物心ついた頃から、自衛隊といえば大災害時に私たちの命を守ってくれるヒーローで、名前だって「自衛隊」って私たち守ってくれてました。社会では自衛隊は事実上の軍隊であって、憲法違反ではないかという議論があるけど、いやそんなこと言っても目の前では自衛隊が多くの国民を救っているわけで、なんでそれが違憲と言われなければならないのか、子供心ながら意味不明でした。
また、その後日本でもテロが起こるようになり、「オウム真理教事件」では、上九一色大捜索で自衛隊は警察に捜査協力しましたから、テロへの備えに関しても、その必要性は実際に見せつけられています。
そのような状況の中で、自衛隊がいまだに存在自体が違憲かもしれないというのは歯がゆくてしかたありません。今の憲法の枠組みの中でも、自衛隊の存在の大部分はなんの問題もありません。先週の常総市を中心とした大水害での自衛隊の活躍が私たちの憲法に反しているわけがありません。
もちろん、一部はそれは軍隊ではないかという議論は必要だとは思いますが、それをもっていまだに全体に疑問符をつけたままにしているのは、非常に大きな問題があるのではないでしょうか。
まあまあ、日本は本音と建前があるし、国民はみんな自衛隊に感謝しているよ、というかもしれませんが、現実にこのねじれは問題を引き起こします。
身近なところでは、私は自衛隊を子供にどう説明すればいいのでしょうか。災害では活躍してくれてるけど、存在は違憲かもしれないと言えというのでしょうか。私の子供の頃からまるで進歩がありません。なぜそんな悲しい言い回しをしなくてはいけないのか。
もっと悲しいねじれもあります。たとえば「軍事研究はしない」と明言している大学や研究者がいます。すると、防衛庁の予算の研究には参加しません。たとえば、防衛庁が今回の洪水災害をふまえ、その対策のために何かを研究開発したいとします。でもその研究開発プロジェクトに一部の研究者は参加しないしできません。自然の猛威というまだまだ私たちの歯が立たないような困難な課題なのに、「オールジャパン」で取り組めないわけです。
その辺は本音と建前を使い分ければいいじゃないか、これは平和利用だから参加すればいいじゃないかと思うかもしれません。でもそれはそんなに簡単ではありません。
たとえば仮に、水害を想定して完全に水に浸かっているところも地面むき出しのところも自由に行き来できる水陸両用ロボットを開発することにします。
でもこれは簡単に軍事転用できます。防衛庁の技術ですから、防衛庁はそれを兵器に適用できます。建前が必要ならテロ対策といえばいいでしょう。でも、そのまま戦争に使うこともできてしまいます。
これはエンジニアにとって、深刻な問題です。エンジニアは自分の研究や開発が人を殺すことに使われるかもしれないという問題です。
今武器輸出が拡大されようとしていますからいよいよ深刻です。たとえば潜水艦です。もし、自衛隊がその潜水艦で誰かを攻撃しなくならなくてはならなくなった時、それは日本国にとってのっぴきならない状況であり、それは、自衛隊や潜水艦を作った人だけの問題ではなく、日本人全員にとっての問題でしょう。それは仕方ありません。
しかし、潜水艦が他国に輸出されれば、その潜水艦はその国の判断で使われます。もしそれがたくさんの人を殺したとしたら、日本の中で、その潜水艦開発に携わった人は「人殺し兵器」を作った人と後ろ指を指されることになります。
災害救助のためにと参加したプロジェクトで開発した水陸両用ロボットが、防衛庁によってテロ対策として兵器に転用され、海外に輸出され、そこで戦闘に使われ、たまたま市民を巻き込んで殺してしまう。そんなストーリーが現実に起こってしまうかもしれないわけです。
ですから、エンジニアや研究者はこの問題について自衛が必要で、防衛庁の予算には参加しないときっぱりと線を引くことも必要になり、自衛隊の災害救助に対する協力もしにくくなってしまいます。自然の猛威はそんな甘いものではないにもかかわらず。
武器輸出の話や集団的自衛権の話にしても、そもそも自衛隊が憲法違反だからいいんじゃんというような逆ギレ理論まであるくらいで、すべて大半は憲法に違反しない自衛隊をきちんと認められるものにしてこなかったツケが回ってきている形です。
日本人の本音と建前の使い分けが悪い方に効いてしまった例かもしれません。未来に向かってきちんと整理しなくてはいけません。
そういった話をまともにやらないから、今回の安保法案にしても、論点いっぱいありすぎて、なにがなんやらわけわからないし、素人目にも矛盾がいっぱいあるように見えてしまいます。違憲ではと議論しようとしても、そもそも自衛隊の存在が違憲かもしれないとなると、そもそも論になってしまうため、議論を深めることができません。
そういった話をまともにやらないから、集団的自衛権を設定したら、アメリカの違法戦争行為に巻き込まれるかもしれないと国民は不安なのに、いままでのアメリカの戦争がどれが違法でどれが適切だったかという議論ができません。
そうやってまともに議論ができないので、現実的に妥協点を探らなくてはいけないのに、オールorナッシングの議論から抜け出せません。
昔は本音と建前の本音のところが常識として共有できてたからまだよかったのですが、いまや社会は複雑化し、本音の共有もままなりません。建前的には簡単に合意できないけど、まあ実際は仕方ないかみたいなのもないのです。
面倒なことを先送りするために本音と建前を使ってしまい、さらに大きな面倒を起こしてしまったのです。
この問題を考えているとき、自衛隊法というのを見てみたら、第三条(自衛隊の任務)が21世紀の実態から遠く離れていて悲しくなりました。
(自衛隊の任務) 第三条
自衛隊は、我が国の平和と独立を守り、国の安全を保つため、直接侵略及び間接侵略に対し我が国を防衛することを主たる任務とし、必要に応じ、公共の秩序の維持に当たるものとする。
2 自衛隊は、前項に規定するもののほか、同項の主たる任務の遂行に支障を生じない限度において、かつ、武力による威嚇又は武力の行使に当たらない範囲において、次に掲げる活動であつて、別に法律で定めるところにより自衛隊が実施することとされるものを行うことを任務とする。
(以下略)
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