先日
なぜ田舎が豊かなのか。物々交換は物々交換ではなかった
という記事を書いたら、今日そのモデルを明示的に一つの島で実現しようと取り組まれている話を知りました。だいぶびっくりしました。
お金のいらない島(国)|新井由己|note(ノート)
島の中では、「自分から溢れているもの」を無償で提供するというモデルです。島の外や外の人へはそれを有償で提供しますが、島の中では無償で提供するというシステムを、一つの島の中で構築しようという試みです。
ベースとしては、「贈与交換」という考えがあるそうです。
「等価交換」から「贈与交換」へ。ー 自分が余っているものを(それを必要としている人に)無償で差し出す。受け取った人はその経験に感動して、世の中に優しさを循環させていく。 - いばや通信
単に「自分から溢れているもの」を無償で提供するという考えでなく、優しさの循環であるとさらに進んだ考えです。
この「自分から溢れているもの」を無償で提供する経済モデルを純化した試みが、もしこの島でうまくいくすれば、これは画期的なものだと思います。
正直、そこで描かれている経済モデルは、田舎で普通に行われているものです。
なぜ田舎が豊かなのか。物々交換は物々交換ではなかった
でも説明したような、お裾分けが日常で行われているような世界です。でも、それは日本の経済活動と境目なく行われており、それ自身でどれだけ地域社会が成り立っているのか、誰もわからないというのが現状です。
ですから、こうやって独立した島で、島の中ではすべて無償外とは有償というモデルで回してみるという試みは、お裾分け文化が持続的に機能する仕組みだということを証明する試みと言えます。
ぜひ、うまくいってほしいです。田舎では切り分けられていないけど成り立っているはずで、というか昔はそれでやっていたわけですから。
もともとはほぼ地産地消でやっていて、どうしても足りないものだけ外から持ってきて、持って来るために外貨も稼いでというモデルでしたが、地産地消ではまちがいなくお裾分け文化の方が主流だったはずです。
先日触れたように、例えば旬の野菜というのは、一番おいしいときも関わらず一番採れて安くなってしまいます。一番おいしいときですから一番高くてもいいはずなのにです。
古典的な物々交換では景気はよくならず、景気をよくするには「お金」は絶大な力を発揮しますが、豊富なものは良いものでも安くなるという欠点を持っているのです。
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