を上げることが難しくなっています。
しかも社会はどんどん持続的な活動を志向し、短命な商品は余興として楽しまれる程度。大企業が後者ような商品やいわゆるコモディティに頼り続けなければならないとしたら、これからもしんどい状況が続くのではないでしょうか。
《ワンポイントミライ》(?)
ミライ: あ、今日のは、ニュースだと大企業の話題が多いけどって、パターンですね!
フツクロウ: ホッホ。ほうじゃな。
ミライ: やった!
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