前回
【馬】「完全自動化工場」は未来に関係ない
という記事の後半で「物々交換」という言葉を使って書いていたのですが、田舎では貨幣を介さないおすそ分けが良くあるので、それはどういう経済活動か気になり始めました。
もう一度昨日のおさらいから始めましょう(詳しくは 世界一わかりやすい経済活動の話シリーズで)。
まずミカン農家とリンゴ農家がいるとします。互いが中間地点に訪れて、ミカン1個とリンゴ1個を交換する、これが物々交換です。物々交換によってこの人たちは自分の持っていないものを手に入れることができました。ここでは、ミカン1個とリンゴ1個が同じ価値です。
さて、これは前回の例ですが、この二つの農家がお互い少し離れたところにいるとして、その間を承認が行き来する場合です。リンゴ農家はミカンが珍しく、自分のリンゴ2個と商人のミカン1個を交換し、ミカン農家はリンゴが珍しく、自分のミカン2個と商人のリンゴ1個を交換します。この結果、商人の手元にはリンゴとミカンが1個ずつ残り、その一つを自分が食べたとしても、まだ1個果物が残ります。これが利益です。この利益を元にまた次の商売を始められます。
ここで大事なことは、ミカンとリンゴの価値が変動していることです。リンゴ農家にとってはミカンは貴重であり、ミカン農家にとってはリンゴが貴重。なので交換する比率が変わります。価値が変動するのです。その価値の変動こそが「景気」を生み出すのです。
たとえばあるライブのチケットがあったとして、それを買うのにいくらまで出していいというのは人によってまちまちでしょう。ライブチケットの価値は人によって変動するのです。
しかし、グローバル化やITの広がりによって、ものの価値は画一化が強制されていきます。ネットで買えるものなら、全国どこでも、価格.com でものの値段が調べられます。人によっては、最安値であってもよく知らないショップから買わずに、アマゾンやビックカメラから買うかもしれませんが、それも「信頼度」のようなものを数値化すれば、価格差を説明することができます。本当はその2倍出してもいいと思っている人がいても、もちろんその値段で買うことでしょう。
それが「景気」の天敵なのです。ものの価値が画一化されればされるほど、世の中は原始的な物々交換の世界に逆戻りし、利益は出なくなり、他のものを買うことができなくなるのです。その傾向が強い都会ほど経済は原始社会に戻っているのです。
翻って田舎はどうでしょう。田舎はお裾分けが日常的にあります。お裾分けされれば何かの機会に返してますから、一見物々交換の経済に思えます。
しかし本当にそうでしょうか。
たとえばうちの親がご近所からトウモロコシたくさん取れたからとたくさんお裾分けされたとしましょう。このご近所さんにとってトウモロコシは豊富にあるものです。
さて親はたくさんもらったはいいけれど、とても食べきれるものではありません。すると町に住んでいる私たちに声がかかります。
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